けたたましい叫び声が鳴り止まない。
ほとんど意味を成していなくても、掠れて、しゃがれて、ひっくり返っても止まらない。
いったい何がそんなに悲しいのか…そうして、叫んでいるのが自分だと気づく。
(銀さん…)
目の前に、ぼろぼろの銀さんが横たわっていた。
悲痛な叫び声は途端に遠くなって、頭の隅で耳鳴りのように響き続ける。
銀さん、どうしたの?
傷だらけのほっぺたをペタペタ触ると、うっすら開けた目で弱く笑い返してくれるけど、すぐにまた閉じてしまう。
銀さん、死んじゃうの…?
少しずつ呼吸が浅くなっていくのが見ているだけで分かって、冷たくなり始めているほっぺたに力いっぱい擦り寄る。
耳鳴りが鳴り止まず、喉が焼けるように痛い。
ぼくが猫じゃなかったら。ぼくが人間だったら―
そこで目が覚めた。
ずいぶんと寝過ごしてしまったようで、真選組屯所の寝室にはすでに誰もおらず、布団も全て片付けられている。自身はというと、ゆうべ眠りについたところとは別の、もっと日当たりの良いところに移動していて、恐らく隊士の誰かが片付けのついでに移してくれたんだなあ。抱かれても起きないとは…と少し呆れる。まだ頭から抜けない夢の内容は明らかに自分の心情を映していて、あまり考えないようにしてはいたもののかなり重症なようだった。
(銀さんに、謝りたいなあ…)
おひさまといっしょ
「あ、野良ちゃん起きたんだね。よかった〜」
起き抜けのまま朝の洗顔と毛づくろいに勤しんでいると、山崎くんがやってきた。耳の間をやさしく撫でながら、「全然起きないから心配したんだよ」と言ってくるので、ぼくを移動してくれたのは山崎くんだったのかなと推測する。出勤前の合間に立ち寄ってくれたのか、すでに隊服を着ているし。心配をかけたくないのと、ありがとうの意味で1つ大きく鳴いて返したら、ほっとしたように笑ってくれる。
「あーいたいた、ネコ公」
穏やかな時間に総悟くんが割って入ってきた。ぼくを探していた風な言い草で、右手に小さなビン、左手に小皿を持っている。
「沖田隊長、それ何ですか?」
「ひみつ道具!ニンゲンニナレール〜」
「はあ…?」
「ネコ型の天人が人間に化ける薬を発明中って聞いたんでねェ、ちっと借りてきた」
「いや、絶対に盗んでますよね…しかも明らかにとっても怪しいですよね…」
咎めようとする山崎くんをよそに、総悟くんはぼくの前に小皿を置いて、ビンの中に入っていた乳白色の液体を注いだ。話の内容を聞いて興味津々だったのと、朝ごはん抜きでお腹が空いていたのと、甘いミルクのようないい香りだったので、ぼくはすぐに口を付ける。山崎くんが横で「ちょっとちょっと!」と焦っているのが聞こえた。
「あああ…飲んじゃった……野良ちゃん大丈夫?気持ち悪くない?」
「んー、即効性って聞いたんだがねェ。やっぱり普通の猫には効かないか」
「なに無責任なこと言ってるんですか!こんな実験みたいなことして、野良ちゃんになにかあったらどうする…」
―ぼわん!
山崎くんと総悟くんが言い争う声がちょっとずつ遠のいて、あれ、また眠っちゃうのかな…と意識を手放しそうになったところで、小さな爆発音といっしょに白い煙が立ち込めた。視界が真っ白になって、2人が咳き込んでいる。
「ゴホッ、ちょっとこれ、どういうことですか…!野良ちゃん無事かい!?」
「あれ、コレもしかして効いたんじゃね?おーいネコ公〜」
「あ、はい」
白煙をかき分けてきた2人と目が合った。ん…?視線が、ずいぶん、高いぞ?
