※3Z設定


 コンコンコンコンコン、
 不自然な5回連続ノックが2人の合図。一呼吸置いて返事を待ってからドアを滑らせれば、彼は言葉とは裏腹、焦る様子もなく。
「やべ、また見つかっちゃった」
「隠すつもりないでしょう」
「んー、沖田にはね」
「お互い様ですからね」
「ね」
 最初は敬遠していた、どことなく漂うアルコールの匂いにも、清潔を主張する一面の白に反射して眼球を刺す日差しにも、すっかり慣れて。今や保健室は沖田にとって学校内で一番居心地のいい場所になっている。学校内、という限定はむしろ要らないかもしれない。
「煙草は体に悪いですよ」
 窓際のベッドを囲むカーテンをシャッと開けた沖田はそのまま遠慮なくごろんと寝転がり、その横、風を切って忙しなく回る換気扇のすぐ下、この場にはおよそ似つかわしくないオトナの嗜みを悠々と吹かし込んでいる養護教諭に目を向け、お決まりの台詞をほとんど義務のように発する。それを聞いたは指先から立ち上る煙はそのまま、同じくほとんど反射的に返した。
「我慢するのはもっと悪いんだぜ」
「ごもっとも」
 彼らしい返答に安心したかのように沖田は、ふわあ、と隠す素振りも見せずに欠伸をひとつ。瞼をそっと落とし、そのまま眠ろうとしたがふと気付いて再び目を開けた。見遣った先の男は、完全に開け放した窓の向こう、体育の授業中のグラウンドを眺めていいて。滑り込んだ風が髪をそっと撫でて、心地よさげに目を細める。その風に乗って自分のところまで届いた煙が鼻を突き、沖田はわざとらしく一度大きな咳払いをしたが、それは気にも留めない様子。その横顔に垂直に突き刺さった煙草を見て、本当に危機感のない人だ、と沖田は半ば呆れつつ、折った右腕に頭を乗せて彼の方向へ寝返りを打った。
「そういえばセンセー、今日誕生日でしょう」
「あ?……あー…そういやそうかも。なんで知ってんの」
「うちの担任が言ってました」
「それはまた余計なことを」
 ようやくこちらに目線を戻したは一旦ぽかんとした表情を見せてから、本当にたった今それを思い出したかのように表情を崩し、あの人ロクな授業しねえくせになあ、俺より煙草癖わるいし、と困ったような苦笑いを浮かべている。
「誰かと一緒に過ごすんですか」
「いーやー?今ここにいる時点でかなりアウトだろ俺」
「…そうですか」
「それにこの歳になっちゃ一々誕生日で喜んでらんねえのよ。まあたいして嬉しくもねえしさ」
「…嬉しくない?」
「お前ら若者と違って年取るだけだしなあ。…だいたい一年が365日ってのも人間が勝手に決めたんだぜ?俺ァ今日から26×365日前のある日に、偶然お袋の腹ン中から出てきただけであって。そー考えりゃあ、今日って日は何でもねえいつも通りの一日さ」
 煙草片手に饒舌な彼が、なんだか沖田には哀しかった。それ以上聞きたくなくて、そうですか、と口だけで空っぽの返事をして、話を終わらせようと目を閉じる。にどう伝わったのかいささか怖くもあったが、乾いた秋風になびくカーテンの片隅でおやすみ、と言うの優しい声が聞こえた気がした。



背伸び中腰



 3年に進学したての春。クラスメイトの顔合わせもほどほどに授業が始まったが、受験生モードに切り替わった空気が堅苦しくて沖田は階段を下り、履き潰した上履きをぺたぺた言わせながら保健室までの廊下を歩いた。校舎の一番西のドアまで辿り着き、手を掛けようとしてふと気付く。そういえば養護教諭が変わったんだっけ。前の教諭は中年のおばさんで、そっち方面に受けのいい自分はずいぶん贔屓してもらったものだった。今度来たのは男だと聞くが、果たしてどうだろうか。
「げっ、ちょ、おまっ…ノックぐらいしろよ!」
「ああ、すいません」
 行き慣れた保健室のドアをノックする習慣など沖田にはなかった。見渡す室内の対角線上、一番奥で椅子に腰掛けていた白衣の男は突然のことに慌てふためき、周囲に漂う煙を拡散させようと慌てて両腕を振り回す。傍らに置かれた灰皿もどこかへ隠そうとしたが、
「何ですかそれ」
 つかつかと沖田が歩み寄ると、もう何をしても無駄と思ったのか、ほとんど開き直ったように。
「…言わなくても分かるだろ」
「養護教諭がそれでいいんですか」
「………すいません」
 自分の担任なんかは更にタチが悪いのだが、養護教諭が、しかも保健室内で吸うのはさすがにまずい。それは本人は重々承知のようで、それを察した沖田はその隣にあるベッドに乗って、でかい態度で。
「それじゃ僕これから1時間寝ますから。担任探しに来ても教えないで下さいね」
「………」
「いいですか」
「…どーぞ」
 ことを飲み込んだ男は呆れたような安心したような溜息をひとつ吐いて、早々に新しい煙草に火を点ける。足元に畳まれていた掛け布団をずるずる引き上げた沖田は、
「ああそうだ、先生」
「んー?」
「名前教えてくださいよ」
「……
「そうですか。僕は沖田っていいます」
「それはそれは」
 次の瞬間浮かんだのは、お互い同じように満足げな笑みだった。交渉成立。




