黒塗りの公用車が真選組屯所の入り口前につけた。運転手がドアを開けるのを待たず、後部座席に座っていた男が車から降りる。平たい革靴の底がコツリと地に触れ、車高の低い車の中に収まっていた男の全貌が日差しの下に晒される。それはすれ違う人々がみなぎょっとして目を向けるくらいに―とにかく派手だった。
真っ先に人目をひく鮮やかな金髪が光に透ける。黒い靴にベストにスラックス、堅苦しい上着とスカーフは右肩に掛けて。必要以上にはだけた白いシャツの胸元ではシルバーのネックレスがじゃらりと鳴り、耳や指にもいかめしい装飾がぞろぞろと。長袖で隠れているが、その二の腕には一体どんな柄が?とまで思わせるのだった。
男は乱暴にドアを閉めるとすぐに足を進めた。見張り番をしていた隊士は顔をこわばらせて一礼する。その横を男はつかつかと通り過ぎた。
「山崎、客だぜい」
急に慌しく張り詰めた屯所内の空気を察して、縁側で昼寝に勤しんでいた沖田はすぐ横を通りかかった山崎に告げてやる。言われて足を止めた山崎は最初きょとんとした顔で寝転がっている沖田を見ていたが、先の玄関の方から近付いてくる騒がしい足音に徐々に顔を青くした。その彼がはっと危険を察知してきびすを返すときにはしかし、すでに遅く、騒ぎの主はものすごい速さと満面の笑顔で山崎のすぐ後ろに迫っていて。荒々しい走り方に廊下の板はきしみ、障子は震え、沖田の体もがたがたと揺れる。
「さがるー!!ケッコンしよ!」
シンプレックス
「総悟、見なかったか」
背を向けて目をつむっている沖田にでもはっきりと分かるほど、いらついた声が降ってきた。無視を決め込んで黙っていると、「てめぇ起きてんだろ」と足の裏で肩を小突かれる。沖田がやれやれと仰向けに体を転がしてアイマスクを持ち上げると、不機嫌そうに冷めた目をした咥え煙草の土方がこちらを見下ろしていた。―灰が落ちるだろうが、この野郎。
「山崎ならあっちでさあ」
2人が走っていった方向を面倒そうに指差す。
「―たく…どうせ指令書だ。お前も起きとけ」
差した方角へずしずし歩いていく土方の背中を見送ってから、沖田も体を起こした。
本日の来客、。1年近く前に庁内警備局から引き抜かれ、現在警察庁長官補佐官。異例の若さでの抜擢と奇抜な外見により、地方の賊や暴力団をいくつ潰したとか、影で違法入国天人を何人葬ったとか、彼に関する物騒な噂や憶測話は絶えない。そんな所が気に入られたのか何なのか、長官の松平にはずいぶんと可愛がられているようで、忙しいときにはよくこのを使いに出すのだった。
「さん、いつも言うようですが僕は男なので…」
後ろから豪腕にがっちり抑え込まれて髪にすりすりと頬擦りをされながら、山崎は力ない声で何度目かも分からない断りの台詞を吐いた。言われたは、その見かけとは似つかわしくないほどの明るい表情で山崎の顔を後ろから覗き込む。
「だいじょぶ、松平のジジイに頼めばなんとかなるから!あとじゃなくてね!」
「長官は神か何かですか!?」
「ねーだからケッコンしよケッコン!」
山崎のツッコミをものともせず、は尚もケッコンを迫る。因みに彼の言うケッコンとはもちろん結婚のことだ。血痕とかそういうのではない。
微弱ながら抵抗する山崎とそれを容易く抱え込むが揉み合っている所に土方がたどり着いた。予想を裏切らないお決まりの流れに彼の気分はますます滅入る。
「おい!まず指令書をよこせ。仕事だろうが」
「ああん?」
は煩わしそうにメンチを切った。上司の補佐とはいえ、年下らしからぬ態度に土方の青筋が1本増える。の腕の中の山崎だけが唯一、現れた救いの手に明るい顔をしていた。は舌打ちをしながらだるそうに腕に持っていた上着の内ポケットを探り、封書をひとつ取り出す。
