きみはハンター 敏腕なハンター
6秒フラットの俊足で、狙った獲物は逃さない

きみはハンター 冷酷なハンター
見事仕留めりゃそこでジ・エンド。狩った獲物に用はない


醜悪ひとつ道具


 凍り付いてしまいそうな休日。昨晩届いた「明日ひま?」のメールに肯定の返事を返したら、呼び出されたのはサッカー部寮だった。まあ、彼と違ってもっぱらインドア派な自分としては下手に外出して寒い思いをするのも嫌だけれども。便利なエスカレータに乗っかれたお陰で、中学3年生の冬でも進路に不安はない。よってここ最近とこの先しばらくの休日はまったくの自由時間なのだ。それは部活を引退した彼も同じらしかった。さして結果を問われないテスト云々はこの際考えないことにする。
 約束の2時に数分遅れて到着した寮の入り口には、黒いダウンのポケットに手を突っ込んだ藤代が立っていた。こちらに気づいた瞬間に弾けるあの人懐こい笑み、その中心に赤い鼻。
「おはよ!」
「はよ、ごめん遅れた」
「いーって!中はいろー」
 ダウンの中で暖められていた手は少し湿っていた。力強い腕にぐいぐい引っ張られて部屋まで導かれる。部外者が入っていいのかという質問には「ばれなきゃ平気」と返ってきた。
 少々古びたドア横の札には「藤代」と、もうひとつは知らない名前。
「ルームメイトは?」
「知らなーい。午後部屋貸してってゆったらどっか出てった。はい、どーぞ!」
 言いながらカギを開けてエスコート。むわりと生暖かい空気が溢れてきた。玄関のようなスペースには履き潰されたサンダルが転がっていて、脇の簡素なシューズケースには通学用のローファーのほか、外出用と見られるショートブーツや洒落たスニーカーが並んでいる。向かい突きあたりの壁には自分にも見覚えのあるような海外サッカー選手のポスターが貼られ、部屋のそこここにサッカーやそれ以外の雑誌が山積みされたり読み散らかされたりしていた。部屋着のジャージやトレーナーも一応まとめてはあるものの脱ぎっぱなしのまま放置されていて、テレビの周りにはビデオテープやDVDケースが転がっている。特に嫌悪感を感じるほどではないが、きれいとは言えない部屋だった。まあ男の部屋だったらこんなもんだろうと思う。後ろで藤代がドアと鍵を閉めた。男が2人立つにはこのスペースは少々狭い。
「上がって上がってー。ちらかってるけど」
「あー、うん。つーかさ」
「んー?」
 脱いだ靴の向きをそろえ、もう一度部屋を見渡してから、ものすごく今更だが素朴に尋ねる。
「なんの用?」
 振り向いて見た藤代はきゅっと目を丸めたあと、軽く唇をとがらせた。所在なさげに中途半端な位置に突っ立っているの後ろから腕が伸びる。コートの厚い生地の向こうにダウンの軽くて柔らかい感覚。甲の上に重ねられた手はするりと指の間を割り込んで、付け根の柔らかい部分をなめ回した。肩の筋肉の上にごつりとあごが乗っかる。
に会いたいから呼んだの。それじゃだめ?」
 頭蓋骨に響く猫なで声には堪らず目を伏せた。




 静よりも動を、受動よりも能動を求めがちな性格なのは見ていれば分かる。

 藤代誠二は言うまでもなくよくもてた。非凡な彼のスター性やオーラは誰しも感じていたし、それについては本人も少なからず自覚しているようだった。中学生だって年を重ねれば日増しに青年へと近づいていく。あどけなさと大人っぽさが混在する様はあまりにも魅惑的。彼の周囲から色恋沙汰の匂いが途絶えることはなかった。
 藤代誠二と長続きした恋人なんて、入学してから今まで聞いたことがない。長さの基準なんて人それぞれだけど。それでも彼の周りは絶えず華やか―我こそはという自意識過剰者なのだろうか。それとも、藤代誠二の元恋人という、その肩書きだけでも十分価値があるとでも言うのだろうか。
 厄介なのは、彼が徹底して能動的だということだった。点取り屋として常に前線に張っている選手なのだから、追いかけるのに慣れているのも当然だ。加えてその天分の才。下手でない鉄砲を数撃てば、そりゃ面白いことになるに決まっている。
 一度気を許せばそれまでだ。それが分からないほど馬鹿ではないとは自負していた。

 後ろの男は指の股をひとしきり撫でると、今度は指をいじり始めた。残念なことに、自分の引き出しからはいい切り返しが見つからない。
「手、冷えちゃってるね」
「そうだな」
「俺のせい?」
「…べつに、」
「あったまろっか」
 心臓をわしづかみにされたかのように、一瞬、血液の密度がずくっと高まり視界がぶれた。後ろで藤代が靴を脱ぐのが聞こえる。なにか言葉を返さなくてはいけないのは分かっている。イエス、あるいはノーだけでは足りないのも分かっている。それでも薄く開いた口からは、吸うでも吐くでもない呼吸がただ曖昧に行き来しているだけ。
 脱いだ靴を余裕のないシューズケースにつっこみ、部屋に上がって隣に並んだ藤代がの目を覗き込む。
「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

