くそ、落ちない。こっちのタックは取れかけてるし。これだから賊相手の仕事は嫌だ―仕事終わりにお約束の文句を垂れつつ、白く汚れた裾や袖をパンパン叩きながらタイル張りの廊下を進む。綺麗好きながそれをクリーニングに出すよりもまず先に足を運ぶのは勿論ボスの所。一番奥の部屋までたどり着くと、落ち切らない埃は一旦諦め姿勢を正してドアを引く。しかし仕事の完遂について既に電話で連絡を受けていたツナは労いの言葉すら省いて、
「…帰ってきて早々に悪いんだけど、急いでくれないかな」
「……はあ。今は人手足りてませんからね、仕方ない」
他のメンバーの大半は今日、以前から同盟離脱で揉めているグレコファミリーの処分に回っていた。逃げ足の速いグレコにボンゴレは手を焼き、しばらくこう着状態が続いていたのだが、昨日、ピストニア郊外の廃墟ビルにその陰あり、との情報が入り一斉に動き出したのだ。但しは別の仕事が先に入っていたので例外となり、今日は皆と別行動をとっていた。普段前線で活躍しているメンバーがアジトにほとんど残っていない今、他に用事が入ったのであれば例え仕事終わりであれ自分に回ってくるのもやむを得ない、と、思ったのだが。
「そうじゃない」
「は?」
「ピストニアの情報、ガセだったんだ」
「―そんな!それじゃ奴等は今どこに!?」
「アルジェントホテル602号室」
ツナの冷静な声色が、の脳を右耳から左耳に貫いた。聞き覚えのある固有名詞から記憶を辿って行き着いた先、の顔から色が引く。
「そっちって、まさか…」
「山本が1人で行ってる」
名指しされたホテルの情報も、また他の複数の疑惑情報も、ボンゴレは事前に掴んでいた。しかしピストニアの件では目撃情報が伴い、グレコは既にグループ行動ができる程の人数を有していなかったため、そちらが有力であると判断されたのだった。そして念のためという形でホテルの確認には山本が当てられていたのだ。彼はまだ経験も実績も乏しかったが、だからこその安全策とされた。しかし読みは外れ、ピストニアの廃墟にはネズミとカラスだけ、というのは現地からの情報だ。
「獄寺君とリボーンに指揮を取らせて移動を開始してるけど、まだ時間が掛かる。ここからの方が近い」
言葉が出て来ないをよそに、ツナは淡々と話す。仕事中の彼には無駄がない。
「山本はもうホテルに着いてると思う。個人用の電話は圏外で繋がらなかった。…」
呼ばれてはっと顔を上げるとツナの目線にまっすぐ捕らえられた。上と下の関係。任務前のいつもの緊張感だ。
「頼んだよ」
「…最善を尽くします」
1つ頭を下げ、よたよたのスーツのまま来た道を駆け戻る。
unruly
黒光りする高級車がタイヤを軋ませホテルのエントランス前に付けた。運転席からは同じく黒尽くめの男。本人が気にするほど汚れは目立ってはいないだろう。観葉植物が林立し高貴な薫りの漂うロビーを早足で抜ける。敷き詰められた柔らかくて上品な絨毯を踏む度に、しわり、という感覚が靴底越しに伝わった。
「
――武!」
6階で止まったエレベーターの扉が開くと、その先に一本の長い廊下が続く。その途中に佇む黒い影に、は安堵まじりの声を上げた。呼ばれた本人は伏せていた顔を上げ、駆け寄るを虚ろな目で捉える。
「……来てくれたのか」
「遅くなって悪い。…グレコは?」
山本の右腕がゆるゆると持ち上がり、力なく伸びた人差し指が横の部屋を示した。ドアは開いている。が1歩ずつ、ゆっくり中に入る。正面には大きな窓が見えた。いい眺めだ。その手前には高級インテリアが並んでいるのだが、散乱した黒い塊がそれを引っ掻き回して台無しにしている。足元に敷き詰められたカーペットは赤なのかと思ったがそうではない、元はベージュなのだ。
―凄惨―一言で表すとするならそれとしか言いようがない。猟奇殺人の事件現場のような臭いがする。
「なんも覚えてねーんだ」
