「うわっなにこれ、生徒会室よりキレーなんですけど!」
遠慮もノックもなしにドアが開く。その向こうで素っ頓狂な声を上げているぶしつけな男を横目で一瞥し、雲雀は顔をしかめた。
G2(group of two)
「え?ってか応接室だし!」
「きみ、誰?」
ドアの上に付いているプレートに気付き、その男はまた無駄にうるさい声を上げる。雲雀はソファに座ったまま冷たい声を掛けた。男はそこでやっと先客に気付き、あ、どうも、と軽く頭を下げた後、雲雀の問いに対して、いやいやいや、とつっこみを入れる仕草で右手をひらつかせた。
「俺、3-C。生徒会長!こないだ朝会で挨拶したじゃん」
「ふうん…代わったんだ」
「まあ、そうだね。新年度だしね」
「見ない顔だね」
「あー、そう。去年転校してきたもんで」
は去年の2学期途中に並盛中にやってきた転校生だった。比較的端正な容姿に加え、家庭の事情により今まで数年間アメリカに住んでいたというステータスがブランドイメージに結びつき、更に転校直後の文化祭で放送部の助っ人として任された校内放送のDJを本場仕込の英語交じりでこなし絶賛されたことなどから、彼は瞬く間に有名人となる。そして数ヵ月後の生徒会役員選挙に他薦され、知名度の勢いそのまま当選してしまったのだ。
新参者が会長にまでなってしまったのは彼のアイドル性に傾倒した女性票に寄るところが大きいのだが、他の立候補者がどれも真面目一徹で面白みがなかったことも原因のひとつとして挙げられる。
は頭を掻きながらずけずけと部屋に入り、断りもなしに向かいのソファに腰掛けた。雲雀は今すぐ追い出したかったがしなかった。仮にも生徒会長である男が、他の役員も連れずに「1人で」この部屋までやってきたことを彼なりに評価していたからかもしれない。
放課後のこの時間は西に傾いた陽の光が校庭側の一面に切り抜かれた窓から斜めに差し込む。開いた窓から滑り込む春先の風は心地よい爽やかさで、校庭にて練習にいそしむ運動部の声を運んでくる。位置的にちょうどが光を背に受ける形になり、風に揺れる細い髪がテグスのように光った。
「ノリで会長なんてなっちゃったんだけどさー、一応仕事はやらなきゃだし。ってことで、この委員だけやけに優遇されてっからなんでかなーと思って調べに来たの」
「…生徒会長のくせに何も知らないんだね」
「うん、だって聞いても誰も教えてくんねーんだもん。なんで風紀だけこんな特別なの?」
「僕だからだよ」
「なーにそれ。去年度の決算、あんたらの内訳ほとんど『その他』だしさ。説明できねーなら減額も考えるよ」
「へえ…きみ、何様のつもり?」
「何様も何も、生徒会長様ですけど」
「めでたいね」
「!」
雲雀なりにかなりサービスをしたと思う。しかしそれも限度を超え、ついにトンファーがビュム、と空を裂いた。
は咄嗟にソファの背凭れに添って体を反らせ、そのままくるんと一回転して後ろへ飛び退く。ぺたっと着地し床に手をつくと、つやつやに磨かれている木目の感覚が伝わってきた。
ソファの向こう側の雲雀は完全に捕らえたと思っていたのか、無表情の隅に僅かな驚きが見える。その右手に突然現れた凶器を改めて見直したは部屋の雰囲気・彼の役職とのミスマッチ加減にぎょっとしていた。
「うおおい、なんつーもん仕込んでんのお前…なんだっけそれ?ト…トン、トング?あ、それは調理器具か」
あれだけ俊敏な、只者とは思えない動きを見せた後にすっとぼけたことを抜かすに、雲雀の眉間の皺が深まる。この部屋のドアを開けた瞬間から、彼の一挙手一投足が雲雀を苛立たせていた。当のはすいっと立ち上がってわざとらしく、さして汚れてもいない制服の裾をパンパン叩いている。一通り終えると、物騒なもんはしまったしまった、と雲雀を諌めながら一度開いた距離をまた詰めた。