「山崎…き、着替え持ってきなせぇ」
「は、はいいいい!!」
*
「あの、総悟くん…」
「しっ、静かに。てか俺ァ総悟くんって呼ばれてんのかィ」
「あ、はい。ごめんなさい、沖田さんの方がいいですか?」
「いや、そういう問題じゃねぇんで…」
山崎くんが飛ぶように部屋を後にするのと同時に、総悟くんは押し入れから布団を取り出して、乱暴にぼくに被せた。全身をぐるりと巻いて布団ごとぼくを抱えたまま、周囲に目を光らせる。―何故って、ぼくが全裸だからです。
まあ、仕方ないよね。動物って基本みんな全裸だし。毛皮自前だし。そのままヒト型になったらこうなっちゃうの、当たり前だよね。ちなみに首に巻いてもらっていたリボンは変身?の拍子に解けてしまいました…ていうか全裸にリボンついてたらそれこそアレだよね。そんなぼくの体は見た目でいうと、だいたい10代半ばってとこだろうか。総悟くんよりひと回りくらい小さい。
山崎くんの足音が戻ってきた。ぼくみたいな小さいサイズの着物がここにあるのか、ちょっと心配なんだけど…
「あ?何やってんだ山崎、ンなもん持って…それ子供用じゃねえのか?」
「え、あっ…いやあの、着替え……」
「着替え?」
すごい。さすが山崎くんだ。最低のタイミングで最悪の人に捕まっている。ぼくはぐるぐる巻きにされていて様子が見えないけど、総悟くんの舌打ちが聞こえてきた。
「総悟。テメェまで何やってんだ」
「いやだなァ、布団片付けに来たんでさ。邪魔しねえでくださいよ」
「いや明らかに何か隠してるだろ!?出せ!」
ばさっと視界が明るくなって、寒っ。と思ったら、硬直した土方さんとばっちり鉢合わせた。そりゃそうだよね。布団から全裸の少年出てきたら、そういう反応するしかないよね。心中ご察しします。
一時置いてから我に返った土方さんが顔を赤くして目を逸らした隙に、意外と勇敢な山崎くんが走り寄っててきぱきと服を着せてくれる。寒いからって羽織まで持ってきてくれて、お母さんみたいだ。隣で総悟くんが呑気に「お、ぴったりじねえか」とか言っている。
「……何…やってんだてめーら…どっから連れてきたあああああ!!!」
「落ち着いてくだせぇ土方さん」
「お前が言うな!」
「まあまあ、お前、自己紹介してやりな」
総悟くんに促されて、はじめて身に着けた衣類にもぞもぞしながらぼくは立ち上がった。わあ、いつもの視界と全然ちがう。たしかに土方さんよりはずいぶん小さいけど、見上げても首が痛くならない。
「あの……ぼく、野良、です」
「……のら?」
「野良ちゃんです」「ネコ公ですぜ」
「………ハアアァァ!!?」
総悟くんは「人間に化ける薬」と言っていたけど、まさにそのままだった。
ぼくが自分の姿を見たいと言うので、山崎くんが持ってきてくれた古びた手鏡をいろんな角度に傾けては感心する。耳も手足もきちんと人間の形をしているし、尻尾もはえていない。それでも緑色の目は、くすんだモスグリーンの瞳としてその名残をしっかりと残していたし、くっきりとした毛並みのトラ柄は、こげ茶から薄茶にかけてのまだら模様の髪色に表れている。まさにそのまま、人間として生まれ変わったみたいだ。
「とにかくここから出すなよ」
「はい…でも、いつ元に戻るんでしょうか?っていうか戻るんですよね??」
「まだ未完成だから昼間しか効果がないって聞いたけどねぇ」
「なんだそのファンタジー設定。狼男の逆バージョンみたいな?」
「いや今そこ掘り下げるのやめましょう面倒なんで。とにかく迷子の保護ってことにしておけば、夜には元に…」
ぼくが自分の姿に見とれている間に、部屋を閉め切って3人の秘密会議が始まっていた。どうやらこの姿でいられるのは夜までで、みんなはぼくをここから出さないつもりらしい。たしかに街中で突然猫に戻っちゃったら大騒ぎだし、ただでさえ忙しいみんなの心配事を増やしてしまって、それはとっても申し訳ないんだけど…(いや、でも元凶は総悟くんだからな)
「すみません!ぼく、行きたいところがあるんです!」
*
勢いそのままに屯所を抜け出してしまった。ヒト型になっても運動神経は引き継がれているようで、4本足のときほどではないにしてもかなり速く走れた。縁側に置いてあったボロボロの共用草履をつっかけてきたのでとっても走りづらくて鼻緒が擦れて痛いけど、止めようとする3人を振り切るには十分だった(不意を突いたのもあるけど。)
「はーい。どちら様ですか?」
そうして興奮冷めやらぬまま駆け付けた万事屋さんのインターホンを鳴らしたら新八くんが出てきて、とっても他人行儀な挨拶をされて、いきなり心が折れそうになっているのが今だ。