「あーはいこれね、ほらよ」
ぞんざいな扱いを受けてしわだらけになっているのは松平から真選組への指令書だ。中身は電話口では伝えられないほどに重要なものだと、この男は分かっているのだろうか―受け取った土方が怒りのあまり強く握るので、またしわが増える。この場で説教してやろうかと思ったが、これ以上言い争ってもストレスが溜まるだけなので止めた。早いところ近藤の元へ指令書を届けることにする。
「…え、副ちょ…?ちょっと!助けてくださいよおお!」
遠ざかる土方の背中にすがるようにして伸ばされた山崎の腕は、もちろんに丸め込まれた。
「わはは、いいなあ山崎、玉の輿じゃないか!」
「よくないです…」
やっとのことでの束縛から逃れ、(は松平の呼び出しを受けて渋々帰って行った)その退去を報告に山崎が局長室を訪れた。(蛇足だが、局長への挨拶もなしに真選組屯所に進入しそして去っていくなど、だからこそできる芸当だ)その頭をガシガシ撫でて、近藤が豪快に笑っている。の寵愛を受けて既にボサボサになっていた彼の髪が更に乱れた。指令書の件でその場に居合わせていた土方と沖田も話に割り込む。
「いや、乗るのは男だから逆玉じゃねえか?」
「でも乗られるのも男ですぜ」
2人のツッコミに、真顔の近藤は「うーんそうか」と考え込む。
「じゃあ…どっちなんだろうな山崎?」
「どっちでもいいですよ!ってか乗りませんよ!」
「ああ、乗られるのは山崎の方だったねい」
「そういう話じゃねえええ!」
心身ともにくたくたになった山崎は、おぼつかない足取りで局長室を出て行った。襖が静かに閉まる音が部屋に残る。なんとなしに3人とも口をつぐみ、最初に開いたのは土方だった。
「しっかし…なんでったっては山崎なんかに惚れ込んでんだ?あんな地味な奴」
確かに、と山崎というのは異色の組み合わせだった。いかにも喧嘩っ早そうで、髪の色から装飾からとにかく目立つに対し、山崎は黒くて重たい髪形、長い前髪に色白、と『地味で目立たない奴』そのもの(監察方をやっているせいもあるだろうが。)の好みのタイプとは、どうも思えない。
「人は自分にないものを求めるものなのか…」
「おや、お2人とも知らねえんですかい?彼等の馴れ初め」
何食わぬ顔で言う沖田を、土方と近藤は合わせて振り返った。
「知るかそんなん…お前の情報網どうなってんだ」
「え、総悟知ってんの?教えて教えて!」
「そんじゃ話して差し上げまさあ、以下回想。ホワンホワンホワ〜ン(効果音)」
「あっ、総悟の頭からピンクい煙が!」
「なにこの展開」
――― ありゃあの兄貴が長官補佐になりたてで、初めてうちに来たときのことでさ。今と同じようにとっつぁんの指令書を持って来たんだが…なにせ血気盛んな成り上がりの若造ですからねえ、態度から服装から何から、粋がっててしゃあねえや。最初に会った頃の刺々しい印象は2人とも覚えてるでしょう?で、そんときに茶出しをさせられたのが山崎だった。奴ァ兄貴の剣幕にびびりまくりでかなり嫌がってたんだが、当番制で他にやる奴もいなかったんで仕方ねえ。恐る恐る盆持って部屋に入った。が、緊張のあまり湯飲みを手から滑らせて落としちまう。
『わっ!あ、あ、す…すみません!』
幸い兄貴に茶は掛からなかったが、畳が濡れちまった。形式上うちらは下部組織とはいえ、新入りになめられるわけにゃいかねえってんで、生意気そうな兄貴と初対面でただでさえピリピリしてた土方さんは近藤さんを振り切って怒る。
『テメッ…何やってんだ山崎!』
『わあああすみませんすみません申し訳ございません!』
『こらこら…いや、騒がしくてすいませんねさん…』
