「おい、。暇なら聞き込み行って来い」
「えー…暇じゃないです」
「世間では勤務中にスポーツ新聞読む奴を暇って言うんだよ!さっさと行け!」
正義のみかた
「あ〜今日も聞き込みかよ〜」
「若手はどこもこんなもんだろ」
もうすぐ正午の江戸の町を並んで歩くのはと。新宿警察署・かぶき町交番勤務。警察学校を卒業したばかりの新米警察官だ。スタスタと歩くより少し遅れて、ずるずるぺたぺた、草履を擦ってが歩く。
「俺ァもっとこうさあ、張り込みとかさあ、強行突入とかさあ、あんぱんとかさあ、そーいうのをさあ…」
「そっち方面はほとんど真選組の管轄になっちまったからな」
「だよな〜、あんぱんならたまに先輩がおごってくれるけど」
「それただの間食用だろ…でもま、俺らは市民の味方なんだから」
「こーやって地道に活動するしかねぇわなあ」
「そうゆうこった」
数年前、警察庁内に特設された「特別武装警察・真選組」。当初は名目通りテロに特化した仕事を行っていたのだが、民間に馴染むにつれてその業務範囲を広げ、最近では物騒な事件を一括して請け負うようになっている。そのため本来なら警察署で処理するはずだった事件の多くが真選組へ回されるようになり、警官が請け負う仕事はどれも他愛ないものばかりになってしまっているのだった。
そんなの中の更に若手ともなれば、手ごたえのある仕事はまず回ってこない。大事件解決を夢見て警察を志願するような血の気の多い青年にとっては退屈の極みなのだ。『市民の味方』というのは最近の所内での口癖だが、現状を無理に美化しようとしているところが逆に虚しさを煽っている。
「すんませーん、こうゆうモンですけど」
若手の仕事はもっぱら聞き込み調査だ。
歓楽街のメッカ・かぶき町ともなれば事件事故は日常茶飯事。その情報収集、兼警告はキリがない。・コンビも例に漏れず、まだ手をつけていないエリアをしらみ潰しに歩いて回る毎日だった。とはいってもろくな情報が集まらないのはいつものことで、所長とて大手柄を期待しているわけではない。むしろ所内にいると目障りな下っ端を外に追い出す方が本当の目的だったりする。
「〜腹へった」
「…サボるなら1人でやれよ」
若手の方も、追い払われるように外に放り出されることをそれほど嫌がっている風でもない。上司の目が届かないから交番にいるより自由度が増すし、時間も管理されないので休み時間も取り放題だ。但しあまりはめを外しすぎると、外に出ていた上司とばったり出くわしてしまったときに大変なことになる。以前、見回り中ののわがままに付き合わされたはそれでとんだとばっちりを食ったことがあり、それ以降、外での勤務中のの言動に彼は異常なほど敏感になっている。
「ちーがーう!本当に減ったの!いいじゃん昼時だし!」
提案を冷たくあしらうに、その後ろを歩いていたが尚もしぶとく持ちかけた、そのとき。
ドォン―
すぐ近くで爆撃音がとどろいた。振り向いた先には灰色の太い煙が立ち昇り、その下では木造建築の一部が無残に崩壊している。慌てふためく民衆の喧騒の中でとは眉をひそめ、鼻をつく不穏な香りに目の色を鋭く切り替えた。
「真選組か」
土煙の中に黒い洋服を見たが低く言う。先の爆音はバスーカによるものだと推測していたも、ああ、と返した。
「ずいぶんとまあ派手にやっちゃって…平気で真剣振り回してるし」
「見回り中に攘夷と遭遇ってとこか」
「もしくは居場所嗅ぎ付けて家宅捜索かな…」
「どっちにしても時と場所を考えないのは関心しねえな」
が静かに目を細める。ポーカーフェイスの彼が時々見せる憤りの表情だった。全く同感のも両の拳を握り締める力を強めたがしかし、2人とも野次馬に紛れ白昼の騒動を見つめるだけ。同じ警察庁の元とはいえ、真選組と一般警察官の区別は明確だ。お互いの仕事のテリトリーを侵すことは許されない。警察官の立場でそれは尚更だった。
騒ぎを聞きつけた報道陣が到着し、カメラフラッシュやリポーターの実況で周囲は一層騒がしくなる。警官である2人に目をつけたリポーターが詰め寄ってきたが、はそれを無視、が軽く流した。
しつこく話しかけてくるリポーター―警官の方はお話聞いていないんですか?白昼での騒ぎですがその事について何かお考えは?―に2人ともうんざりし始めた頃、数で勝った浪士が端から真選組の手を逃れ1人2人とその場から散り出した。その背を咎めるように怒号が飛ぶ。浪士の中にはヤケを起こしたのか野次馬の中に突っ込んでくる無謀者もあり、身の危険を感じた群集が乱れ出す。倒されたカメラ機材がけたたましく鳴り響き、無数の足音に飲み込まれた。
