「あーそういや土方さん、夕べはどうでしたかねェ?」
「は?」
洗面所の鏡の前でシャコシャコ歯を磨いていた土方の隣に、起き抜けで漫画みたいな寝グセを付けた沖田が歩み寄った。意味深な問いかけに土方は歯ブラシを加えたまま隣を振り返るが、沖田は何食わぬ顔で自分用の歯ブラシに手を伸ばし、彼しか使わない子供用の甘い歯磨き粉のチューブを捻る。それをぱくっと咥えたらようやく土方を見上げて、
「とぼけねぇで下せェよ、一緒にお祝いしたんでしょう?」
「…何をだよ」
ただでさえ寝起きでテンションが上がらないのに、その上内容の見えない話をされて土方の機嫌は悪くなる一方。それでも沖田は動じることなく、さも当たり前のように言ってのけた。
「嫌だねェ、お誕生日でしょう?」
キリンの蝶結び
「……あ?」
「おやおや…知りませんでしたかねェ?」
沖田は、彼にできるであろう中で最も意地の悪い笑い方をした。土方は最初不可解な表情で沖田を睨み返したが、一時間を置いてからはっとしたように表情を崩す。いくら働かない頭とは言え、自分の誕生日を間違えるほどお粗末ではない。
「…まさか」
「さァ?ご本人に聞いてみたらどうですかねェ」
そう言うとガラガラペッ、と手早く歯磨きを済ませ、沖田はニヤっとした笑顔だけ残して去って行った。口腔内をぶくぶくさせたまま固まってしまった土方は焦点がずれたまま立ち尽くしてしまい。どれほど後か分からないが、
「おはよーございます……副長?どうしたんですか?」
と、山崎に声を掛けられやっと我に返ったのだった。
*
「(どーすんだ、これ)」
いつもの事ではあるが、いつも以上に今朝は食が進まなかった。近藤や山崎に気を遣われたり、沖田にニヤニヤされたりしつつ殆どそのままの食器を片付けて。商店街の店が開く時間になってから街に出て、それなりの買い物をしてきたのだが、包装された箱を片手に事務的なドアの前で頭を抱えてしまった。
土方が立ち入ったのは江戸の役場。ドアの向こうでは自分と恋仲の男が仕事中のはずだ。恋仲といっても、自分がそう思っているだけかもしれない、それくらいの繋がりで、喧嘩事で壊された屯所の修理費を経費で落とす落とさないで揉めたことから顔見知りになった。それほど長い付き合いではないので、誕生日なんて知らなかったわけだ。
コンコン
箱を懐に忍ばせてから、意を決してドアをノックしたが返事がない。特に珍しい事でもないので構わずノブを回し半開きにしてから「入るぞ」と断って中に入ると、「仕事中」と書かれているかのような背中が目に入った。山積みの書類を乗せた机に噛り付き、右手がせわしなく動いている。
「おい、…」
「あ゛
ー―――――!!くそ!」
土方は遠慮気味に声を掛け、左肩に手を掛けようと手を伸ばしたがすぐに引っ込めた。
目の前の男、は爪を立てた両手で頭を掻き毟り、机上の薄っぺらい書類をぐしゃっと丸めて少し離れた所にあるゴミ箱の方角へ投げ付ける。しかし狙った様子はなく、それは箱に掠りもせず床に落ち、既に散乱していた紙くずに混ざった。
それを見送る素振りも見せず、は伸ばした左腕で土方が咥えていた煙草を掻っ攫って自分の口に含む。フィルター越しの煙を大きく吸い込み、肺に行き届くのを待ってから、これまた一度に吐き出した。首を左に捻ってのそれは、土方目掛けて飛んでゆく。
土方が目を閉じてやり過ごすのを見てから、右手に持ち替えた煙草を押し潰すようにして火を消す。とは言ってもは普段煙草を吸わないので、灰皿は用意されていなかった。机に直接擦り付けたのだ。木製の机には右側を中心に、似たように焦げた後が点々としている。あまり力を込めて押し潰したものだから、包装が千切れて煙草の葉が溢れた。それを払い落とすと今度はドン、と左肘を付いて、口元に当てた掌の中で何やらぶつぶつ言っている。椅子から伸びた片足は忙しなく上下に揺れていた。
は経理の担当をしているため、普段から金のやりくりに苦悩していた。特に上役の天人による経費の無駄遣いは目に余る様なのだが、文句の言えない立場上ストレスは溜まる一方らしく、仕事中の彼は大概非常に機嫌が悪い。膳は急げとここまで来たが、やはり仕事が終わるのを待つべきだったかと土方は心中で嘆いた。それでも今更引き返す事も出来ず、沸騰してピーピー鳴りそうなの熱が冷めるのをひたすら待つ。
ダン!……ガタガタッ
不断な愚痴の末には、両手で机を叩いた反動で立ち上がり、湯飲みの中の冷めた緑茶を一気に煽る。立った勢いで椅子が後ろに倒れ、室内は俄然騒がしくなった。土方の眉間がいささか揺れる。
湯飲みから口を離したが大きく息を吐いてから、今日初めて土方にかける言葉は。
「……で、何の用?」
土方は転がった椅子を起こしてから、元の位置に直立する。懐にそっと手を忍ばせて、恐る恐るプレゼントを取り出し、おずおずと差し出した。
「あー、えーと…これ」
「…は?何コレ」
奇麗に包装された箱を受け取って、が再びどかっと椅子に腰掛けた。不思議そうに箱の裏表を眺めている。
「いや、だから…誕生日、プレゼント」
「誕生日?」
は、は?と言いそうな顔で土方を見上げてから、卓上カレンダーに視線を移す。
「……トシ、今日は何日だ?」
「9月の13日だろ?」
「…俺の誕生日は9月14日なんですけど」
呆れ顔で脚を組んでが言い放つと、暫しの間が流れた。
「……は!?だっ、て総……っ、アイツ…!!」
「フーン、総悟がね?」
「あ、いや……」
総悟のお節介を察し、焦る土方をよそに薄笑いを浮かべたままが箱の包装を解く。見てそれと分かる上物の万年筆が現われ、ほー、と小さく漏らした。イイモンそうだから貰おうか、と手の中で転がしながら言う。彼なりに気に入っているのを察して土方は安堵したが、次の言葉にまた顔が引き攣った。
「まーでも、コレは当日じゃないから無効だな」
「………」
「で、別途誕生日プレゼントとして―」
そこで言葉を切ったが机の脚を右足で軽く蹴ると、回転式の椅子はキュル、と左に回り、丁度、左に立ったままの土方と向かい合わせになった。身構えた様子の土方に、間髪入れずの脚が絡みつき、ぐい、と膝を曲げて引き寄せる。腰を引かれた反動で前のめりになった土方の首元、白いスカーフをの右手がわし掴んでベストの中から引っ張り出す。そのままぐんと引っ張られ、首が絞まって若干苦しい土方との鼻が微かに触れた。
「誕生日は一緒に迎えて貰おーか」
いいように振り回される土方の目に、椅子に深く座ったまま不敵に笑うが映り、彼は観念したように、了承の意を込めそのまま鼻を擦って唇を重ねた。
ギシ、
強く押し付けるとの凭れた椅子の背が小さく鳴り、首を締め付けていた手が離れ後頭部に回る。それと同時に、閉じた瞼の向こう側で口角が奇麗に吊り上るのを、土方は熱くなり始めた唇で感じていた。
うーん攻め臭い。苦手な方すみませんでした
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2005/10/2 background ©RainDrop