ソファの背凭れに後ろから手を掛け、トンファーを見せつけたまま動かない雲雀の顔を覗きこむ。お互いあまり身長は高くない方だが、の方が少しだけ小さいだろうか。
「で?活動費の内訳はどーなってんの?ちゃんと答えてよ」
「その必要はないよ」
ジジッ、とカメラのピントが合わさるように、雲雀の双眸の焦点がに定まる。人より少し色素の薄い瞳に映る自分の顔を見て、雲雀の唇がしなった。
「きみは聞く前に消えるからね」
この至近距離で外すわけがない。と、雲雀は思っていた。
しかし振り切った右腕には何の手ごたえも感じられず、その目は標的すら見失っている。
「だーかーらあ、話し合いで解決しよーって」
後ろからの声にはっとした雲雀が振り向くと、先ほどまで彼が座っていた場所でが優雅に足を組んでいた。お茶とかないの?なんて言いながらまわりを見渡している。雲雀は開いた口を結びなおし、奥歯を軋ませた。
眼差しを感じ取ったはくりっと顔を向け、今までとは少し違う冷えた口調で話す。
「まー、俺もお節介するほど暇じゃないしね、校外までは口出ししねーや。ただ、校内のことは俺が取り仕切る。金の使い道だって自由にゃさせないぜ」
「僕は人の下についたりしない」
「んじゃ俺蹴落として生徒会長にでもなりな〜」
「…咬み殺すよ」
のへ〜、と背凭れになだれかかるに対して雲雀は左手にもトンファーを握った。短い金属音に反応したは頭だけ起こして白々しく眉を上げ、おやおや、とまた元の口調に戻る。
「風紀委員長様は肉食であられますか」
廊下側に置かれた棚には、過去に生徒たちが獲得した盾やトロフィーが所狭しと並べられ、それが西日を受けさん然と輝いている。その手前に立てられたガラス戸にふたつの影が映っていた。
*
いつものように放課後、応接室のドアを開けた雲雀はそのまましばし静止した。その後だんだんと眉間に皺が寄り、唇も不機嫌に歪む。ドアの開く音は聞こえているはずだし、位置的に視界の隅にも入るだろうに、視線の先の人物は何食わぬ顔で当たり前のようにソファに座り、間に置かれた低いテーブルの上に我が物顔でプリントを広げている。その傍らには自分で見つけ出して煎れたらしいお茶まで置いてあった。
「……なんで君がいるのかな」
「あ、どもーお邪魔してまーす」
話し掛けてやっと、まさにたった今気付きましたとでも言うように、男―はおどけて見せ、挨拶がわりにしては嫌にうっとうしく右手を掲げた。その上、ドアを開けたまま立ち尽くしている雲雀に対し、茶を啜りながら、ま、入りなよ。とまで言い放つ始末。
「咬み殺し」に掛かろうとした雲雀だったが、右手の包帯がそれを咎めた。感情を押し込めるようにしてひとつ息を吐き、ドアを閉める。
「ここは生徒会室じゃないんだけど」
「えー、だってあの部屋じめじめしててやなんだもーん」
手に持っていた資料らしいプリントをテーブルの上にばさっと放ったは、駄々をこねるように背凭れにべたーっと横になり、顔だけ雲雀の方へ向けて唇を尖らせる。
「ゴミみたいな書類が溢れ返ってるし、役員はクソ真面目ばっかだし、俺には合わなーい!」
「だからってなんでここなのかな」
「んー?だってここなら綺麗だしー、眺めもいいしー、」
ペラペラ喋るの話を聞き流しながら、雲雀は目を伏せたまま向かいのソファに腰掛ける。はそこで一旦言葉を切り、腕を振ってひょいと体を起こしてそのまま身を乗り出した。膝に肘をつき両手であごを支えて、にこ〜っと音がしそうなほど爽やかに愛らしく笑う。
「何よりアンタがいるし?」
右斜めにくりっと首を傾げるオプション付きだ。
しかし雲雀はそれに流される様子もなく、むしろ少し不愉快であるくらいに腕と脚を組んで、顔の角度は斜め下のままに目だけつい、との方に向けた。
「雲雀だよ」
「ん?」
「名前」
「…ふーん。下は?」
「恭弥」
「ヒバリキョーヤ」
作り物ではない、綿のような笑い方をした。雲雀は目を見張る。