 遠くの方で授業終了のチャイムが鳴ったような気がして意識が半分戻った。すると立て続けにの声が降って来て、閉じた瞼の内側で、沖田は安息の終わりを確信する。
「おーきーたーくーん」
 目を開けない沖田をが揺する。それでも起きないと頬をぺちぺち叩く。沖田は瞼に透ける赤い光が、恐らくによって遮られたのを感じ取った瞬間、目を開けるのと同時に勢いよく体を起こした。
「おっ……とお、若いねえ。油断も隙もありゃしない」
 屈んでいたに迫った唇は、すんでのところで冷静な右手に押さえつけられる。油断も隙もないのはどっちだか。再び枕に頭を預けながら胸中で沖田がぼやいた。こんなことは決して初めてではないのだが、それでも毎回この男は同じようにひらりと交わして、次の瞬間にはもう、何事もなかったかのように平然としているのだ。
「次の授業はちゃんと出な」
 もう少しで掠めるぐらいの距離だったにもかかわらず、煙草など微塵も匂わせない。換気扇の傍には消臭剤が置いてあるし、棚には除菌消臭スプレーまで備えてある。デンタルケア用品も常備してあり、実際、証拠隠滅にはかなり苦労しているらしいが、それでも吸いたいんだと言っていて、その中毒性に引いた自分は絶対に吸うまいと思ったことがある。
「ほれ、眠気覚まし」
「…どーも」
 重たい瞼を擦りながらベッドから降りると小さめのコーヒーカップを手渡された。猫舌の沖田にもちょうどよい温度で、もちろんミルクと砂糖も入っている。
「あーあ、お前しわだらけだよコレ」
 沖田の背中を見たが、可笑しそうに笑って、寝てたってバレバレだなあ、なんて言いながら皺だらけになった制服をぱんぱん叩く。
「元から似たようなもんです」
「…それもそうかな」
 沖田から返されたカップを受け取ったは枕の跡でぺたっとなっている頭をまた可笑しそうに撫でて、行ってらっしゃいと言って送り出した。



 だるいながらもその日1日の授業を終えて、放課後の部活動も終えた剣道部の沖田は、部室からの帰り道の途中で明かりの点いている保健室に気付いた。養護教諭は部活動中の怪我に備えて下校時間まで残っているのが普通だけれど、今日の剣道部の練習は特別長かったため、その時間はとうに過ぎている。校舎内の他の部屋はほとんど明かりが落ち、夕時をすっかり過ぎた暗闇に、1部屋だけ明かりが映えて。沖田は一緒に歩いていた土方や山崎に、忘れ物をしただとか適当な事を言って校舎まで駆けた。
「…沖田?なにお前まだ残ってたの」
 ノックもせずにドアを開けたら、デスクワーク中のが驚いた様子で顔を上げた。沖田はドアを閉めてから、近くに置かれた丸椅子に腰掛け、キィと回しての方を向く。
「大会近いもんで」
「はー…剣道部も随分熱心だねえ」
 は机上の書類から目を離さないまま薄っぺらく返した。
「先生は仕事ですか」
「まーそんなモン」
「それって今日中に終わらせなきゃいけないんですか」
 仕事中の手が一瞬止まった。それでもすぐに再開して、やっぱり顔をこちらに向けないままが言う。
「……早く終わるに越した事はないけどな」
「…そ、ですか」
 沖田は深追いせずに、丸椅子を左右にキリキリ回した。は何も言わなかった。紙の擦れる音とペンの滑る音、それに金具の掠る音が重なって蛍光灯の明かりを震わす。随分な空白の後、口を開いたのは沖田だった。
「日本て、四季がありますよね」
「……は?」
「地球が公転してるから」
「…はあ」
 いきなり何の繋がりもない話をされて、堪らずは手を止め顔を上げた。今日の授業で何か習ったのか?ぽかんとした顔で沖田を見ると、本人は足元かどこか、やや低めの目線で言葉を繋ぐ。
「宇宙の根本って丸だと思う。すべてはその上を巡ってて…」
 溢れ出る言葉を一旦塞き止めるように、沖田はそこで言葉を切った。焦点の定まらない目線のまま、一呼吸置いたら顔を上げる。ばちっと音がしそうに目が合って、は1つ大きな瞬きをした。
「円って始まりも終わりもないじゃないですか」
「…うん」
「その上に1つの点として自分を在らしめるのが…誕生日なんじゃないですか、だから、」
 大袈裟なほど大きく息を吸った。背筋が伸びた。
「十分めでたいですよ。今日って日は」
 カラン
 は握っていたペンを放り、立ち上がって白衣を脱ぎ、椅子に掛けられた上着に腕を通す。ボタンを留めながら、座ったままそれを見上げている沖田に
「…腹減ったろ」
「そうですね」
 それだけ言ったらせっせと帰りの支度を始める。沖田をよそに荷物をまとめたら、そのままドアを開けて足を止めた。
「沖田、俺さあ」
 呼ばれた沖田は薄手のコートを羽織った背中をじっと見ていた。
「お前のそーゆーおマセで理屈っぽいとこ、ちょっとうざいけど嫌いじゃないよ」
「…うぜーのかよ」
 咄嗟に漏れた本音は聞こえていたのか、いなかったのか。ファミレスでよかったら付いといで、と右手をひらつかせては部屋を後にした。残された沖田は机の上に目を遣り、
「鍵閉め忘れてんじゃねーか」
 自分の荷物を背負ってドアの施錠と消灯を確認してから、鍵を片手に職員用玄関まで急ぐ。月明かりが照らす薄暗い廊下、駆ける足取りが軽い。



3Zの沖田って標準語でいいんですか

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2005/10/27  background ©RainDrop