「そこまでだ…高杉」
 振り返った高杉を影が包んだ。西日を背に受けたシルエットは闇のように濃い。吹き込んだ風は高温多湿で、落ち着きなく長いコートの裾をはためかせている。



触れたら最期



 硬い靴の底が打ちっぱなしのコンクリートと擦れて、カツンカツンと華奢な音が廃墟の鉄筋に反響する。真選組の象徴とも言える艶やかで真黒な制服。その両肩に付いた金属性の装飾が光を反射する様を、高杉はじっと見ていた。
「さすがに命乞いはしねえか」
 逆光でも表情が読みとれるくらいに距離が縮まったが、シャラン、と滑らかで冷たい刃が2人を隔てる。それもまた光を集めて虹色に瞬いていた。高杉は眩しくて少し目を細める。
 刃は横向きのまま高杉の喉にピタリと当てられる。ひやりとしたが、熱いのか冷たいのかよく分からなかった。
「かわいそうにな」
 息がかかるほど接近した男の―の顔には、憐憫を絵に描いたような表情が張り付いていた。歪んだ細い眉と、細められた目を飾る長い睫毛、ゆるくたわんだ薄い唇がそれを引き立てている。空いた左手は真っ赤に濡れた脇腹をあでやかな着物の上から舐めるように撫で上げる。真選組お得意のロケット砲にえぐられた傷は刀傷の比ではなく、出血は収まるどころか焼けるような熱がいつまでもくすぶっていた。それをいたわるような優しい手つきが素直に薄気味悪く、高杉の肌は反射的に粟立つ。思えば布越しでも触れるのはこれが初めてだった。
 傷口からぞろぞろと駆け上がる電流に高杉の喉がひゅ、と鳴る。その拍子で薄く開いた唇に、の生温かい舌がぬるりと這った。

「―いって…」
 咄嗟に押し出した高杉の拳はの口の端を捕らえた。は1、2歩後ずさり、手放した刀がけたたましく転げ落ちる。激しい動きが傷にこたえた高杉は顔をしかめて背を丸くしてうずくまった。
「んだよー、いいじゃん最後くらいさ…」
 内出血で赤黒く滲む口の端を手の甲で拭いながら、は笑っていた。転げ落ちた刀を拾うこともせず、ゆらゆらと再び高杉に迫る。
 膝を折った高杉の目の前に細い足が2本突っ立った。顔を上げる余力はない。その片方、左側だけすっと持ち上がり、裏を見せ付けたまま高杉の胸を蹴り飛ばす。肺を押し潰された高杉の短いうめき声の後に、ドシャ、と惨めな音が続く。背を丸めていたので頭は打たなかったが、衝撃で背中が少し滑った。
 仰向けの高杉の口からはひゅうひゅうと掠れた風が漏れている。ははだけた裾から飛び出している高杉の脚をまたぐようにして膝をつき、続いて顔の両側に手をつく。腰を下げて密着させた下半身の異変を高杉は腿で感じ取り、無表情のまま目だけに向けた。
「…変態だな」
 は終始笑っている。何が可笑しいのか高杉には分からない。いくつか見当はつくが、どれが可笑しいのかが分からない。はついた手を肘に置き換えて顔を近づけ、そうしてまた口付けた。先の表面的なものとは違い、奥深くまで交わるような口付けだった。お互い鉄臭かったが、高杉も今度は抵抗しなかった。

 唇が離れてもは重ねた体を離そうとしない。負傷している右脇腹を圧迫しないよう若干左にずれてはいるが、高杉は少し苦しかった。は気付かないのか、それに構うことなく、額に貼りつく黒い髪をかき上げてやさしくすく。一房摘み上げると指の間からさらさらと落ちた。再びもう一房、指に絡めて「なあ」とこぼす。
「覚えてるか?初めて会ったとき」
 あれは何年前になるかな―傷だらけの高杉の頬に左手をぴたりと添えて、は回顧の念に浸り始めた。しかし思い出話がせきを切る前に高杉は血と汗でべたつくその手をゆるく払う。もう腕を動かすのもしんどくて、払った腕はそのまま力なく重力に従って落ちた。
 言葉を遮られたは口を開いたまま停止している。
「やれよ、早く」
 掠れてうまく声にならないが、聞き取ったが唇を噛み目を伏せると睫毛が影を作った。今まで固定していた微笑よりずっと美しかった。もとからにはそういうところがある。笑い方が下手なのかもしれない。
「鬼ごっこは終わりだ」
 視界が端から霞み始めていることに高杉はやっと気付いた。自分で発した声よりも耳鳴りの方が大きくて、喋れているかどうかも分からない。
 はあらわになっている高杉の胸に額をこすり付ける。まだちゃんと温かく、ゆっくり静かな鼓動を繰り返している。閉じたまぶたが震え、奥歯が軋んだ。
「晋助…」
 見え透いた結末、それでも。醜い悪あがきでもいい、ひ弱な抵抗でもいいから、せめて

もう少しだけ、もう少しだけ



monomaniacさんの3周年企画に触発されて書いてしまいました。
くさかさんすいません、こんなんですがお祝いの言葉に添えさせてください…おめでとうございます!

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2006/8/13  background ©MIZUTAMA