 部屋には小さいながらもキッチンがついていた。2つあるベッドのうち「こっちが俺のだから」と指差された方の空いているスペース(服が脱ぎ散らかしてあるので)に浅く腰掛ける。脱いだ上着とマフラーはとりあえず傍らに畳んでおいた。ガスコンロの青い炎がぼうぼうとやかんを温めているのが聞こえてくる。
 またしても手持ち無沙汰になってしまい、まわりを見回す。何度見てもやはり混沌とした部屋だ。枕元に目をやると、目覚まし時計の横にサッカー選手の小さなフィギュアがいくつか並んでいた。集めているんだろうか?サッカー少年らしい一面に、自然と目を細めてしまう。それにしても小さいのによくできているなと1つを手に取ると、つられて近くに置いてあった物が落下した。
「(あ、やべ…)」
 戻そうと拾い上げて、思考が停止する。顔はカッと熱くなるのに、全身から冷や汗が噴き出した。メタリックな正方形の包装の内側に、丸い形が見て取れる―自分だって健全な中学生男子だ。使ったことはなくても、避妊具くらい知っている。
 咄嗟に振り返ったキッチンではまだ藤代が準備中のようだった。直接見えない位置で本当に助かった。どうしても震えてしまう手でそれを元あったと思われる位置に置き、フィギュアも元通りに戻す。そのまま急いで雑誌の山を探った。サッカー雑誌ではいかにも間に合わせになってしまうが、適当なファッション雑誌が紛れてあったのでまた助かった。雰囲気からするとルームメイトのものかもしれない。

「おまたせー」
「ああ、さんきゅ」
 内容なんてちっとも頭に入らないまま雑誌の薄い紙を何枚かめくったところで、両手にマグカップを持った藤代が戻ってきた。片方にはサッカーチームのエンブレムが描かれていて、もう片方、渡された方はシンプルなストライプ模様だった。
「汚くてごめんねー」
「いや…俺の部屋もこんなもんだし」
「ほんとお?」
「うん。こんなにサッカーだらけじゃねーけど」
「そりゃそうだ〜」
 笑いながら藤代はベッドの上に散らばっている服を片手でどけての隣にスペースを作る。どけられた服は畳まれるでもなく、また別の場所に山積みに。その様子を苦笑いで見遣ってからはマグカップに口を付けた。ふうと息を吹きかけると、こげ茶色の表面に写った自分の顔が歪む。
「―っ、ち…」
「あ!ごめん、熱かった?」
「平気…ちょっと、猫舌で」
「みせて」
 ためらいもなく藤代の指が唇に触れてきた。こんな状態で、こんなことされて、息を呑む以外にどうしろというんだろう。
「舌出してみて」
「や、ほん・と!大丈夫…」
「そう?ごめんね」
「…ん」
 伸びてきた腕を軽く押さえて身を引くことで、藤代はどうにか引き下がってくれた。

 コーヒー1杯飲み終わる頃には、指先までじんわり温かくなっていた。冷たく白んでいた爪も健康的な色を取り戻している。は少し腰をかがめて空になったマグカップを近くの小さなテーブルに置き、少し乾燥気味の指をこすりあわせた。隣でもコトリという音がして、藤代がベッドサイドにカップを戻したのが分かる。
「ねえ」
 振り向いたら直近におそろしく整った顔。たまらず距離をとろうとすると筋肉質の腕に押さえ込まれる。
、すき。だいすき」
 喉元に頭を抱え込まれるような格好だったので、艶のある声が鼓膜に直に響いた。強すぎる刺激に眩暈がして、温まったばかりの指先が痺れだす。彼に触れられているところだけ酷く熱くて、それ以外の感覚がよく分からない。息が荒くなるとすぐに伝わってしまいそうで肺が強張り声が震える。
「あ、りがと」
「おれがいなきゃ生きていけない」
「…おおげさだな、藤代は」
「ほんとだよ」
 ふたたび顔をつき合わせられた。
「ほんとだから…ねえ、俺のもんになって」
 睫毛が触れてしまいそうな距離で、黒目がちで大きな瞳に自分だけが映っている。藤代誠二が自分だけを見ている。刹那と分かっていても込み上げてしまう幸福に酔いしれそうになる。そこでふと、過去この男の餌食になってきたであろう何人もの女たちのことが頭を過ぎり、少し酔いがさめた。
 いつの間にか耳の付け根あたりに押し付けられている熱い唇を手で塞ぎ、そのままそっと押し返す。
「考えとく」
「前もそう言った」
「…まだ考え中なんだよ」
「いつまで?」
「…さあ…」
 前も、というのは先週あたりのメールのことだろう。
 が言葉を濁して顔を背けると、藤代が甘えた仕草でそれを追う。
「ねえー、
 の両頬が骨ばったてのひらに包まれた。藤代が近づいてくるのが分かったので押し返そうとしたのだが、頭も腕もスローモーションのようにしか動かなくて出遅れた。熱い唇が軽く一度だけふわりと触れる。
「足りない」
「考え中って…言っただろ」
「チューはいいの?」
「…あいさつ程度、なら」
「ふうん?」
 両手で掴まれたままだったし、ああ言ってしまった手前またしても拒否できなかった。
 そしてあいさつ程度どころではない攻められ方をしても、思考がとろけて結局のところ拒否はできずにいる。
「まだ考え中?」
 所詮自分もこれまでのようだった。残念だ。この現状に喜びを感じそうになっているのなら尚更。
 羽織っているカーディガンの内側を藤代の手がまさぐった。後ろについた手がずり、とすべると、くしゃくしゃに散らかった衣類に触れる。今日のこの服、買ったばかりでお気に入りなのにな―ああ、そうさ。それを選んで着てきたんだもの。

きみはハンター 貪欲なハンター
またひとつ加わるコレクション、輝きを増す美貌


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2008/5/24  background ©0501