兄貴も最初は騒がしい屯所に居心地の悪さを感じていたし、山崎のこともとろい奴だと思って何の関心もなかったそうだが、怒られながらヘコヘコ働いてる姿を見ていて次第に心ひかれちまった。「なんて健気な子なんだ…」ってな具合にね。山崎は恐ろしくって兄貴の顔もろくに見ねえまませっせと片付けたが、兄貴はずうっと惚けた目でそれを見てたそうでさ。まあ山崎にはガン付けられてるようにしか見えなかったかも知れねえが…そんで片付けが終わって、最後のトドメは、
『失礼致しました…』
って、部屋を出るときのシュンとした横顔だったそうでさ
―――
沖田の話を聞いた近藤と土方は目線を斜め上に漂わせて、あー…と想起にふけった。土方が山崎を怒るのはいつものことなので、そのことだけを特別に記憶はしていなかったが、の最悪の第一印象は今でも色濃く覚えている。その悪人顔の下でそんなことを思っていたとは、考えもしなかったが。
「…そういやそんなことあったな」
「くんがいつキレるかと冷や冷やだったぞ、俺は」
「兄貴曰く『あの瞬間は全身に電流が走った』らしいですぜ」
土方が相槌がわりに吐いた煙を、吹き込んだ冷たい風がさらっていく。
「………ベタだな」
「ベッタベタでさあ」
「えっ、いい話じゃん!」
*
前回からさして間も置かないうちに、再びが屯所にやってきた。ここ最近になって指令書の出る頻度が高くなっていたが、どうやらそれはが松平におねだりをしているようだった。松平も松平でが可愛いためそれがお使いに行きたがる子供のようにでも見えるのか、「それ電話でいいじゃん」というくらいの軽い用件でさえもちょくちょくに持たせてよこすようになっている。警察庁どうなってんの?考えるだけで土方は頭が痛い。門の向こうに公用車が見え、そこからが走ってくるのを見るともっと痛い。
「山崎なら仕事に出てんぞ」
いつものように所内を駆け回って山崎を探そうと走る準備万端のを、土方が制した。というか真選組副長の目の前を素通りしようとしている時点でそれを咎めるべきなのだが、なんかもう細かいことはどうでもいい。はさっきまでの上機嫌な顔とは一転、例の不穏な噂を匂わせるような鋭い影のある顔で土方を睨み付けた。
「なんでお前が知ってんだよ」
「俺の指令なんだから当たり前だろうが」
むっ、と音がしそうなほど、は唇を尖らせて不機嫌さを醸す。土方は構わず右手を差し出し、顎を上げて少し見下すようにして言ってやった。
「早くよこせよ。またお使いだろ?」
「近藤局長に直接渡す!」
ぷいと顔を背け、わざと大きな足音を立てながらは局長室の方へ歩いていった。
「…なんであいつは俺にだけあんなつんけんしてんだ?」
が土方に冷たい態度を取るのはいつものことだった。名前を呼ばれことはないし、ましてや敬語なんて聞いたこともない。危害を加えるわけでもない人間をあそこまできつく睨みつける必要だってないのに。まあ、あの松平の下に付いているくらいだし、山崎への態度の方が特別であって元々の性格がこっちなのだろうと考えていたが、どうやら沖田とは親密な話(馴れ初め話は本人に聞いたとしか思えない)をしているし、恐らく近藤に対しては礼儀を尽くすだろう。じゃあ、自分はどうなっているというのか。
「そんなん、山崎の上司だからに決まってまさあ」
独り言に返事が返ってきた。振り返ると沖田だった。彼の神出鬼没な行動にリアクションするのもいい加減疲れてきたので、土方はそのまま話を続けることにする。
「はあ?上司だといけないのか?」
「山崎は土方さんの言うことはちゃんと聞きやすからねえ。まあ、聞かないと怒られるからですけど」
土方は顎に指をそえて、考えもしなかったことを考える。
「…まさかとは思うが嫉妬か?あいつはそんなに馬鹿なのか?」
「今まで気付かなかった土方さんも同じようなもんですぜ」