そのままにしておいたら顔まで赤くなっていただろうが、すぐにが仕事に戻ったためそれは免れた。
昨日と同じように、窓からは西日と遠い校庭のざわめきが流れ込む。それに紙が擦れる音が重なり、この部屋だけ現実から隔離されたような空気を醸していた。応接室で1人静かに放課後を過ごすのは雲雀の日課で、彼の数少ない心休まる時間のひとつだ。なにも言わずともそれを感じ取っていた他の風紀委員は決してこの時間この部屋に近付くことはしなかったし、雲雀もそれをよしとしていた。
それが今、昨日知り合ったばかりのよく分からない男にずけずけと侵されているというのに、なぜか彼はそれに腹が立つこともなく、それが自分自身不思議だった。
「あ、そーいやそれ大丈夫?ごめんねー」
プリントに書き込みを入れて1つの束をパチン、とホチキスで留めるとひと段落着いたのかが顔を上げた。ずっとにらめっこしていた資料は来週の生徒会総会のものと、それに関する役員の発案をまとめたものらしい。向かいの右手に巻かれている白い包帯を指さして言われた謝罪というには粗雑な一言に、雲雀の方眉が引き攣った。
これは昨日のやり合いでにやられた傷だ。両手にトンファーを備えた雲雀に対し彼はまったくの丸腰だったが、壁際に追い詰められた歳、隅に置かれてあった掃除用具入れからホウキを取り出しそれで応戦してきた。トンファーを受けて折れた竹製の柄は尖っていて、それが雲雀の右腕を掠ったというわけだった。
因みに喧嘩の決着は雲雀としては思い出したくもないのだが、そのホウキの柄のまんなかあたりで頭部を打たれた彼が意識を手放すことで訪れた。気付いた時には保健室の白いベッドの上。放って置けばいいものを―の行為に雲雀はいよいよ怒りを憶えた。因みにはというと手の平を擦りむいた程度。完敗に情けまで付けられては彼のプライドは原型を保てない。
そんな昨日の今日である今に、大人しく向かい合って空間を共有していることが、だから雲雀には不思議なのだ。
先の一言にしても、やはりの行動は逐一雲雀の気に障る。しかしそれは苛立ちを生むものではなくて、その感覚に雲雀は戸惑っていた。
「……厭味にしか聞こえないよ」
「ひどーい。俺本気で謝ってるのに〜」
「…何者なの、君」
真面目に考え込んでこの男の相手をしても無駄な労力を消費するだけだと気付いた雲雀は話を切った。ふうと息をついて緊張を解き、そろっと背凭れに肘をかけて頬杖をついて流し目でを見遣る。はその色っぽい動きに一時みとれたが、馬鹿ではないので口にはしなかった。黙っているとまたヒバリの機嫌が悪くなりかけてくるので、あー、と会話を繋ぐ。
「ナイショ」
「…聞くところによるとアメリカ帰りらしいね」
「やだーヒバリ君がボクのこと探ってる!興味津々?」
間に合わせの嘘さえつかずに話を逸らしたことは重い真実の裏返しだ。
もったいつける態度に苛つかないわけがなかったが、興味をそそられているのも事実だった。はぐらかされて堪るかと訴える雲雀の視線に応じるようにしてはおどけた表情を取り払う。
「まー…もっと仲よくなったら教えたげるよ」
多分ね、なんて付け足しているが、やはり教える秘密があるということだ。この話はもー終わり!とが1人で勝手に切り上げたが、雲雀も今のところはそれで納得することにした。
美味い食事に出会ったときの感覚に似ている、と気付く。雲雀は美食家だった(当然のように)
値段だけが味を左右するのではないことも、味覚は人によって千差万別であることも重々分かっている。だからこそ自分の感覚は常に研ぎ澄ませているし、その細い糸に触れる数少ないものは決して逃さない。自分の判断は少なくとも自分の中において絶対だ。原因や理由なんて考えていたらきりがない。ただ結果としての事実がそこにあるなら、それ以上に頼れるものはないのだ、誰にだって。
*
「(…いた)」
