今日の練習もいつも通りのミニゲームがメイン。はビブス無し組。3バックの左に入っていた。
「…やべっ、来るよコレ!」
 中盤でルーズボールを拾ったビブス組のボランチが右サイドにさばく。オーバーラップしてそれを受け、スピードに乗ったまま駆け上がるに対しがチェックに入った。
!行かすなよ!」
 キーパーがゴール前で数を揃えるFWへのチェックの指示を送り、にも声を掛けた。一旦足を止めたはスパイクの裏でボールを撫でながら出所を探り、は腰を落とす。次の瞬間、素早くボールを左右に振ったは右へ体重をかけた。
「…げっ!」
「甘ぇよ!」
 伸ばしたの左足、その上を浮き球でかわされて、咄嗟に追いかけた左腕は空を切り、振り返ったの背中はあっという間に遠退く。右サイドの高い位置、ぽっかり空いたスペースに躍り出たは迷わず右足を振り抜き、送り出されたボールは寸分違わずゴール前に詰めていた長身FWのヘディングにヒット。キーパーグローブの指先を掠め、ゴールライン手前でワンバウンドの末力強くゴールネットを揺らした。
「ヒュー!」
「キレてんなあの奴」
「まーそりゃ気合も入るわな」
「………ち、」
 拍手と歓声の中ハイタッチを交わすビブス組が軽やかな足取りで自陣に戻るのを、は膝を抱えて見ていた。そのまま両腕を投げ出し、青い芝にごろんと横になる。土の匂いを全身で感じて目を開けると、視界一杯に広がる空が隅から橙に染まり始めていた。
「(…俺が生まれたのも、こんな空の下だったんかな)」
 そうしてずっと、あの高みから俺を見守っているんだろうか。自分をまるごと包み込むような空色に遠い実家が恋しくなって、冷たくなり出した空気に鼻がツンとなる。静かに深く息を吸って目を閉じ、一度だけ喉を上下させた。
、ふて腐れてねーで次行くぞ」
「…んあーい」
 ボールをセンターラインに蹴り戻したキーパーが上から声を掛け、緩んでいた涙腺が元に戻る。「よ、」と腹筋に力を込めて起き上がるとほぼ同時、リスタートの笛が鳴った。

淡い青い秋空の下



ramjet



 都内某所
 この地をホームタウンに据えるクラブチームの練習場は、平日にも関わらず穏やかな賑わいを見せていた。将来サッカー選手を夢見る少年はもちろん、ここ最近は日本代表のアイドル的扱いの影響もあってか、スタンドには若い女性の姿も目に付くようになっている。


 午後の練習を終えて今日の予定は終了。選手は続々とグラウンドを後にしロッカールームへ向かう。の手がクーラーボックスからドリンクを探っていると1つ先輩の選手が声を掛けてきた。
、お前今日誕生日だっけ」
「あー…うん、そうすね」
「ギャラリーが随分集まってるみてえじゃねえの」
「んー…?」
 フェンス越しにファンがぞろぞろ集まっているのが横目に見える。その中で学校帰りらしい制服姿の少女が2人、『くん誕生日おめでとう』と書かれたパネルを掲げていた。
 は手に取ったボトルを傾けて、甘酸っぱいスポーツ飲料を口一杯に含む。そのまま少し考えるように静止してから、それを一度に飲み込んでキャップをカツンと閉めた。
「…ま、でも他は全部のじゃないすか?」
「はは、そうかもな」
 お互いちょっと自虐気味に笑う。ボトルをいささか乱暴にボックスに放り込むとは、動きやすい季節になりましたねえ、なんて背筋を伸ばしながら、無造作に転がったままのボールに足を絡ませ、片づけを始めているスタッフに軽くパスした。風邪引かないようにうがいしとけよ〜なんて母親みたいな事を言ってくれるスタッフに、はいはいと笑いながら了解の返事をし、先輩と肩を並べてもロッカールームに下がった。