ちょっとむかついたが面倒なので土方は流す。
「……山崎に話しとくか」
*
今日も今日ではお使いに来ていた。もう松平もネタが尽きたのか、先日の封書の内容などは愛娘の成長日記のようなもので、既に指令書ですらなくなっていた。あまり日も経っていないので、今回もおそらく同じようなものだろう。そんなもの別に読みたくもないので、が本来の目的をないがしろにしても、特に土方もうるさく催促しなくなっている。との接触を極力避けたいという意向もあったかもしれない。
「さがるーケッコンしてー」
お約束の追いかけっこの末に捕らえられた山崎は、やっぱりの求婚にあっていた。逃げ疲れてぐったりしているところに後ろからぎゅうぎゅう抱き付かれる。
「山崎いー!」
土方の声が所内に響いた。はっとして機敏に顔を上げた山崎は、「はーい!」と副長室の方まで聞こえるように大きな声で返事をする。遅れると怒られるので急いで駆けつけようとするが、は腕を放さなかった。
「さん、離して下さい…」
「やだ」
「仕事なんです!」
以前にも、似たようなことがあった。が山崎を捕まえて2人の時間を楽しんでいるところに土方の呼び出しがかかり、山崎は「仕事なので失礼します」と、見たこともないような素早さで腕の中からすり抜けていった。そのあと、空っぽになった腕の中の虚しい感覚を、は今も覚えている。
「ぜったいやだ」
早く行かなきゃまた怒られる―すっかり困ってしまった山崎は、この間土方から言われたことを思い出した。そんな馬鹿なことがあるはずがないと、まるで本気にしていなかったが―『は俺とお前のこと誤解してる。』それが徐々に現実味を帯びてくる。彼の機嫌を損ねるかもしれないと思いながらも山崎は聞いてみることにした。
「…もしかしてさん、僕と副長に何かあると思ってませんか?」
びく、とが小さくたじろいだ。本当に図星なのか?山崎はもうひとつ聞いてみる。
「まさか『ただの上司』の副長に嫉妬、とかないですよね?」
またが反応した。あんなにきつく山崎を束縛していた腕も力を弱めている。山崎はもっと突っ込んでみる。
「わざと大騒ぎするのも、副長への見せしめのつもりだったりして?」
すぐ後ろで、うっ、との喉がなったのが分かる。ずいぶん緩くなったので山崎は腕の中から抜け出した。体を反転させるとは頭を垂れて、いつものガタイのいい体がひとまわりもふたまわりも小さくなっている。山崎はそのいじけた空気に吹き出しそうになったがそれでは示しがつかないので、ふん、とわざとひとつ溜息をつき、腰に両手を当てて見せた。
「そんな回りくどいこと止めてください。子供じゃないんだから」
本当に子供を叱るような口調で言う。は目を泳がせていた。
「騒ぐとまわりも迷惑するでしょう、それに―」
背中を丸めているので、山崎にもの頭を簡単に抱え込むことができた。耳の装飾が頬に触れてひやりと冷たい。度重なる脱色でいかにも痛んでいそうな金髪が、こんなにも細くて柔らかいなんて知らなかった。
「僕だって、追われなきゃ逃げませんよ」
耳元でそう言って、抱きかかえたままの姿勢を維持していると、触れている耳がだんだん温かくなっていた。顔を見れば真っ赤なのかもしれない。好奇心で覗き込もうとすると、きつく抱き返してきた腕に抑え込まれる。はきつく結んだ唇をムズムズと震わせた後、思いを爆発させた。
「だいすき、です!」
耳元で大声を出されて、山崎はキンキンする片耳に苦笑する。それでもひときわ強くなる腕が温かくて、同じくらい歯切れのよい大声で、「はい」と答えた。
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2006/9/26 background ©0501