小さめなカフェの店内で一番明るい位置、通りに面した大きなガラス窓に沿って、お堅いスーツ姿の男が2人、足の長い丸テーブルを挟んで向かい合わせに席を取っている。若い方は足を組み椅子に凭れながら少し熱めのエスプレッソを啜り、白髪混じりの方は真剣な顔で手に持った書類に目を通している。2人の沈黙が暫く続いた後、すべて読み終えたのか、白髪の男がトントンと書類を整えながら静かに口を開いた。
「…文句なしだ。相変わらずだな」
「どーも」
「約束した分だ。受け取ってくれ」
 書類を一旦机の上に置き、懐から厚みのある封筒を取り出し机上を滑らせる。若い男もカップから手を離しそれを受け取った。細い指が封を開け中身を引き摺り出すと札束が覗く。男は半分ほど取り出したままスルスルと数え出した。清らかなピアノの旋律が流れる店内の片隅で紙幣が擦れる。
 慣れた手つきで手早く数えて最後の一枚をパチンと弾き、向かいの初老の男をちらと見遣る。相手が表情を変えないのを確認すると、口を一度結び直してから束を封筒の中に戻した。そのまま内ポケットに押し込んで、真っ白なカップを一気に煽る。
「そんじゃ、用があったらまたどーぞ」
 男が髭の下で軽く返事をするのを横目で見た。洒落た店内を抜け、ドアを押すと華奢なドアベルが踊る。



syndicate



「ったく…ケチだよなー」
 スーツ新調しようと思ってたのにがっかり、とぼやきながら賑わう昼間の大通りを流れに沿って歩く。不満はあるものの、金持ちのお得意先とあっては中々言えないものだ。というか額的には約束通りなので向こうとしては文句を言われる筋合いはない。ただ今回は思ったより苦労したし、期限にもやっとの思いで間に合わせたのになあ。まあ相手の知るところではないのだから仕方ない。頭の中で大雑把な支出を計算しながら残りは貯金の足しにするかと思いつつ、きっとすぐに遊びで消えてしまうに違いない、と溜息をついた。

 名は。肩書きを一言で言うなら、雇われスパイ。難易度相応の金を積まれれば、あの手この手でどんな情報でもかき集めますよという商売だ。膨大な情報が錯綜する昨今だからこそ、人の血の通った生の情報に価値があると思っている。因みにさっきの得意先の極秘情報は一昨日別のクライアントに売った。誰の味方もしないのが一貫したコンセプトだ。味方は金だけ。最近は自分に似た職を持つ人間が集まって情報共有ネットワークを作っているらしいが、入るつもりはない。完全独立の方が客の信頼を得やすいし、自分1人で十分やっていけるという自負もある。

 そんな自分でもかつて1度だけ、しくじったことがあった。いや、小さなミスは正直ちょくちょくあるのだが、今になっても尚引き摺っている失敗は1つだけ。




 やけに重々しい空気の中で持ち出された契約は、やはりそれ相応のターゲットだった。誰もが恐れるボンゴレファミリーともなると流石の自分も怖気づきそうになったが、詰まれた金の高さに食い付いた。若かったのもある。
 だがどんな強力なファミリーであれ、穴となる馬鹿な奴の1人や2人は必ずいるものだ。案の定、下っ端のほうに男色家を見つけ出し、そこに付け入った(因みにこの手は今でも標的次第ではたまに使う。目標達成のためなら何でもありだ。個人的なポリシーで殺しは無しということになっているが、それ以外は)
 しかし後になって、あいつだけは殺しておくんだったと後悔した。標的が思った以上に食い付いてきたお陰であまりにも手際よく仕事が進んだため、相手があのボンゴレファミリーであること、その恐ろしさを忘れてしまっていた自分はやはり青かった。
 標的の男から取れるだけの情報を搾り取り、結果として自分はクライアントから契約以上の莫大な報酬金を受け取ったわけだが、そこでめでたしとは行かない。ボンゴレ内で情報漏洩がばれたのだ。出元は1つしか考えられない。とはいえ、秘密厳守が大原則のこの世界で情報漏洩は重罪。どんな馬鹿でも必死で隠し通すと思っていたのだが…
 すぐに確認したが元・仕事上の恋人の消息はまったく途絶え、存在した事実さえ消し去られていた。やはり自分はボンゴレを舐めていたらしい。一体どんな拷問を仕掛けられたのやら、考えただけで寒気がする。

