Showdown



「(もうだめか…)」

服の裾を引っ張るのを諦めて、渋々座椅子に戻ろうとしたら不意に銀がむくっと起き上がった。
顔は伏せたまま一旦髪をかき上げて、こっちを見る。がっちり目が合った。
言われてしまうんだろうか…ついに。

「…ぎ、銀?」

怖気づきそうになっている自分を奮い立たせる。の手が離れたところで覚悟が決まった。
この機会を逃しちゃならない。怯え半分なのを髪を触ってごまかす…わざとらしかっただろうか。
恐る恐る目を向けたら火花が散りそうなくらい完璧に視線が合わさる。逃げそうになるのを瞬きで耐える。
言ってしまっていいだろうか…ついに。

、俺―」
「あああちょっ…ストップ!」

待って、待って、やっぱりだめだ怖い。まだ聞いてないからセーフだよな、うん。俺は何も聞いてない。
すばやく身を乗り出して、伸ばした腕で銀の口を塞いだ。手のひらに微かに伝わる唇の感触。
喋る途中でもごっ、となった銀は丸い目できょとんとしたままこっちを見ている。
あ…どうしよう。咄嗟に遮ったはいいけど、どうやって取り繕えばいいかなこれ
俺は銀の唇をそろっと開放し、行き場をなくしたその手で白々しくぽりぽりと頬をかいた。
視線を泳がせずにいられない。ぼやける視界の隅で、銀はまだまっすぐ俺を見据えている。

「あー、えーと…その先は、聞きたくねえなあ、なんて」
「どういう意味?」

が言い終わる前に問い詰めてしまった。ちょっと語調がきつかっただろうか、顔を伏せてしまう。
…いや、ヘコみたいのはこっちの方だ。
せめて最後まで聞けっつーの。勝ち逃げかよ、卑怯だな―今までの俺と同じ

「えっ、だから……だって、俺は…」

んな恥ずかしいことを聞くな!ここで食い下がっただけでも俺にしたら快挙なんだぞ。
お前と一緒にいたいんだよ。別れたくねーんだよ。そんなことも分かんねえの?それとも分かんねえふりでもしてるわけ!?
もう銀を振り向かせることはできなくても、悪あがきでもいいから、それを伝えたいのに。
その気持ちまで根こそぎ拒絶されちゃ―俺には、俯いて次の言葉を待つ以外に打つ手がない。

「そっか」

困ったように、さらに下を向いてしまった。
ここからだと瞳は見えないが、落ち着きなく瞬きを繰り返しているのが分かる。
そんなつもりなかったのに、ってことか
なのに俺だけ熱くなっちゃって?踊らされてたのはやっぱりこっちだったってわけだ。
あー、なにこれすんごい自己嫌悪。死ねよ、先走っちゃった数分前の俺。
無性に何かに八つ当たりしたかったが、ここじゃ負け惜しみにしかならないから髪をひと掻きして耐えた。
相変わらず言うことを聞かない癖毛どもだ。

「銀?」
「帰るわ」

…は!?えっ…なにそれ酷くね!?うざかった?俺そんなにうざかった!?
銀は今まで見たことがないくらい俊敏にすっくと立ち上がって、その脚が顔を上げた俺の眼前を通り過ぎた。
素足がぺたぺたとフローリングを進んで、玄関に脱ぎ散らかした靴を乱暴に突っかけて、
ドアチェーンを手際よく外して、あっという間に俺は1人になってしまう。
本当にあっという間。声を掛ける隙もないくらい、立ち上がる間もないくらい。
あまりにも瞬時にして、俺は―振られた、のか?それくらいきちっと言ってから行けよ!
なんか不完全燃焼みたいで気持ち悪いじゃん。あの野郎、勝ち逃げかよちくしょう!



