鈴虫の羽音が耳をくすぐる、月の明るい静かな夜に僕らは生まれた。
わすれもの
「あー山崎、お前今日誕生日じゃねーの」
「ああ…はい」
空になった昼食の食器をそのままに食後の一服を吹かしていた土方は、傍らの壁に掛かったカレンダーの書き込みに気付き、丁度席を立つところだった山崎に声を掛ける。今日の主役であるはずの男はしかし、曖昧な作り笑顔を返してそのまま席を外した。そういえば隊士の誰であれ誕生日前夜には何かしら祝いの催しがあるはずだか、昨夜は何もなかった。土方は腕を組み訝しんだ顔で山崎の背中を見送る。
「…何かあんのか?」
「なんだトシ、知らないのか?」
隣に座っていた近藤が答えた。問に問を重ねられて、土方は「は?」と短く返す。
「山崎にはお兄さんがいたんだよ、双子の」
「双子?…そりゃ知らなかったな」
「でも、小さい頃に病気で亡くなったらしい」
静かな口調で話す近藤を一瞥してから「そうか」と煙混じりに答え、土方は重くなった煙草の灰をそっと灰皿に落とした。
「山崎にとって、今日はお兄さんの誕生日でもあるわけだな」
近藤が背もたれに寄りかかって椅子を傾けるとギシ、と小さい音がする。土方は何も答えなかったが、さっきの山崎の表情を思い出して口元を隠すように煙草を咥え直した。
*
今日という日に関して、何も気遣いはいらないと局長に伝えてあった。去年も、一昨年もそうだった。自分が1つ歳をとるということについて、嬉しいとかめでたいとか、そういう気持ちは持ったことがない。
あの日から。
「」
呼ぶと君は、何?と丸い目をくりくりさせてこちらを振り向く。僕が何も言わないと、「何だよ、これはやんないからな!」とお揃いのアイスを庇うようにして唇を尖らせた。
「」
白い布に包まれて顔だけ覗かせた君は、返事はしないで目だけこちらに寄越す。僕の表情から何を読み取ったのか、困ったように笑った。なんで笑うの、と聞くと、一時僕の目をじっと見て。そうしてから今度は少し深く、でも静かに笑った。
「」
次に呼んだら目も寄越してくれなかった。目を閉じたまま動かない君の白い顔が、それを取り巻くお香の匂いと一緒によみがえる。血も運命も分け合ったはずの片割れの命は、いとも容易く燃え尽きてしまった。
「」
幼くして亡くなった兄は、山崎家の墓に、先祖と共に葬られた。片隅に小さく置かれた墓石の下が君の寝床。呼び声は、石に纏わりつく苔に吸い込まれて消える。
盆の時期に手向けられた花はもう干からびていて、それを奇麗に取り除く。片手に持った手桶から柄杓で水を掬い新しく供えた花に注ぐと、陽の光を反射してとても美しかった。
「」
この日が来るたびに、この数字を境に僕は。君を置いてまた一歩前に進んでしまうんだ。止まることは許されなくて、僕らの距離は一方的に長くなるだけ。
足を止めたくなるときもあるよ。振り向く度に、顧みる君は小さくなっていくんだもの。次振り向いた時はもう、見えなくなってしまうんじゃないかって。
小さな墓石のてっぺんに、赤とんぼがそっと降り立った。それを追って走り寄ってきた子供が、その赤い尾をじいっと見つめている。
『さがるー!』
こちらに気付くとぱっと花が咲いたように明るく笑って、これこれ!と捕まえて欲しそうに指差した。無邪気に僕を呼ぶ君は幼くて。兄なのに、弟みたいになってしまったね。
「うん、ちょっと待ってて」
薄っすら笑って、足音を立てないように歩み寄ろうとする僕を、後ろから何かが追い越す。
『ー!』
君と同じくらいの背丈の、色違いの服を着た子供だった。右肩に虫取り網を担いで駆けつける。狙いを定めて、えいっと振り下ろしたその網はしかし、獲物を捕らえることはできず空を切り。逃げ出した赤とんぼを、今度は2人揃って追いかけ去って行った。
ああ―やっぱり君は僕の兄なんだ。
僕がどれだけ歳を重ねても、それだけはずっと変わらないんだ。
軽くなった手桶と取ると、中の柄杓がカランと鳴った。僕はまた一歩踏み出すよ。あの頃の君も、自分も、全部丸ごと抱え込んで。
遠く後ろの方で「取ったー!」と歓喜に沸く2つの幼い声が、減り始めた蝉の声に重なって響いた。
それは君の手の中に
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2005/9/24 background ©0501