凄惨さを増す空気に2人の表情はますます険しくなる。逃げ惑う人々の肩が何度もぶつかった。民衆と浪士が紛れて真選組も打つ手に困る。放射状に人が散ったあとの現場には、捕らわれた浪士、立ち尽くす真選組、遠目に見守るまばらな野次馬だけが静かに取り残された。
突如、が「あ!」と声を上げて走り出した。何事かとが目で追うと、その先に道の端の壁にもたれて少女が座り込んでいる。大方先ほどの騒ぎから逃げ遅れてしまったのだろう。すぐそばではまだ真選組が捜索を続けていたが、が構わず走っていってしまうのでもできるだけ目立たないよう壁伝いになって後を追った。
少女は顔を青くしていたが意識はあり、が声を掛けるとうっすら目を開けて反応を返す。それでも着物からのぞく手足は外傷が多く血が滲んでいて立ち上がることができない状態。は若干の医療系知識を持ち合わせているに診断を任せた。
「どう?」
「…足の方が重いな…骨まで行ってるかもしれない。すぐに病院連れて行かねえと」
「応急処置は?」
「やるだけやってみる」
は壊された家屋の木片を割って添え木に使い、持ち合わせのハンカチを手際よく少女の手足に巻きつけた。その間には手持ちの電話で救急に連絡を取る。しかし騒ぎのせいで交通が乱れ、現場にに救急車が辿り着くにはかなり時間を要するとのこと。署の交通課から交通規制の人員が急遽派遣されたらしいが、病院までの距離を考えると彼女をおぶって連れて行った方が速いという結論に至る。
その時点でちょうど、きゅ、と結び目が作られ、が応急処置を終えた。
「よし、んじゃ、お前はご家族に連絡…?」
少女をおぶったが振り返ると、は真選組の方へ視線を戻していた。黒い男たちはこちらには目もくれず、捕らえた浪士の確認と本命の追跡に必死になっている。
―桂はどこ行った!?―見逃しました…―チッ…とにかくこいつらだけでも連行するぞ―
そうして周囲の後始末もそこそこに、この場を立ち去ろうとする。それを見ていたの目にみるみる怒りの色が満ちた。全身から怒気が溢れ、毛が今にも逆立ちそうだ。まずい、と感づいたがそれを抑えようとしたが、両手がふさがっているため口でなだめるしかない。しかしそれより先にの低い、地を這うような声が漏れた。
「…そのお嬢さん頼んだぞ」
「おい!!…あー…」
呆れのあまり目眩がして、はくらりと天を仰いだ。
当のは何の迷いもなく、大声で叫びながら黒い群れに全力で飛び込み一番偉そうな男に突っかかった。警官たるもの、真選組の上官の顔くらいはだいたい分かる。テレビで顔を見たことがあったし、この男が世に聞く「鬼の副長・土方」だということは頭に血が上ったにも分かっていた。しかしメーターが吹っ切れて鬼すら恐れないのが今の彼だ。
突然のことに驚いた土方は勢いそのままに仰向けに吹っ飛ぶ。拍子に咥えられていた煙草がこぼれ落ち、スローモーションのようにゆるりと弧を描いてから音もなく落下した。煙が虚しく後を引く。怒りの収まらないは更に土方の腹に馬乗りになり、胸倉掴んで引っ張り上げた。上質の生地でできた隊服の詰襟は手触りもよく、なんとも掴みやすい形をしている。土方の頭は反動でがくんと揺れて鞭打ち状態になった。
「ざけんなよ!市民を護る警察が!まわりの犠牲も省みねえでチャンバラ三昧たァどーゆう見解だコラァ!」
は相手に息つく暇さえ与えないとばかりに、鼻を突き合わせるほどの距離で一気に畳み掛ける。周囲を取り巻いていた隊士はあまりにも突然の侵入者に目を白黒させていたが、自分たちの上司が見知らぬ青年に下敷きにされている現状をやっと自覚し、を引き剥がしにかかった。
―なっ…なんだコイツ!―警官?本物か!?―はやく取り押さえろ!―副長、お怪我ありませんか―
「テメーら自分の私利私欲しか考えてねえんだろうが!そんなんで何が警察だよ!?なめんじゃ―」
後ろから押さえつけられ、土方の上から引きずり下ろされてもの口は止まらなかった。1人の隊士が口を塞ごうとすると、その手に噛みつく始末。このままでは更にとんでもない罵声を発しかねないため、ついに右後方から拳が飛んだ。
鈍く重たい衝突音が頭蓋骨を振動させるのを感じるのを最後にの意識が薄れ、やっと言葉も途切れる。ホワイトアウトする視界の隅に、少女を背負って遠ざかるの背中を確認して。
*