言葉を失うの後ろで、山本が不気味なほど静かな声で独り言のように呟いた。漏れる程度の声のはずなのに、まるで耳元で囁かれ吐息まで感じられるようでの首周りが粟立つ。その横を流れるように静かな歩みで山本が通り抜け、足を止めて膝を曲げ、その先に転がっていた彼の武器を拾い上げた。一連の泰然自若な動作が普段の彼と掛け離れていて、は素直に不気味だと思う。透けるように美しく光を反射するはずのその刃も今は、赤く染め上げられて彼の顔を映してはくれない。
「でも…俺しかいねえんだ。全部俺がやったんだ」
山本の右手にじわじわと力が加わり、小刻みに震え始めた。振動で刃を滑った赤が滴り落ち、カーペットに新しい斑点を作る。1点1点、模様が増えてゆくのをは黙って見ていた。山本の呼吸が乱れ出す。
「俺が…俺っ、が殺したんだ!全部、俺が!この刀で!」
汚らわしい、触っているのも耐えられないとばかりに、山本は彼の刀を再び足元にうち捨てた。力一杯だったが、柔らかいカーペットに受け止められては鈍い音しか出ない。
「…俺はみんな殺すかもしんねえ…きっと俺が殺すんだ!こうやって!」
間接がギシギシ云いそうなほど指の節々に力を込めて山本が頭を抱える。あんなに頑丈な体なのに今にもくず折れそうだ。の角度からは表情が見えないが、腕の隙間から覗く唇はこれ以上ないほどに歪んでいた。何の言葉も掛けないはするすると彼に近付き、左の手首を掴んで袖をぐいと捲り上げる。
「―!…いて…」
「調子に乗るな」
見ると布という布が赤でべっとり濡れていて、肘の手前は肉が抉れ骨まで覗いている。力任せに捲くったので、生地と肉が擦れ山本が顔をしかめた。はポケットから薄手で大判なハンカチを引っ張り出し、角を口で咥えてビリリと引き裂く。
「お前なんかに殺されて堪るかよ」
「………」
「座って。足も出せ」
端的な命令に従い、山本はぎこちない動作でその場に腰を下ろした。腕の止血を終えたは、続いて立て膝になっている山本の左足の裾を持ち上げる。先ほど山本が刀を拾うのに膝を屈めたとき、様子がおかしいのを見抜いていたのだ。案の定ふくらはぎの下の部分の皮膚が裂けていた。アキレス腱には及んでいないようだ。
「とりあえずこれで我慢しな」
十分な道具は持ち合わせていないため応急処置も満足にできないが、予想を遥かに上回る軽症では胸を撫で下ろしていた。座り込んだまま礼も言わず、先ほどの癇癪とは打って変わって憮然とした表情をしている山本を端目に、立ち上がったは仕事用の携帯電話を取り出し短縮ダイヤルでボスに繋げる。
「―ああ、ボス?です。今さっき合流しました…はい無事です。ちょっと手足に―」
通話を始めたは電話を片手に山本に背を向けた。それを見た山本は音を立てないように近くの刀を拾い上げ、左足を庇いながら腰を上げる。ゆらゆらと数回、抜き身を揺らして右手に馴染ませると、大きく振り上げそのままの背中目掛けて振り下ろした。
ガキン!
火花を散らして金属音が弾ける。刀は銃のフレームに阻まれた。左手に彼の愛銃を握ったは山本を見向きもせずにそのまま通話を続ける。受話器の向こうでツナが音に気付いたのか、「ああ、なんでもないですよ」と途中に挟んで。山本は柄を握る両腕の力を強めたが、の左手はぴくりとも動かなかった。微かに震えて見えるのは山本のそれが、交わった凶器を通して伝わったからだ。
「…はい、お願いします。それじゃまた」
他のメンバーの状況を確認したところで通話を切り、電話をポケットにしまい込む。そうしてからやっと、は交差した得物の向こうから山本を振り返った。視線が合わさっても山本が腕の力を弱めないのを確認する。
キィン、
銃を滑らせるように左手を払って間をつくる。振り回される形になった山本はしかし、持ち前の瞬発力ですぐに体勢を立て直しその間を詰めようとた。その鋭利さとは裏腹に滑らかに揺らぐ赤い光を湛えて、山本の刀が空を裂く。和服を着せたらそれこそ本物の侍だ。それがスーツを着ているのがまたエキゾチックで実にインタレスティング。耳のすぐ横で刃音を聞き、山本の刺さるような視線を感じながらが思った。これは映画のネタなんかにしたらきっとえらく面白いに違いない。スーツ侍とか。キャスティングは、そうだな―
