End betting



「あっはは、今のはねえよ〜」

さっきからが笑ったり、つっこんだりする度に、その音が俺の耳にダイレクトに届く。
一緒にいる時間が増えた。
今もこうして、仕事を早めに片付けたの部屋に、俺は夕食の時間から既に入り浸っている。
テレビの前にある大きなクッションに近い形をした座椅子にが寄りかかって、その上に俺が重なって、
腹を枕にして横になる。この自堕落な体勢が最近の定番だった。中々居心地がよくて気に入っている。
はお気に入りのスナック菓子(ポテトチップスのコンソメ味)を無造作につまみながら、
ゴールデンタイム真っ盛りのバラエティ番組に夢中になっていた。1人暮らしで独り言が癖になっているのか、
それとも俺がいるからなのか、テレビに対してものすごくよく喋る。昼間のワイドショー見てるオバチャン並だ。
今一大ブームになっている芸人とやらも俺はあまり興味がないし、けど寝ようにもこいつの独り言がうるさくて眠れない。
まあ、居心地いいので移動はしないけどね…上になっている左腕をひょいと伸ばすと、
ポテトチップスのアルミ地の袋にガサッと突っ込まれる。適当に2、3枚掴んで口に持っていく。
あ、それでかいやつじゃん!とか何とか、多分今のは俺に言ったんだろうが構わずバリバリ食う。
うーんまあ不味くはないが、やっぱり甘いもんの方がいい。は菓子好きだがだいたいいつもこうゆうスナック類で、
チョコレートとか飴とか、そういう砂糖に関するもんは滅多に食べないし買わない。

「ティッシュとって」
「んー」

言うと銀は脚でティッシュボックスをたぐり寄せて、ほいと俺に渡した。ほんとにこいつは動かない。
番組がCMを挟んで、今のうちだと思いトイレに立とうとするときも中々どかないし。
大体俺が押しのけるんだけど、そうすると岩場のアザラシみたいにだらしなくごろーんと転がってまた動かない。
そんで俺が帰ってきて元の位置に座ると、もそもそとずり寄ってきて再び腹の上に戻る。
最初は、薄い部屋着の生地越しに感じるくせっ毛がくすぐったくてちょっと嫌がってたんだけど、
今ではこれもなかなか心地いいと思ってしまう俺なのでした。…いや、でした。じゃないだろ。
銀はこういう(俺の大好きな)お笑い番組には興味がないようで、退屈そ〜に横になっている。
風呂入っていいよとか、ベッド行ってていいよとかと言うと、んーとかあーとか返すけど、まあ、やっぱり動かない。
俺も別に構わないのでそれ以上なにも言わず、テレビに意識を戻す。その状況がだらだらと数時間続く。

「オーイまたかよ!どーん!ぎゃはは」

ほんとよく喋るな。っていうかうるせえな。ちょ、動くな、ずれるだろうが。この位置がベストなんだよ。
手を叩いて笑っているをよそに俺はもぞもぞとポジションを修正し、再び睡眠と覚醒の間をつらつらとさまよう。
最近、悩んでいる。
そろそろ潮時じゃないかと思うのだ。
このままだと安定期に入ってしまう。グラフで言ったらこう、上下に激しく振れていた線が徐々に落ち着きはじめる、
その頃―完全に横一線になってしまう直前―が俺の思う潮時なのだ。
普段であれば、ここで頃合を見図り始めるんだが…だから俺は悩んでるんだってば。いや、だってば。じゃない。
突然だが、俺はを後ろから抱いたことがない。
いつも向かい合った体勢で…いや、ちょっと横にしたりとかそういうのもあるけど、え、道具?いや、今はそういう話は…
えーとにかく、それは最初から今までずっとで、なんでかってそりゃ、顔が見えないのが怖いからだ。
結局はいつも首にしがみついて俺の肩で必死に声を殺そうとするので(のろけじゃないってだから)
顔は見えなくなってしまうのだけど、それでも俺は、が俺に背を向けるのが怖かった。

「銀、先に風呂入って。あと30分で終わるから」
「んー」

それ鳴き声か?鳴き声なのか?テレビのノリが移った俺は思わずつっこみそうになった。引かれるから言わないけどね。
銀はやっと自分から起き上がり、頭をぼりぼり掻きながら浴室の方へずりずり歩いていった。
タオルと着替えはいつもんとこー、と言うと、また「んー」だからそれ鳴き声かって。
薄い壁越しにシャワーの音が聞こえ始めると、俺は途端に大人しくなる。テレビも面白くなくなるから不思議だ。
ポテトチップスをぽりぽりつまみながら、画面の中を所狭しと動き回るタレント達を遠目に眺めていた。
ベッドの外で、キスとかしたことない。
さっきみたいな調子で、同じコップとか箸とか使ったりすることはあるけど、直接は、ない。
正直、今だから言ってしまうが正直、俺は何度もねだりたくなる。それを無駄に喋って騒ぐことで我慢してる。
そりゃ一度ベッドに入ればいくらだってべたべた触れるわけだけど、こういう点で普通とは違うと痛感させられる。
これは気付いてから俺が特に神経を尖らせていることだが、「好き」っていう単語は一度だって交わされたことはないのだ。

