気付かないふりをして、君にの罠にはまってあげる
My dear booby
「…」
橙に照らされるスタンドライトの下、肌に馴染んだタオルケットに包まって本を読んでいるところに控えめなノックとドア越しのこもった声が耳に届く。でも返事はしないで読書を続行。ちょうどいいところなんだ。
「………」
文庫本の薄い紙を指先でもてあそびながら放置を決め込むと、先よりさらにトーンの落ちた細々しい声でもう一度呼ばれた。もうノックはない
「、…」
「………」
「…、……「あーはいはいはい!分かったから入れよもう!」
それしか言葉を知らないのか!ついに痺れを切らし、栞を挟んで乱暴に本を閉じる。うつ伏せの体勢のまま振り返ると、カチャ、と極力小さな音で僅かにドアが開いた。その隙間からみっともない顔をひっそり覗かせるのは他でもない自分の恋人。
「…入れって」
「……」
しょぼしょぼとした動作で部屋に入りドアを閉め、とぼとぼとすり足でベッドに歩み寄ってきた。身に着けているのはお気に入りの全身牛柄パジャマだ。お前寝るときくらいもっと落ち着いた服着ろよ、と思うけど、どうせ脱ぐんだしまあいっか。
「ん」
「……」
布団の端を内側から持ち上げて中に入るように促すと、黙ったまま滑り込んできた。風呂に入ったばかりなのだろうか、低体温の体が温かく、髪も少し湿っている。
「…」
もぞ、と体を起こして、上から覆い被さり視線を絡めてくる。付けっぱなしのスタンドライトが斜めに差し込んで、彼の通った鼻筋と長い睫毛を強調していた。いつもならこの後はボタンを引きちぎるくらいの勢いで脱がせに掛かって来るのだけど、今夜はなにやら我慢をしているかのようにむず痒い顔をして、じっと顔を合わせたままだ。不思議そうに見つめ返していると、そのまま唇が額に落ちてきた。続いて瞼、頬、鼻先を、ちゅ、ちゅ、とついばむ。外ハネのくせっ毛が顔にかかってくすぐったい。
「………」
慣れないことに必死になるから、落ち着きがなく何度も同じところを行ったり、来たり。なんだ、どっかの雑誌で読んだのか?つれない恋人には焦らすのが効くって?しょーがねえなあ、
「ん、ランボ…」
鼻に掛かった声で呼べば不自然なほど勢いよく顔を上げて、期待に満ちた目で見つめ返してくる。その顔の情けなさったら!思わず吹き出しそうになり、肩口に額を埋めて引き攣る唇を誤魔化した。直に体温が伝わってきて、首筋の大動脈から今にも鼓動が聞こえて来そうだ。対応に困ってぎくしゃくしているどうしようもない男には、一番欲しい言葉を与えてやろう。背中に腕を回して牛柄の生地をきゅっと握る、恥じらいの仕草も忘れずに。
「はやく…、して」
しがみ付いた体が大きく1つ、どくんと鳴るのが伝わってきた。続いて喉仏が1回、ごくりと上下する。脈はますます速くなっているし、息も乱れてきた。見えないけど、目は爛々としているに違いない。
「…っ」
切羽詰った声で縋るように呼んで、体がベッドに縫い付けられる。本当に動物みたいだ。襟から覗く首筋に、鎖骨に噛み付いて、こうなったらもういつも通り、いつもと同じ。お決まりの流れ。
「あ、ん」
既にこちらの反応なんてお構いなしなのだけど、俺も律儀に反応を返してやる。淫靡に肢体をくねらせて逃れようとすれば、全力でそれを抑え付ける。彼がそれに興奮するのも知っている。
愛だとかそんなん必要ないだろう。男なんて、触るとこ触られればそれだけでいける。現金で便利なもんなんだ。
*
「(ねむー…)」
遅めの朝を迎えてひとっ風呂浴びた後、眠たい目でネクタイを締めながら部屋から出る。あいつは一足先に自室へ戻った。周りの目もあるし、明るくなるまで一緒にいることは滅多にない。スーツのボタンを留め、なかなか稼動を始めない頭で今日の予定の記憶をひっくり返す。えーとなんだっけ…とぼやきながら1つめの角を折れたら、見覚えのある後姿に眠気が吹き飛んだ。駆け寄りながら声を掛けると、あの淡白な横顔だ。
「リボーン!」
「…か」
「どしたの?何しに来たの?」
大方、ボンゴレのボスに何か言いつけられてきたんだろう。でなきゃわざわざうちまで出向いたりしない。リボーンはボヴィーノの前じゃ大抵お高くとまって人を寄せ付けないけど(こっちから寄り付く人もあんまりいないし)俺にはいつも構ってくれる。ノラ猫をじゃらすような軽い感じだけど、彼なりの好意の表し方だと思っている。背後の物陰からこちらを伺っている、全く相手にされない一方的なライバルのあいつとは大違いなのだ。
「あんま騒ぎ立てんな」
「なんでっ」