どうしたらいいと思う?何をって…この現状を
俺は小さなグラスにちょろちょろと徳利を傾けながら、そうっと目だけ左に流した。
隣の男――は、1杯目のビールを1口目からぐいぐいあおる。一気に半分くらい流し込んだ。
ジョッキから口を離した後、唇をひと舐めする色っぽい仕草は相変わらずだ。
あれから確か―1週間は経ったろうか
だらだら過ごすと曜日感覚が麻痺していけない。まあ、7日かそこらは経過しているはずだ…それ以上に長くは感じたけれど。
店にはほとんど毎日来てる。店主に勘ぐられるくらい。逆にこいつはなかなか来なかった。
もう会いたくもねえってことなら仕方ない、家まで押し掛けるつもりはなかったし。
とか言いつつ未練がましいことやってる自分も重々承知。閉店時間になると毎夜、後悔の念が津波のように押し寄せていた。
コト、と鳴って皿がカウンターに降りる。俺は黙って醤油ビンを差し出した。
持ち方は不自然じゃないだろうか。指を立てると震えそうで怖い。

「……」

なんのつもりだろう。
あれから明日でちょうど1週間だ。もし鉢合わせてしまったらと思うと怖くて店には行けずにいたが、
おっちゃんに怪しまれるのもなんだし、ていうか自意識過剰じゃない?向こうはどうせもう何とも思ってないかもしれないし、
来てるかどうかも分からないんだし。というわけで仕事が早めに片付いた今日、久々にのれんをくぐった。
そしたら、これだ。
店に入った正面、一直線上に並んでいるカウンター席の奥で銀髪が映える。こちらには気付いただろうか、目が少し動く。
違う席に座ろうにも、「いらっしゃい」と声を掛けてくれたおっちゃんは既に定位置におしぼりを出してくれていた。
渋々、しかし久しぶりだなあと歓迎してくれるおっちゃんに対しては極力作り笑顔で、久々に席についた。
銀髪の男―坂田銀時―は押し黙ったまま、手にしたグラスの中の日本酒をゆらゆらともてあそんでいる。
待っていてくれたなんて、考えたってまた痛い目見るだけだ。
なのに奴は焼きしいたけが出てきた途端さり気なく醤油ビンをよこしてくる。なんのつもりなんだ、だから。

「……」

あっちも黙って返してきた。顔を横に向けられなくてよく見えなかったから、
受け取る際に少しだけ指先が触れて心臓が跳ね上がった。平静を装ったが、危うくビンを落とすところだった。
ああ、触れたい
お手本のように美しく箸を操る細い指とか、シータケ飲み込んでごくんと上下する白い喉とか、
スーツをすらっと着こなす長い脚とか、ほくろのあるすべすべの背中とか―
こんなに近くにいるのに
少し体を傾ければ、肩くらい簡単に触れる距離なのに、2人の間を隔てる壁は厚くて堅くて重い。
険悪な空気を察したのか、並んで黙りこくっている俺らに店主は何も言わない。
お互い顔もろくに見ないまま、俺はちびちび飲みながら、はもぐもぐ食べながら、ざわめきと共に時間は過ぎた。

「ごちそうさま」

2杯目を空けたところで逃げるように席を立った。適当な足し算で代金を払う。足りなくはないだろう。
距離が近くたって辛いだけだ
そのうち何か言ってくるかと思ってたけど何もないし、ましてや自分から言うことなんてないし。
というか一緒にいると否が応でも期待してしまうのだ。何か起こるんじゃないかって。
それが自分でも痛々しくていたたまれなくて、耐え切れなかった。

「足りねえ分はつけといて」

が店から出たのを確認した俺は残りの日本酒を一口に含んで席を立ち、
ポケットから有りっ丈の持ち金を掴みだして、ジャラ、と貧乏臭くばらまけた。
ここのところの毎日の来店で店主も俺という人間を理解してくれたらしく、はいはいと笑ってくれている。
急ぎ足で店を出てのれんを逆にくぐり、左右見渡すと背中が見えた。
ぽつぽつと疎らな街灯が照らすアスファルトは今にも闇に溶けそうだ。
今日はそんなに飲んでいないし時間もそれほど遅くないから、歩いて帰るつもりだろうか―
迷う暇はなかった。これを逃したら次はきっとない。
小走りで追いつくとは足音に気付いたのか、歩く速度は変えないまま左手の鞄を持ち直した。
なにか言わなきゃ。しかしここに来て、やり込めていたはずのプライドが顔を出す。
べったり残る未練との葛藤の末、なあ、という呼びかけに続いて出てきたのは醜い負け惜しみの一言だった。