 そうしてその失敗が切欠で、自分はボンゴレに追われる身となってしまった。口の堅さ(有料)は過去の実績で保障済みなのだが、向こうとしては外部に情報が漏れる時点で言語道断らしい。だがこちらもこんな事柄を仕事にしているとあっては、素性隠しには細心の注意を払っている。そのため何とか今日まで無事生き延びているわけだが、1人だけ別なのだ。




 の足がレンガがひしめく細い路地に入った。壁に沿って座り込む人間の影が点々と続く。決して居心地がいい場所ではないが、意外な情報が手に入ったりするのでよく通る。そんなお宝情報なんて本当にごく稀、なのだけれど。
「!」
 ヒュン
 気配に機敏に反応したが右腕を後方に振り切る。その手に握られたジャックナイフが尖った音で空気を裂き、いつの間にか後ろに立っていた男のボギーハットの縁を掠めた。かっちりセットされていた帽子がずれる。シニカルな表情を湛えてこちらを見据えているのは、ボンゴレのナンバーワンヒットマン
「リボーン…!」
 細く骨ばった左手が帽子の窪みに沿えられ、乱れた位置を戻す。張り詰めた黒い縁の向こう側から、切れ長で艶のある眼光が覗いた。互いの視線はまっすぐにぶつかったまま、瞬きもない。無音の空間は計ったかのようにして破られる。
 ジャッ
――――
 の刃はリボーンの喉に、リボーンの銃口はのこめかみに。交差した右腕は冷え固まってしまったかのように、微動だにしない。

 ボンゴレの追跡から逃れる中で、この男だけ別なのだ。どこから嗅ぎ付けたのか見当も付かないが、自分がボンゴレを売った男だと知っている。それを他に漏らすことはしないのだが、それでも確実に自分の命を狙っていた。殺しはなしの自分だが、相手がその気なら話は別だ。正当防衛というやつ。
 殺される前に殺す。
 リボーンの空いた左手が引き寄せられるように伸びての顎を滑り、親指が唇を捕らえた。薄く色付いた紅をなぞる冷えた指にの舌が絡んで濡れた音を立てる。
「…柔らけえな」
「お前もな」
 のこめかみから標的を外したリボーンの右腕がの首に巻きつき、ぐいと体が引き合わさって唇がぶつかる。ナイフが喉を擦りそうになったの右腕も、リボーンの背に回された。
 お互い冷え切ったこの肢体なのに、お前はなんでこんなに暖かいんだろう。

どちらか手を引けば終わる関係。でも俺からは引いてなんかやらない。
こんな形でしか保てない関係。不器用だけど引き伸ばしてあげる。

 同時に引き金を引いたら―胃の奥底から湧き上がり喉元まで込み上げ、口をついて出そうなのを寸でのところで飲み込んでいる。甘ったるい考えは捨てろ、虫唾が走る。


 首に絡みついたの左手がリボーンのうなじを撫で上げ、ボギーハットが静かに滑り落ちた。背に回されたリボーンの左手はスーツをくしゃくしゃにして、の体が潰れそうなくらい強く抱き寄せる。黒い帽子は風を受けてふわりとひと舞、地に触れる音は2人分の濡れた吐息に掻き消された。両者の右手、緊張感は決して緩むことなく。
「「(俺が先に殺す)」」

突き付けた冷たい凶器で、きみの柔肌を感じているよ



back
2006/2/1 background ©m-style