空振りとなり、勢い余って山本の体が前屈みになる。しかしそこを踏み出した右足で踏ん張り、流れそのままに再びに照準を定めた。さすが元野球部エースだ。ツーストライクじゃ怯まない、むしろ見極め?だが3度目もまた、右手に持ち替えたの銃に阻まれた。互いの瞳に焦点を合わせると、目の前の銃剣がぼやける。その後も幾度となく山本の刀が振られたが、その刃がの生身にまで届くことはなかった。それどころかいつの間にか足は後退りし、気付けば山本の背後には分厚い窓ガラスが控えている。
「―!」
ひゅ、と軽快な音と共に振られたの革靴が山本の右腕を払う。その手から刀が零れ落ちるのと、窓に背が当たり、ドン、と音が響くのと、ほぼ同時。外側から舌の根を押し潰すようにして、銃口が山本の顎の裏に捻じ込まれた。は山本より背が低いため額やこめかみは狙いにくいのだ。この状態での人差し指がトリガーを引けば弾丸は下から脳天を貫通。山本の後ろには透き通った青空が広がっている。押し付けられる強さに呼吸が苦しくなり、山本の喉の奥で、ぐ、と篭った音が漏れた。
「満足?」
「…ああ」
顎に口付けそうな近距離からが問う。目を細めているが、笑うのとは違っていた。山本は眉尻を下げ、両手の平をひらつかせて、薄く開いた唇の隙間から苦笑いで答える。その表情にも吐息混じりに破顔して、押し付けていた銃を外した。赤く残った痕を軽く撫でて短く謝る。
は腰に手を当て改めて部屋全体を見回し、山本は部屋の隅に放ってあった鞘を広い刀を収めた。先ほどの電話によると、こちらには雲雀たちが一番先に到着するとのことだ。後処理班は出発するのも遅かったため、引き返すのが早かったのだろう。恐らくあと5分と待たずに着くはずだ。腕を組んだは、隣に付けた山本を見上げてニヤリと口の片端を吊り上げる。
「しかしまー、初仕事にしちゃ上出来すぎるな」
「…ハハ」
「きっとみんな驚くぜ」
「そーかな」
「そうだろ」
照れ臭そうに頭をかしかし掻いていた山本が、何か思いついたように手を止める。
「どーせならもっと驚かしてやっか」
「は?…うわっ、馬鹿!」
自分より一回りも大きい体が覆いかぶさって来た。背中まで腕が回され、体が密着する。山本と触れた部分から、スーツの生地を通り抜けてワイシャツにまで、じわ、と血液が染み込むのを感じた。それ相応の温もりはもはや完全に冷え切っているのに、目で見ずとも水ではなく血液だと断定できるのが不思議だ。傷口から漏れたのかと思ってはっとしたが、位置的に返り血だろう。これだけ時間が経っているというのにまだ乾いていないときた。一体どれだけ大量に浴びたのやら。スーツは黒なので外見では目立たないだろうが、その下は白が真っ赤に染まっているに違いない。綺麗好きな自分は今日の今日まで、例えどんな仕事でも着衣にはシミひとつ付けぬよう心労を尽くしてきたというのに、ここに来てこの男はなんてことをしてくれるのか。
自分のスーツが汚されていく経過を肌で直接感じて怒りを通り越してしまったに構うことなく、山本は首を曲げ、ワイシャツの襟から覗いた首元に吸血鬼よろしく噛み付いた。短く刈られた揉み上げが首の付け根の薄い皮をくすぐるのでは反射的に肩をすくめる。反応が返ってその気になったのか、山本は顔を合わせてきた。咄嗟に背けると頬に唇が降る。
「〜〜ちょっ…!」
雲雀たちだ。複数の足音がこちらへ迫る。それでも山本は怯むことなく、それどころかエスカレートして、しつこく唇を追いかけ回すのを引き剥がそうとが肩を押し返す。しかし腕っ節の真っ向勝負では山本に敵うはずもなく、何もできないまま、山本の肩、開けっ放しのドア、その向こうに今しがた到着した雲雀たちの姿を見る。仕舞いには、雲雀の眉間に寄った皺にすくんだ隙に唇を捕らえられてしまう始末。
遺体の散乱する部屋で男2人が密着している状況に対し、掛けられた声は「目障り」だったとか。
an unruly horse [ 暴れ馬 ]
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2006/2/11 background ©hemitonium.