白くて眩しい鋭利な針金が、足の先から頭のてっぺんまで突き抜ける感覚。聴覚が鈍るかわりに呼吸ばかりが忙しくなって、深く大きく吸い込まれた空気は、乾燥し始める時期にもかかわらず濃くて重い。それが毒のように全身をめぐって熱を帯び、途端にすべてが面倒くさくなった。ついていた腕の肘を折って、抱えていた足を放って、崩れ落ちるようにして体を横たえる。この一連の、瞬きのような一瞬が、にはストップモーションのようにひとつひとつくっきりと感じて取れるのだった。
リクエスト
女受けする恵まれた顔立ちのくせに、そういう臭いが一切しない。スポーツマンシップの一言で片付けようにも、高校生に求めるには次元が高すぎる。まったく期待を持っていなかったと言えば嘘になる。
*
「―っくし!」
自分のくしゃみで目が覚めた。一時的に急上昇した体温のせいでブランケットは足元の方に押し込められていて、未明の夜気は窓越しでも素肌には肌寒い。汗もすっかり乾いていて、干上がった体液のぱりぱりした感触だけが残っていた。
両腕をさすりさすりしながらは体を起こして足元の布をたぐり寄せる。寒そうに丸めた背をこちらに向けている隣の男にもそれが掛かるように広げたが、その際に触れた肩のつめたさにぎょっとした。咄嗟に首元に手をやったらじんわりと温かい。しかしほっとする間もなく、びくりと大きく反応して目を覚ました三上の不機嫌そうな視線に責められた。
「あ…わり、あんまりにも冷てえから」
「お前の手のが冷てえよ」
うん、確かに。とは自分の指を擦り合わせた。三上は体を転がしてうつ伏せになり、ベッドサイドの目覚まし時計に手を伸ばす。小さな赤電球とカーテン越しの月明かりの中で目をしかめ、針を読み取るとだるそうに息を吐く。これから朝練までぐっすり眠るには、ちょっと時間が足りない。
は枕の下にもぐっていた携帯電話を手さぐりで探り当てた。二つ折りの本体を開くと照明に目がくらむ。デスクトップに目覚ましベルのアイコンが表示されているのを確認した。三上は再び寝返りをうち毛布の中に体を埋める。その動作がやや慎重に見えたことと、その際に漏れた溜息の重さから、は隣を振り返った。
「痛かった?」
既に目を閉じていた三上は一度眉をひそめてからゆっくり目を開く。うつ伏せで枕に肘をついているに視線を向けると、自然と上目遣いになった。
「…痛えと思ってやってんのかよ」
「わかんねえから聞いてんの」
質問を質問で返されたはすこし声色を暗くする。三上は逸らした目線を伏した。
「…べつに」
「じゃあキモチかった?」
「……べつに」
三上はまた目を閉じてしまった。
*
働きかけたのはの方だった。勝算がまったくないわけではないとはいえ、本人を目の前にして思いを告げる瞬間には全身が震えたのを覚えている。ただ直球で「好きだ」とだけ伝えるのが精一杯だった。顔を上げて聞いていた三上は手元のサッカー雑誌に視線を落とす。
「いいんじゃねえの、べつに」
「え?……あ、うん…」
何事もなかったかのようにページを捲りだす三上にはどうしたらいいのか分からなかった。思考をめぐらすも、近藤が帰ってきたためそれも途切れる。
「―あれ、来てたんだ」
「お、はよ」
近場のドラッグストアに行っていたらしい近藤は手に持っていたビニール袋からワックスやらスプレーやらを取り出し「これしかなかった」みたいなことを言いながら三上に手渡している。三上は財布を探しに腰を上げた。いた堪れなくなったはそっと部屋を出る。「気ィ遣わなくていいよ」と近藤が声を掛けてくれるのを、朦朧とする意識の中で断った。
「部屋空けてほしいときはいつでも言いなよ」
翌朝のランニング中に声を掛けてきた近藤に突然そう言われた。がぽかんとした顔をしていると、近藤はその意味を取り違えたのか、
「昨日三上から聞いた」
と笑って返してきた。はますます気抜けする。
それ以降三上とは恋仲と呼んでも支障ない関係になったけれど、正直なところ一月ほど経った今でもまだ抜けたままだ。
*
「そんなん関係ねえだろ」
枕に口元を埋めてうつらうつらしていると、三上の声に引き戻された。振り向いた先の横顔は天井の方をまっすぐ見ている。さきほどの痛い・痛くないのやりとりの続きであることを理解するのには少し時間を要した。
本人から聞いたのではないが、彼が可愛いと評判の女子から言い寄られていることも、サッカー部以外でとても仲のいいクラスメイトがいることも、は知っている。それ以外にも三上亮という人間のうちで自分の知りえない範囲といったらきりがないのだろうし、その目のくらむ様な広大さを束縛しようなどとは露ほども思ったことがない。ただ、その中でどうして自分の隣を選んでくれるのかだけ知りたくて、先のぶしつけな質問に至る。
「痛えんなら俺が上やるし」
三上は相変わらずぼんやり上を見ていた。瞬きを繰り返した後、顔中の血管が膨れ上がるのがは自分でも分かる。枕に顔面をごしごしと押し付け、そのまま声を漏らすと綿の中でこもった。
彼は質問に対して、イエス・ノーで答えることがあまりない。ぼやかしたり、まったく違う観点からものを言ったりする。自分はそれも見越していたのだと気付かされた。
「あー、俺やっぱ…」
そこで言葉を切る。三上がこっちを向いたようだった。
「なんだよ」
顔のほてりが治まったところで体を反転させ、仰向けになって毛布をかぶり直す。
「いや、なんでもね。おやすみ」
三上がいぶかしげな顔をしているのが分かったが、はさっさと寝に入った。もう少しで触れそうな肩がほんのり温かい。
すげえ好きだわ、お前のこと
初めてすぎて手さぐり丸だし
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2006/9/14 background ©hemitonium.