再び意識を取り戻したとき、は後ろ手に縛られ正座をさせられていた。しっかり残っている頭の痛みに顔をしかめ、体がぐらつくと後ろで彼を抑えている男に強制的に姿勢を直される。視界はまだ白けるが聴覚がじわじわと戻り始め、隊士たちの会話が耳に届きはじめた。
―副長、身元が割れました。新宿署に所属の新人警官です―オイオイ本物なのかよ―手帳も実物です―
「ったく…最近の警察学校の教育はどうなってんだ?」
「……テメーらに、言われたか…ねー…」
「―おお、やっとお目覚めか。開口一番減らず口たァ手に負えねえな」
「…るせー…」
「あんだけ暴れといて反省の一言もねえのか、オイ。お巡りさんよ」
明らかに小馬鹿にした言い草に、は垂れていた頭を上げた。ばっさり前に下りてしまった前髪の間から黒尽くめの集団が映る。どいつもこいつも揃ってあざ笑いを隠そうともせず、あごを必要以上に高く上げてを見下していた。
はぎろりと音がしそうなほどの上目遣いでそれを睨みつけ、両手を拘束した縄をギシ、と鳴らす。
「謝るのはそっちだ」
「まだ言うか?」
「あの騒ぎで女の子が1人負傷した。うちの奴が処置して病院まで送ったけど、骨折の可能性もある」
土方は一瞬目を丸めた。がしかしすぐに険しい表情に戻し、フン、と鼻を鳴らす。
「攘夷の奴等がやったんだろ」
「…言い切れるのか?まわりなんて見えてなかったくせに!」
が更に押し掛けるとついに土方は押し黙り、間を繕うように咥えていた煙草に手を沿えて煙を斜め右に細く吐き出した。その煙が滲んで拡散する間、冷たく重苦しい沈黙が降りる。隊士の1人が喉を鳴らす音まで聞こえてきそうだった。
徐々に薄まる煙がすっかり消える頃に、がそれを破る。
「野次馬の中にどれだけ子供連れがいた…?日曜の昼時だぞ。警察が真剣で暴れるなんて誰が想像する!」
後ろの男がを抑える力を強める。しかし一度拍車の掛かったの口がそう簡単に止まらないことは既に実証済だ。土方は再び煙草を口に戻すが、目を伏せたまま沈黙を続ける。
「乱れた交通網で時間狂わされるのは誰だ?昼食を邪魔されるのは?怪我して痛い目みるのは!?」
止まらないに痺れを切らした後ろの男がついに、彼の頭を目掛けて右の拳を上げた。しかし振り下ろされる前に、「やめろ」と土方の短く鋭い声がそれを制す。まわりの隊士たちは面食らった様子で、煙草を咥えて俯いている土方の顔を伺った。
「…副長?」
「もういい。返せ」
「副長!こんな奴に好き勝手言われてそのまま返すんですか!?」
そちらを凝視しているに顔を上げないまま席を立ち、土方はさっさと背を向けてしまった。納得のいかない隊士たちは不満げにその背中を引き留めるが、土方は襖に手を掛けたまま小さく振り返って「返せ」とだけ短く繰り返し、直後静かに襖が閉まった。
*
解放というよりほとんど放り出されるに近い形で屯所を出たにはちゃっかり迎えの車が来ていた。身元を調べる中で上に連絡が行っているのは当然のことだが、その先は嫌な予感しかしない。同僚(は病院へ行っているのだろう、他の男)が運転する車に渋々乗り込み交番に帰還したはそのまま所長御用達の説教部屋へ強制連行、小一時間缶詰にされた。
部屋を出る頃には耳の奥がキンキン鳴っていて、視界にすら影響を及ぼしている。まあ、真選組といったら構造上、自分ら警察官の上の上の上の…雲の上にいるような超エリートだ。所長が怒り狂うのも仕方ない…と、内面めっきり冷めた状態では説教をやり過ごした。基本的に同じことの繰り返しなので途中何を言われたのかさっぱり覚えていないが、最後に言われたのは「今回は土方様のご厚意に救われたと思え」という言葉だった。
「…お前もよくやるよな」
自分の席に戻ったが感覚の麻痺している耳に小指を突っ込んでいると、が病院から帰ってきた。所長からすでに話を聞いたのだろうか(はやたら可愛がられている)気疲れしたの顔を見るなり吹き出しそうになるのをこらえている。唇はきゅっと結ばれていたが、目が完全に笑っていた。のデスクに耳かきを発見したは手にそれを持ち替え、だるそうに耳をほじほじ。
「あー、よく聞こえねー…笑うなっつーの」
「いや、お前らしくていいよ。俺もせーせーしたし」
スッキリした顔で席についたを一瞥し、は得意気に笑って見せた。耳かきを続けたまま「あいつったらさー」と笑い混じりに自慢話を始めようとしたが、そこで所長が部屋に帰ってきたため2人は即座に顔を伏せ、でたらめな慌しさで右手を動かし始めた。