するりと慣れた手つきで腰に手が回されて、口の端に軽く唇が触れた。後ろから見ているあいつには、普通にキスしたように見えたに違いない。そんなのあり得ないのにね。俺もリボーンのこと好きだけど、彼は俺とあいつの関係を知っているし、お互いそういう感情じゃないし。でも、あいつのおつむじゃそんなことまで気付かない。声も聞こえてないだろうし。
「馬鹿が寄ってくるからな」
今度は耳に唇を寄せて囁く。吐息がくすぐったいのもあって、俺は笑いながら首をすくめた。傍から見たらどう見えるんだろうね?リボーンは無論すべてお見通しで、至極楽しそうな顔をしている(無愛想だけど、彼の基準で)
「じゃあな、仲よくやれよ」
「急いでるの?」
「まあそんなとこだ」
頭をポンポンと軽く撫でて、リボーンは背を向け去っていった。あっちはボスの部屋だ。やっぱり…また何かあんのかな、とぼんやり考えつつ見送ってから振り向いたら、もう既に陰はなかった。今夜あたりまた凄そうだな…リボーンに限らず、他の男と親しくしたときは毎晩そうだ。あんな奴にも独占欲ってあるんだなあ。
仕事は夜までに一通り片付いた。風呂上りの髪を拭いながら階段に足を掛けると、視界の隅を人影が横切る。
「……?」
僅かにしか確認できなかったが、間違いなく牛柄だった。あの服は外出用だ。向かった方角も出口の方だし、あんないそいそ…こんな時間にどこ行くんだ?普段は俺から持ち掛けることなんてないし、毎晩会ってるわけでもないから、あいつがいつも夜中に何してるのかすべて知ってるわけじゃないけど。どーせ部屋で大人しくしてるんだろって、決め込んでいた。
「(…やっぱりいない)」
あいつの部屋は1つ下の階。自室に戻る途中で寄ってしまった。自分から赴くなんて本当に久しぶり、ほとんど初めてだ。壁には、こんな趣味あったのか、っていう絵が飾られている。思ったより綺麗にされている室内を見渡しつつ、空っぽのベッドに腰を下ろすとやんわり受け止められた。そのままごろんと横になると、ぼすっと音がして、布団から押し出された空気はあいつの匂い。興味ないから詳しく聞いたことはないけど、お気に入りのコロンらしい。部屋全体に染み付いている。前に一方的に見せ付けられたっけなあ、と華奢なビンの形を思い返していると、無意識に寝返ってうつ伏せて、大きく深呼吸していた。ゆっくり息を吐き出す途中で我に返る。
「(何やってんだ)」
誰に見られたわけでもないのに、慌てて体を起こし、乱暴に頭をかいて照れ隠し。突如、いつ帰ってくるか知れないという心配に駆られてベッドから飛び降り、皺の寄った布団を適当にならす。見渡して痕跡がないのを確かめてから急いで部屋を後にした。
*
次の夜、どことなく落ち着きなく本のページを捲っていると、ドアのノックと自分を呼ぶ声。いつものように連呼するのを聞き流しつつ、本の内容がほとんど頭に入っていないことに気が付いた。誤魔化すように1つ咳払いをしてベッドサイドに本を放る。できるだけ普段通りに手荒い返事をして招き入れると、いつもの冴えない顔だった。がっかりしたのか、ほっとしたのか、自分でも判断しかねるが、胸の温度が平常に戻るのを感じる。
今日も今日とて焦らし作戦だ。一度味を占めると一週間は離れないのがこいつのパターン。付き合い程度に反応を返して、そろそろ仕掛けてやろうとしていたところで声が掛かる。いつもは最中の会話なんて成り立たないし、その上声がとても冷めていたので正直驚いた。
「ああ、そうだ、」
「…な、に」
「夕べ、ごめんね」
「!?」
「あんな時間なのに、ボスにお使い頼まれちゃって」
こいつ…!?
昨日は特別約束していたわけじゃないし、曜日や週を決めてるわけでもない。どういうことだ、まさか……
なに言ってんだよ、って言葉すら出て来ない俺をよそに、ランボはさっさと行為を再開した。俺は思考の渦に飲まれたままなし崩されて、詰まったはずの喉からは意図しない声が出る。違う、俺にはすべてお見通しだ。気付かないふりをして、こいつに付き合ってやってるだけ。
「んっあ、う…」
違う、違う
――いや、おかしいな、分からなくなってきたぞなんでこんなに胸が熱いんだ。吐息が首を撫でただけで、なんでこんなに…肺の裏からぞくぞくするんだ。
「…」
かさついた指先に体が跳ね上がる。囁かれた名前は耳の奥まで吸い込まれて、脳まで甘く麻痺させる。嫌な予感は快楽で丸め込まれ、頭の隅へ流れて消えた。
「ラン、ボ…」
囚われてんのはどっちだ?
back
2006/3/29 background ©hemitonium.