ザー―…

頭をガシガシ荒っぽく洗いながら俺は自分を責める。
今さっき、立ち上がる拍子に、キスしそうになっただろう!
あいつは何も考えねえでポテトチップスぼりぼり食ってたじゃねえか。何やってんだ俺、しっかりしろ俺!
こうして、俺は悩んでいる。最近は向かい合ってを抱くのが怖い。
眉間に寄った細い皺とか、薄く開いた唇から覗く歯とか、熱に浮かされそうになっている目とか。
あいつは全身で俺を誘惑する。首にしなやかな腕を絡ませて、そのまま奈落の底まで引き摺り込まれそうだった。
今夜は、後ろ向きで抱いてみようか。
流したシャンプーが上からだらだら全身を伝っていくのを不快に感じることもなく、俺はボディソープに手を伸ばした。



もうそろそろ終わり、の気配は感じている。でもその時、俺がどうすればいいのかは分からない。
そりゃ、俺は銀が好きだ。―うん、もうこの際言ってしまおう。俺は銀が好き。ものすごく好き。
もっと一緒にいたいし、離れるなんて考えたくないし、できれば、銀にも、好きって言ってほしい。
でもこういう女々くさいのは銀が恋愛において一番嫌いなタイプなんだと思う。多分。
だったらどうすればいいって、それが分からないから悩んでるわけで…
早く答えを出さないと、もう時間はあんまりないんだろう。ていうか俺が考えたところで答えなんて出るのか?
夕べはついに「背中向けて」と言われた。できるだけいつも通りにと思っていたけどかなりきつかった。
俺はそれをひとつの大きな合図であると思っていたから…顔が見えないのは幸いだったと思う。

「銀、どいて。トイレ」
「んー」
「どけってば!」

…いてて、蹴られた。夕べからの様子がちょっとおかしい。もしかして感づいてるんだろうか。
いや、感づいてるって、何を?俺がそろそろ潮時だと思ってること?
それとも、その裏でかなり困惑して頭を抱えていること、そのものも…見破っているとでも?
こないだバックでしたときは「雑誌でこっちのがイイって読んだ」とかできるだけ自然を装ったつもりだったんだが、
誤魔化しきれなかったんだろうか?いや、こいつの場合、「別にそんなによくなかった」とかそんな、
こっちが驚くような理由で不機嫌になってることも考えられる。
は、天然であるだけ本当に底が知れない。一見単純にみえる奴ほど裏がありそうで怖いもんだが、
こいつは裏さえもなさそうに見えるのでそれがまた更に怖い。―怖い?違うな、本当に怖いのは…

「ねえ、銀」
「…んー」

し、しまった!「ちょっと強気に出る作戦」は見事失敗。トイレから帰ってきた俺に銀は見向きもしない。
座椅子に寝そべってちょっと待ってみたが、そっぽを向いたまま(やっぱり岩場のアザラシのように)動かない。
急に気まずく、そして寂しくなった俺は、CM明けのテレビもお構いなしに銀の服の裾を引っ張った。
ごめん、痛かった?ごめんって……あーもう、ほんと馬鹿だ、俺。
いや、馬鹿ってことはだいぶ前から分かってる。だから試行錯誤してやっていくしかないと思ったんだ。
だから、さあ、もー…戻って来いってば!

「ちょ、あの…ねえ、こっち、ね、銀ってば」

いや、もう、勘弁してくれ。ちょっと距離置くのにちょうどいいかなって思ったら、何コレ。何ソレ。
シャツの後ろの裾を控えめにつんつん引っ張ってくる。ちょ…やめてほんと、超くすぐったい!
これは何の作戦なの?考えてやってんの?偶然なの?それにしてはできすぎ…あああ考えすぎて脳がいてえ!
もし…例えばの話。こいつが、本当に単純で、裏も表もないまっさらな奴だったとしたら。
だとしたら間違いなく、なんの躊躇もなく俺はこいつの中に飛び込んでしまうだろうし、
こいつは何の疑いもなく柔らかく俺を受け入れるだろう。それを確かめるのが怖い。ものすごく怖い。
それを認めたくないから俺は、今までずっと、勝ったふりして逃げてたのかもしれない。
ああ、銀が戻ってきてくれない…そんなに強く蹴ったか?どうしよう、今ので覚悟決まってしまったり?
もうこれ以上、俺に何ができるっていうんだ。…なあ、こっち向いてって。

泣いても笑ってもこれで最後。さあ、いくら出す?




prev

top

next
2006/7/21  background ©CHIRIMATU