あれからはちょくちょく応接室にお邪魔するようになっていた。頻度というと、週の半分ほど。
が生徒会長であることは毎日変わらなかったが、生徒会とて毎日活動しているわけではない。そのうち生徒会を絡ませずともが入り浸るようになるのは目に見えていたが、今はまだその段階ではなかった。彼はいつも雲雀より先に中にいて、逆に言うと雲雀よりも後に来ることは初めて会った時以来一度もない。よって近頃の雲雀は応接室のドアを開けるたびにくじ引きのような感覚で僅かに胸が高鳴る(実際にくじ引きで興奮したことはない)のだが、それは雲雀自身が自問の中で必死に否定しているので、ここではあまり触れないでおく。
すっかり自分の持ち部屋のように馴染んでいる応接室の中では、茶を飲んでいたり掃除をしていたり、観葉植物の手入れをしていたり雑誌を読んでいたり、もちろん生徒会の仕事をしていたり。実に思い思いに過ごしているのだが、今日は昼寝をしていた。というか膝の上の雑誌を見る限り、読んでいる途中で眠ってしまったのだろうが。
いつも座る右側のソファの背凭れに頭を預け、無防備に口を開けている。涎を垂らしそうな間抜け面だ。雲雀はその顔の横に手をついた。単純に、もっと近くで見たかったから。動物だって気になるものがあるとまず鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。それと自分が同化するのはなんだか哀しいが。
自然と手が伸びて、起こしてしまうかもしれないという懸念よりも触れたいという欲望が勝ろうとしていた。
「―!」
雲雀は咄嗟に身を引いた。我ながらかなりの反射神経だったと思うが、すぐ裏にあったテーブルに脚がぶつかって体勢を崩したのはちょっとかっこ悪かった。
「あれ〜なんで逃げるのー」
雲雀の指がの頬に影を作った、と思ったら不意にの目がばちっとひらき、その上寝起きとは思えない素早さで身を起こしてきたのだ。あわや唇が触れるところだった。驚きと狼狽を隠せないでいる雲雀に対し、不服そうなは、寝たふりしとくんだった〜、と唇を尖らせる。
この唇を尖らせる仕草、もしかして自分を誘ってるんじゃないかと雲雀はなんとなく感づいていた。
「…本気で言ってるの?」
「もっちろーん」
雲雀の中のどこかにあるらしい最高指令機関がその挑発に乗る判断を下した。ソファに膝をつき、ネクタイを掴んで引き寄せる。先ほどよりも更に、睫毛が触れ合いそうなくらい顔が近い。まさに眼前のは影の中で目を細めて唇を吊り上げていた。
「その表情…気に食わないね」
「じゃーヒバリが歪めてさせてー」
「言ったね?」
負けじと不敵な笑みを浮かべた雲雀の左手はネクタイの結び目に手を掛けそれをスルスルと緩め、右手は胸を伝ってベルトまで下りてカチャカチャと金属音を立てる。すっかり唇に噛み付いてくると思っていたはピク、と小さく反応し、細めていた目をまるまると開け広げた。
「わ、ちょっ…待て!そっち!?」
「かわいい顔できるじゃない」
声を上げたら間髪入れず、雲雀の左手がの顎をガッチリ掴む。そこでやっと唇がかち合った。離れるときにぬるりと糸を引くほど深い口付けだった。
ぷつっとそれが途切れたところで、大きく息を吐いたの体から力が抜ける。雲雀の肩に頭を預け、参った、と肩を震わせた。雲雀の視界の隅でふわふわと髪が揺れる。
「ここ、居心地いいけどー…」
肩に触れる額が温かい。この位置で目が合わないのは分かっているが、雲雀はできる限り下に目を伏せた。
「…仕事になんないかも」
「上等だね」
吹き込んだ風が、床に落ちた雑誌のページをぴらぴらとめくる。笑っているような音だった。
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2006/7/16 background ©KUUN