「あ、あの、あの……えっと、銀さん、いますか」
「はいはい、ちょっと待ってね。……銀さーん、お客さんですよ」
しどろもどろになりながら弱々しい声で告げると、新八くんはふんわり笑って安心させようとしてくれる。依頼人だと、思われてるんだろうなあ…。
猫の姿だったら、断りもなしにこの先に上げてもらえるのに。よく見知った奥の部屋から近づいてくる足音に、びくびくしながら引き戸の外で待つことしかできない。寝間着の裾からお腹をぼりぼり掻いて、大きなあくびをしながら、開いたふすまの間から銀さんが現れた。
「んあ〜?……だれ?」
「お知り合いじゃないんですか」
「んなお子様と知り合った覚えはねーぞ…お前、名前は?」
やっぱり、分からないんだ。でも、分かるはずない。ほくだってそんなロマンチックな展開を期待していたわけじゃない。いきなり猫が人間になるなんて、ちょっとやそっとで考えつくわけないし。
「あ、あの、ぼく、………」
言いかけて、喉が詰まった。手前の新八くん、その奥の銀さん、さらにその後ろから顔を出した神楽ちゃん、みんな他人を見る目でこっちを見ている。冷たい視線ってわけじゃない、ただ、まっさらな表情で。―とてつもない、疎外感。
それに、ここでぼくが名乗ったとして、どうやって信じてもらったらいい?目の前で変身した山崎くんや総悟くんと違って、ここにはなんの証拠もない。いきなり現れた少年の「あの日助けていただいた野良猫です」ですんなり受け入れるなんて、そんな、おとぎ話じゃないんだから。
「ご、ごめんなさい…人違いでした。ごめんなさい!」
いやいや、人違いってなんだよ。あそこまで押しかけて名前を呼んで、人違いって。
とっさに出たとしてもひどすぎる言い訳に自分で呆れる。あれだけ張り切って駆け付けたのに、けっきょく、万事屋さんからも逃げてきてしまった。新八くんも銀さんも追ってはこなくって、考えなしな上に勝手にへこんでしまう自分にもまた呆れた。サイズの全然合ってない草履をずるぺた鳴らしながら、開店時間を迎えて活気の出始めた商店街を歩く。ぼくは猫でも人でも変わらない、野良なんだなあ…
(おいしそー…)
通りがかった洋食屋さんのディスプレイに目が止まる。何度も通っている道だけど、ぼくの頭上にこんなに鮮やかな食品サンプルが並んでいたなんて知らなかった。オムライス、スパゲティ、グラタン…へばり付いているぼくの横で、母親と手を引かれた男の子が店に入っていく。ドアについた鐘がカランコロンと鳴り、店員さんの元気な声が聞こえたところでドアが閉まった。
朝からあの怪しい液体しか口に入れていないので、お腹はペコペコだ。でもこういうお店でごはんを食べるには、お金が必要なことをぼくは知っている。そしてぼくは、そのお金を持っていない。野良猫やっていると1日なにも食べられないことも珍しくないので空腹には慣れているはずなんだけど、猫と人間では空腹の感じ方が違うみたいだ。胃がひっきりなしにきゅるきゅる鳴って、苦しくて仕方ない…みんなが規則正しくガツガツごはんを食べるのは、そういうことだったのかあ…
行き着いた先は先は公園のベンチだった。こんなところまで猫のときと変わらない。両手で弄んでいた飴玉の包み紙もすっかりくちゃくちゃになってしまった―ついさっき、通りすがったおばあちゃんがくれたものだ。実は猫のときにも、通りがかるとパンや小魚をくれる人で、ちゃんとお礼を言えてよかったけど、ちょっと泣きそうになった。甘酸っぱいラムネ味が空腹に染みる。
屯所に帰ろうかな、と少し考える。でも勝手に抜け出してきてそれは、さすがに都合がよすぎる。もしかしたら心配してくれてるのかなあと思って、本当にそうでも、そうじゃなくっても、どっちにしろ居たたまれなくて考えるのを止めてしまった。
「っくしゅん!」
自分のくしゃみで目が覚めた。ベンチの上で膝を抱えた状態で、どうやら眠ってしまっていたらしい。
(……さむ…)
鼻をすすりながら周りを見渡すと、どうも視界が薄暗い。見上げれば重たそうな雲がもくもくと、せわしない風も吹いていて、雨の気配が漂っていた。行く人はみな足早に去っていって、近くのベンチに座っていたお爺さんや、広場で遊んでいた子どもたちの影もまばらになっている。この姿で雨やどり、するところあるかなあ…と行動範囲を思い返すまえにふと気づく
(昼間しか効果がないっていうのは、もしかして)
時間と関係なく、太陽が陰ったら、元に戻ってしまうのでは?
