あああ〜ぁぁ…

 期待に沸いたスタンドが、またしても落胆の色に包まれる。何度目だろう。
 10番から絶妙のタイミングで裏へのパス。けれど9番がそれを受けるより早く線審の旗が上がり、笛が鳴る。オフサイド
 9番がボールを持って中央を突破、ペナルティエリアに侵入。相手DF最後の1人を振り切ったが、左足で踏み込んだ所で笛。ファウル
 7番が右サイドを駆け上がってGKと最終ラインの間にいいクロス。そこへ飛び込んだ9番、頭で合わせる直前に相手DFに倒される。PKかと思われたが、そのままクロスボールを相手GKが大きくクリア。ノーファウル
 再三のチャンスを逃して、苛立ちが目に見え始めた頃。
 ピィィィー!
 何度も9番を咎めてきた笛が、今度は相手のゴールを祝い、その余韻を残したまま、次は前半の終わりを告げる。東京都大会決勝戦、本命の武蔵森中学が1点ビハインドで折り返す波乱の展開。



ノーシュートノーゴール



 スタンドがざわめくハーフタイム、空気の重さに潰されるようにロッカールームを出た。居づらいだけじゃなくて、室内には見当たらない彼を探してやらなきゃいけないから。




 誠二は去年も都大会の決勝戦に出た。1年生だったけど、誰もが納得していた。でも、それはあくまで途中交代であって。去年の3年生が卒業して、俺らは2年生になって。今の武蔵森で誠二の上に立つストライカーなんて存在しない。だから今回は、誠二が、本当のエースとして戦う初めての決勝戦だった。

 ご丁寧にも、普段あまり使われない2階のトイレの前の洗面台。頭から水を被ってずぶ濡れだった。
「…誠二」
「ああ……ごめん、」
 手持ちのタオルを放ってやると、俺の方は見ないまま顔を埋めて、それきり何も言わない。肩を掴んで向かい合わせになるけど、それでも顔を上げない。
「誠二」
 呼ぶと、目だけ覗かせてこっちを見た。叱られる犬みたいだ。
 今回も、去年と同じ。負けられない試合。3年生と作り上げてきたチームの集大成。こういう試合で、期待と責任を一身に背負うのが武蔵森のエース?置かれた環境が厳しければ厳しいほど、苦しければ苦しいほど、その中で一際光るのがストライカー?そう思ってるんだろう。馬鹿だなあ
「オイ。勘違いすんなよ」
 また下を向いてしまった誠二の胸倉を掴んで、額を合わせる。ちょっと勢い付けすぎて鈍い音が脳に響いた。誠二は石頭だから、多分俺の方が痛い。
「お前さ、ちゃんと後ろ見てるか?ベンチ見えてるか?スタンドの声聞こえてんのか!?」
 誠二の目が揺れた。だってそうだろう。お前の後ろには俺がいて、中盤がいて、バックがいて、キャプテンがいて。ベンチにはサブ組がいて、監督がいて、コーチがいて。スタンドには2軍がいて、3軍がいて、応援してくれる仲間がいて。
「誰も特別じゃない」
 うちにはお前頼みの奴なんて1人もいない。みんな自分の精一杯を戦ってるんだ。それをこの試合、お前1人で、なんて。
「いっちょ前気取って1人で背負い込んでんじゃねーよ。お前はそんなに強くなくていい」
 弱々しい目が閉じられた。まだ水気を含んでいる頭を抱え込んで肩に乗せて、少し強めにわしわし撫でる。
「武蔵森はお前だけのチームじゃねえ。自惚れんなよ」
「うん…」
 誠二の手が背中に回って、ぎゅうときつめに締められる。体中のエネルギーを吸収されてるようだと思って少し可笑しい。背中をぽんぽん叩くと、耳元でも聞きづらいような声で、。と啼く。それに応えるように、
「勝つぞ。みんなで」
 顔を合わせるといつもの誠二。同時に二ッと歯を見せて笑う。
「うん!」




「「遅くなりましたぁー」」
 勢いよくドアを開ける俺らに、湿ったロッカールームの空気が止まる。間を置いて、一番敏感な三上先輩がうっすら笑った。
「…目ェ覚めたか泣き黒子」
「当ったり前っす!」
「偉そーに言うな。時間掛かりすぎなんだよ!」
「ぎゃー!何するんすか!!」
 いつもの2人のやり取りにつられて、何処からともなく声が漏れる。
「さーてあと半分」
「これからが本番っしょ」
「行きますか!」
「行っちゃいましょー!!」

 誠二の背中を追って、ピッチへ続く薄暗い通路を歩く。
「…
 急に誠二が振り向いて、逆光で顔が見えなくて、何かと思ったら耳元に口を寄せて、
「ありがとね」
「…どーいたしまして」
「お礼はゴールで返すよ」
「そりゃどうも…1点じゃ足りねえからな」
「わーかってるって!」
 誠二につられて走り出す。天井の低い空間を抜け出すと、一瞬視界が真っ白になる。続いて、目が眩むほどに鮮やかな緑。この大歓声、聞こえてるだろう?

 芝を一歩一歩踏みしめて、2度目の円陣を組む。隣の誠二と目が合って、お互いの肩をぎゅっと掴む。
キャプテンの掛け声に合わせて声を荒げる。なんだろう、腹の底から笑っちまうくらい楽しくて、胸が躍る感覚。誠二も同じみたいだった。
 各自のポジションに散って、後半はうちのキックオフ。センターサークルの中心で、右足にボールを従える誠二は、あの目で、ゴールを見据えてる。その立ち姿を見て、俺の口元が更に釣り上がる。体が疼く。


甲高く鳴り響くのは、歓喜へのプロローグ



バンプの「ノーヒットノーラン」的に、スラッガーでなくストライカーで。
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2005/3/27  background ©SPACE