「女の1人や2人できた?」

やっと喋りかけられた。なあ、という呼び方は変わっていなくて、自然と足が止まってしまう。
が、その後の言葉に俺は奥歯を噛み締めた。体を反転させる勢いで握った右の拳を振り抜くと、
寝静まった住宅街に、パシイ!と乾いた音が木霊した。拳は銀の左手に収められていて、
息を乱した俺と、ここまでするとは思わなかったのか、少し目を丸くしている銀は、6日ぶりに顔をつき合わせた。
手が触れるのも同じだけ久しぶり。拳に感じる銀の手の感覚が熱くて、握られているのを乱暴に振り払う。
いくらなんだってあれはないだろう、自分から振っといてなんて無神経な!俺は、俺は―

「俺はっ、ぎ…お前のこと、忘れたときなんて一度だってない!」

は手よりも口が先のタイプだったから、それだけでかなり怒っているのが分かった。
実は拳でも触れることができてちょっと嬉しかったりするのだが、でも、何をそんなに怒るんだ?
どうせなら「当たり前だろ」ぐらいのことを言い返して、惨めな俺を一蹴すればいいのに―
やっと向かい合うことができたの顔は泣きそうなくらい辛そうに歪んでいて、
手が払われるのと同時に投げつけられた言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。
立ち尽くしている俺を見切ったのか、一時の沈黙の後には踵を返した。慌ててその腕を掴む。

「ちょっ、待て。お前…振っといてなにそれ」
「…ふっ、た?」
「聞きたくないって言っただろ」
「あ、たり前だろ!別れ話なんて聞きたくねえよ!」
「……わかればなしィ?」

まったく話が合わない。今日はそんなに飲んでないはずなのになあ。
俺の右腕をぎゅうと握る銀の力は少し強いくらいで、それが逆に懐かしくて心地いい。
急に考え込んでしまった銀はそれでも手は離さないまま、力ませた眉間で思考を巡らせている。
強引に振り解いて逃げることもできただろうけど、黙って待った。やっぱり期待を捨て切れていなかったんだと思う。
それでもなかなか帰ってこないので一声かけようかと思った瞬間、銀がはっとして顔を上げた。

「あ…、え?」
「あのときの続き」

やっと話が繋がった。なんだよ、なんだよ、なんなんだよバカヤロー!
気が抜けたのと嬉しいのと愛しいのとなんか腹立つのと、全部混ざり合って叫びそうになった。
時と場合を考えてそれは飲み込んで掴んだ腕を引き寄せ、自分の足も1歩進める。
驚いているの唇をすばやく、しかし確実に捕らえた
久々の感覚と体温を味わう時間をたっぷりと置いた後、混乱しているに笑って告げる。
こいつもまた同じく、話を繋げるのにかなり時間を要した。俺は震える唇で吹き出すのを我慢しつつ、
思考と回想を繰り返して忙しなく泳ぎ回るの瞳を見つめていた。口はぽかんと開いている。
あっ、と声には出さずに顔を上げたとき、丸い目、その無垢な表情、俺は耐え切れずに吹き出してしまった。
せっかち野郎め。だからお前は早漏だってんだ

「そっ、ソーローじゃねえ!」
「じゃあ確かめてやろうか?」

食い付くとコツンと額がぶつかった。たぶん今ものすごく顔が赤い。
いろんな感情が混ざり合って、一言じゃ表せない気持ちだ。
至近距離で銀がにやっと笑う。チャラ、と音がして、視界に飛び込んだのは、銀色に光る―
ポケットから合鍵―もちろんそのまま、大事に取ってある―を取り出して見せると、は鞄に手を突っ込んだ。
そうして取り出す、革のキーホルダー
お互いの手の上をじっ、と見つめた後、ふっと同時に目が合って、すぐ横の電柱の上、
虫を集めてジー…と小さく鳴きながら明かりを零す蛍光灯の元、瞬きしてから一緒に笑いが漏れて鼻がこすれる。

「「バッカみてえ」」



おい、なんだよ。ふた開けたらどっちもノーペアって!
さっさと掛け金戻せ。カード切って仕切り直しだ―ただ、次は神経衰弱にしないか?




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2006/8/4  background ©CHIRIMATU