*
上空の雲にはまだ隙間があり、まばらに青い空がのぞいていて、雲の流れによってときどき日が差している。それでも体が少しずつ重くなっているのが分かった。空腹とは違う、発熱したときのようなだるさだ。
(人目の、付かないところに…)
すぐ近くに木が茂っているところがあるから、そこでいいか。植え込みの陰で小さくなっていれば気付かれないだろう…でも元に戻るときもあの白い煙が出るのかなあ、それだと目立って困るな…言うことをきかない草履を引きずりながら、朦朧とする意識で移動を開始する。
「!」
呼ばれた気がした。ぼくを、名前で呼んでくれる人。
「お前っ…なんだろ?なあ!」
両肩を力強く掴まれていた。息を切らせた銀さんが、すこし屈んでぼくの目を見ている。銀さんが、ぼくを見て、名前を呼んでいる。
「…どうして、わかるの」
銀さんの大きな手がぼくの顔をすっぽり包んで、いつもみたいにわしゃわしゃ撫でるから、ぼくは堪らなくなって、子どもみたいにわんわん泣いてしまった。人間の体って不思議だ。目には異常がないのに、涙があふれて止まらないし、もっとたくさん銀さんの名前を呼びたいのに、呼吸がひくひくして変な声しか出ない。
「ぎんさん、きのう、ひどいことして、ごめんね。ごめんね」
銀さんは泣き止まないぼくをぎゅっと抱きかかえて、背中をぽんぽんしてくれたので、少しずつ呼吸も落ちついてきて、言いたかったことがやっと言えた。ぼくが銀さんの着物の襟をびしょびしょにしながら何度も「ごめんね」と繰り返すので、銀さんはちょっと笑った声で「いいよ」って頭をなでてくれる。
「銀さん、ぼくを、助けてくれてありがとう」
「うん」
「名前をくれて、あそんでくれてありがとう。大すきだよ」
「うん、俺もだよ」
「ぎんさん、ぼくを、みつけてくれて…」
「…!」
いよいよ体が重たくなって、強烈な眠気みたいに全身から力が抜けていく。銀さんが何度もぼくを呼ぶ声が心地よくて、でもそれも次第に遠くなって、最後にひときわ強く抱きしめられた感覚だけが残った。
*
「にゃあ」
「んー、食べ終わった?」
銀さんお手製の猫まんまを食べ終えたぼくは、日なたの特等席でうつらうつらしている銀さんのお腹に飛び乗った。銀さんはまだ半分寝ているような状態のまま、丸くなったぼくの背中をぽんぽんたたくので、ぼくもつられてあくびをひとつ。時計の規則正しい秒針の音と、屋根の上でさえずっているらしい小鳥の声、向かいの通りを走り去る車のエンジン音…心地よい雑音とぽかぽかの日差しに包まれて、満たされた時間がゆっくり過ぎていく。
ぼくねえ、思ったんだ。
銀さんとぼくはきっと、ずっとずっと前から繋がってるんだ。姿が違っても、今も、前世も、その前も、前の前も、そして来世も、ぼくらは隣にいるに違いないって。そう考えたら、ぼくらが猫と人間であることなんて、どうでもよくなってきちゃった。今までもこれからも、こんなに近くにいるんだもの。
「…、俺さあ、ちょっとバカなこと考えてたんだけど」
起きていたらしい銀さんが、まだ眠そうな声で喋りだす。窓からの光にちょっと目を細めて、再びぼくに視線を落として、そうやって柔らかく笑ってから続けるんだ。
「例えば、俺らに前世ってもんがあるとしてさ―」
see you next sunny day!
残ってるメモ書きではこれでいったん終わりなんですが、
メニューのボタンがもう1つ余ってて、せっかくなのでもう1つ書きたい気持ちです
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2018/9/23 background ©hemitonium.