いぶかしげな所長の視線には気付かないふりが一番。
*
翌日、は仕事の合間を縫って大江戸病院へ赴き、から聞いた病室を訪れた。軽くノックしてから病院独特の大きな取っ手の付いた滑りのいいドアを開けると清潔感溢れる空間が広がる。4人の相部屋だったが、彼女は手前右側のベッドに横になっていた。
手元の本から視線を上げると、すぐにに気付く。昨日とは違い顔色もよくなっていた。まあ昨日は場合が場合だったのだが、こうして見ると明るくて笑顔の可愛らしい少女だった。
「昨日はお世話になりました」
「いやいや、手ぶらですみません」
がベッドの横につけると少女は快く折りたたみ式の椅子を差し出した。備え付けの棚にはカゴ一杯に盛られた果物が乗っていて、その隣には透明の花瓶に花が活けてある。は受け取ったパイプ椅子をカシャンと開いて腰を下ろした。
「すいませんお借りします……えーと、足、大丈夫ですか?」
「ええ、2週間くらいで治るみたいです」
「そうですか!結構はやいんですね、よかった」
「きちんと応急処置して頂けたおかげだそうです。本当にありがとうございました」
「いやーほとんどがやってくれたからね、俺はなにも…」
丁寧に頭を下げる少女にが謙遜を返すと、ノックもなしにすぐそばのドアがスルスルと開いた。相部屋なので他の患者の見舞い客が来てもおかしくないのはもちろんなのだが、頭を掻いたままそちらを見遣ったはその客の顔にぽかんと口が開いてしまう。
「
――あ」
「!」
昨日で散々見飽きた顔―土方だった。さすがに病棟で煙草は吸っていないが。の声に振り向いた土方は驚いた直後、今にもげっ、とでも言い出しそうに不快をあらわにする。その反応がには気に食わなかったが、ここでの言い合いは慎む。
土方の顔は昨日の騒ぎのときに見覚えがあるのか、真選組の隊服に恐縮しているのか、少女は不安げな表情で瞬きを繰り返し、と土方を交互に見遣っていた。は彼女を落ち着かせるため、土方に聞こえないよう耳元に小声で喋りかける。
「(多分あの人謝りに来たんだ、怖くないから大丈夫だよ)」
少女は一度こくんと頷いた。それを見てはにこっと笑って席を立ち、畳んだ椅子を元の位置に戻してから今度は土方にも聞こえる声で言う。
「また来るよ。お大事に〜」
少女が再び頭を下げた。は明るく手を振り、ドアの前で固まっている土方に会釈をして部屋を出る。しかしそのまま立ち退くはずもなく、僅かに開けた扉の隙間からすかさず室内を盗み見る。
狭いの視界の中で土方はつかつかと歩き、さっきまでのと同じ場所に立つ。顔はゆるく伏せられていて、少女とは目を合わせない。両脇の拳は固く握られているし…本当に謝るつもりあるのか?とは少し怪しむ。少女もどうしていいのか困っている様子で、とりあえず椅子を勧めようと手を伸ばした、そのとき
「申し訳ない」
「―!」
も、少女も、見開いた目を丸くする。真選組副局長が直角に頭を下げたのだから当たり前だ。
おおお、と感嘆しそうになるのを抑え、思わず写真に収めたい衝動に駆られただが、それは叶わないので精一杯目に焼き付けることにする。土方はその姿勢のまま言葉を続けた。
「我々の気配りが足りなかったばかりに―以後気を付ける」
そして頭を下げたまましばし停止。武人らしいといえばらしいが、相手は少女。恐縮しつくしてしまった彼女は今にも謝ってしまいそうな様子で「大丈夫ですから」と繰り返している。
十分に間を置いてから土方はすっと姿勢を正し、「失礼する」とガッチガチに固い挨拶を残して、来たときと同じようにつかつかと部屋を後にする。結局一度も少女と目を合わせなかった。
が慌ててドアから手を離すと、出てきた土方とがっちり目が合う。土方は眉間に皺を寄せ、はにんまり目を細め、2人の表情は対照的に変化した。
「やればできるじゃんか」
「……趣味わりいぞ」
「しらばっくれたらまた殴り込もうかと思ったけど、まあ上出来かな!」
「フン。なめんな」
目の前を通り過ぎ、土方が来た道を戻っていく。はそれを追いかけ横から斜めに顔を覗き込んで、ますます深く笑った。
大きな右手で口元を覆ってはいるが、それでも誤魔化しきれないほどに―
「副長は赤鬼なんですね?」
「…うるせえ」
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2004/10/7(2006/8/8 加筆) background ©ukihana