〜!」
くーん!お誕生日おめでとう!」
「私からも、はい!」
「サイン下さ〜い」
「写真いいですか?」
 シャワーを浴びてロッカールームを最後に出ると、低めのフェンス越しに黄色い声で呼び止められた。スーパースターでもない自分のために、毎度健気なファンを持ったものだと思う。
「あ…うん、どうも。ありがとうございます」
 誕生日プレゼントと称して包み的なものをいくつか受け取って、サインと写真に応じる。面倒がってファンサービスを怠る選手もいると聞くけれど、こちらからしたらたったこれだけで毎回応援に駆け付けてくれるなんて有り難いことこの上ないわけで。まあそんな贅沢抜かすのは大抵、押すに押されぬ人気選手だったりするのだけど。チームのイメージも背負ってるわけだし、やっぱりその辺はプロとしてどうかと思うわけで。
「次も頑張ってくださーい!」
「どうもー」
 一頻り営業を終えたら結構な時間になってしまった。両手に貰い物を抱えたまま駐車場まで歩くと、
「……え、まさか」
 選手の車はひとつも残っていなかった。
 普通自動車免許は持っていても車を保有していないは、いつもチームメイトに送迎してもらっているのだが、今日はサービスが長すぎたため置いて行かれてしまったようだ。誕生日だというのに何とも薄情と言うか、これじゃスタッフが仕事を終えるまで待ってなきゃならないのだろうか、まあ最悪タクシーだけど…と大荷物のまま立ち尽くす。
 プップー
「……?……あ!」
 クラクションの音を辿ると、駐車場から出た道路沿いに見慣れた黒い車が停まっていて。ぱっと顔を明るくしたはもたもたした足取りで走り寄った。運転席横の窓を伺うと、濃い目のシールドに映った自分の顔がウィーと滑って運転手の顔が覗く。ブラウンのサングラスを少しずらすと、若干不機嫌そうな(いつもの事だが)たれ目がこちらを見遣った。
「…おせーよ」
「いや、うん、ほんとすまん」
「いいから早く乗れ」
「マジ感謝!亮大好き!」
 ストレートな言葉と笑顔に、三上はサングラスを外して誤魔化しつつ幾分赤面したが、いそいそと助手席に回るは気付かなかった。
「おーお、大人気だな」
「亮様ほどじゃございませんけど」
 どっさり荷物を持ち込んだ同僚に、すぐに顔色を戻した三上はハンドルに凭れて白々しく言う。誕生日でなくとも女性(特に年上)からの貢物が絶えない彼に対して、はもっともな言葉を返した。が乗り込んでドアをバタンと閉めたところで、三上がクラブハウスの周りに居残っているファンに気付く。
「まだ大分残ってるみてーだけど?」
「あ?…あー、あれは待ち」
「なるほど」
 今まさに丁度、クラブハウス内ではチームメイトにして同僚のが来月行われる、日本代表親善試合・メンバー選出の会見を開いている。亮の高校の後輩の藤代くんも、今頃フラッシュに目をチカチカさせてる頃だろう。
はいー選手だよ」
「…そうだな」
 三上はちょっと乱暴にギアチェンジをして、車を発進させた。


「俺もう24だわー」
 走り出してからしばらくの沈黙の後、シートにだらっと凭れたが誰に言うでもなく呟く。三上は隣をちらと見たが、何も言わなかった。
「参ったね…いくつんなっても1年の長さは変わらねーんだもんな」
 去年、2006年のワールドカップは傍観者で終わった。チームメイトの先輩がメンバー選出されてドイツまで行ったけど、途中出場が数回だけだった。大会終了後に代表監督が代わってチームも一新、自分と同年代の選手は皆、多かれ少なかれ期待を持ったはずだ。それからもう丸1年が過ぎた。そんな期待、持っていたこと自体恥ずかしくなる。
「ガキの頃なんてさー…早く大人になりたくて、大きくなりたくて仕方なかったのに」
 チームにおける成績は悪くない。
 今季に入ってからは自分の一番得意な左バックをほとんどフルで任せてもらえるようになったし、それなりの結果を出しているつもりだし、常識も平均的にあるつもりだし、態度にも気を遣っている。三上も多分、ほとんど似たような感じだと思う。
「夢の先って何があんのかな、」
「分かんねーよ」
 三上がいきなり口を開き、驚いたは隣を振り返ったが、三上の目は真っ直ぐ前を見据えていた。が何も返さないでいると、
「そんなんまだ知らなくていい。俺らはここで終わりじゃねえ」
「……俺らってマグロみてーだな」
「はあ?」
 黙って聞いていたが突然おかしな事を言うので堪らず三上が首を捻ると、当の本人は何か考えているような顔から一転、得意げな笑みで、声を張って言ってのけた。
「泳ぐために生まれて、生きるために泳ぐ!」
 つられて三上も噴き出した。それを見たはいよいよ誇らしげに口角を上げてみせるが、三上の冷静な一言にぽかんとする。
「誰だってそうだろ」
「………あ、そっか」
 生かされて生きる。ボールを追いかけ出したときから、もう決まっていたのかもしれない。


 一本道の途中、三上は少し腕を伸ばしてオーディオのスイッチを入れた。彼らしい洒落た洋楽が流れ出す。
「んーじゃ、まずリーグ優勝と行きましょーか」
「あ?今俺ら何位?」
「……5位くらい?でも勝ち点差詰まってたし」
「それならまず今週の試合からだろ」
「…そか、んじゃ無失点だな」
「フル出場じゃねえの」
「亮こそ」
 ふふっ、と2人して笑った。いつもは何言ってるか分からなくて不快に思う洋楽も、今日ばかりは耳に心地よい。
「ん?どっか寄んの?」
 独身寮までは直進のはずの交差点で車線変更する三上にが問うと、赤信号に停車してから、照れ隠しのようにぶっきらぼうな言い方で
「…今日誕生日なんだろ」
 はしばし、三上の居心地悪そうな横顔をきょとんと見つめていたが、なんだよ、と少し赤らんだ頬で睨み返されると、いーや、と言って歯を見せて笑う。
「俺ミディアムレア」
「…寿司だろうが」
「マグロは今食う気しねえ」
「なるほど」
 信号が青に変わり、低く唸って車が再発進した。



マグロの呼吸法をラムジェット(ジュート)換水法というらしい

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2005/11/3  background ©hemitonium.