「俺ちょっと身動き取りにくくなっちゃって。悪いけど頼まれてくれない?」
珍しくから仕事とは直接関係のない遣いを頼まれて、は緊張していた。それも恐らく、先日身勝手に首を突っ込んだ桂小太郎に絡むものだと憶測が付いたので尚更だ。は多くは言わないが、自分の行動はとっくにばれていて、その上での頼みなのだろうと推察できた。それで言いつけ通り、昼時の街中を平服で歩いているのが今だ。
できるだけ自然に、自然に…の言葉を反芻していると一体何が自然なのか分からなくなりながら、日中の明るく活気に溢れる通りを人混みに紛れて進んでいくと、街の中心部に掛かる大きな橋にたどり着く。
「
―――」
親柱のすぐ横に立っている托鉢僧と、笠の陰から目が合いは息を呑んだ。汗で湿る手を一度握りなおし、雑音に打ち消されそうな小さな落ち着いた声で淀みなく経を唱え続ける僧に近付く。懐から、まさにから託された紙切れ―小さく結ばれている―と硬貨を合わせて取り出すと、鉢にそっと忍ばせた。
「財法二施 功徳無量―」
施財の偈を唱える僧に手を合わせ、一礼してからその場を去る。しばらく歩いたところでようやく緊張がほぐれてきて息を一つ…それでも庁舎に戻るまではと顔を引き締めた。
毒蛇スクランブル
「あれえ、土方さん。今日は”いつものとこ”行かねえんですか?」
昼になっても屯所に留まっていると、沖田がわざとらしく声をかけてきたので濁した言葉を返す。喧嘩でもしたと踏んだのか、沖田はちょっと面白そうに「へえ、そうですか」とだけ言ってそれ以上は踏み込んでこなかった。彼のいつも通りの軽い口調から、山崎が口止めを守ってくれているらしいことを察し、当然だと思いつつも少しほっとする。それでもさすがに昨日の今日で、”いつものところ”に足を運ぶ気にはなれなかった。
『公務員が盗撮とは感心しねえな』
押し黙ったままの土方の視線を全身に浴び、凍り付きそうな空気の中で口角を上げたの表情を思い返す。
『なあ、トシ』
穏やかに呼びかけられても土方の表情は変わらなかったが、1度だけ瞬きをした。はため息とも言えないくらい静かに息を吐きながらデスクに肘をついて、
書類の上で散らばった写真に伏した目を向ける。土方は言葉を発する素振りも見せず、ただ張り詰めた緊張感の中で耳を澄まし続け、それでもは独り言のようにつぶやいた。
『俺らって不器用だよなあ』
何度思い返しても真意がくみ取れない。ただ虚しげな伏し目の美しさばかりに気を取られてしまう―たとえ女々しいと言われようと、いままで積み上げてきた時間をそう簡単に無に帰すことはできそうもなく、山崎をはじめとする尾行班に箝口令を布いたところで土方の思考は行き詰まってしまっていた。
*
= 蔵相 横領疑惑 = 各省庁の支出を水増しか = 天人の陰で私腹を肥やす黒幕 =
「さん…これは…」
従業員総出で買い集めてきたやかましい新聞やゴシップ誌を、重なって埋もれてしまうほどデスクに並べて、は顔を真っ青にしていると向かい合っていた。組んだ腕の片方を解いてあごに添えながら背もたれに体重を預けて、漏れた息と一緒に感嘆のような声を出す。
「いや〜、思った以上に想像力豊かだな。メディアってのは」
はすっかり肩を落とし焦燥しきった様子で、なにを呑気な、と覇気のない声をこぼす。人目を引くためだけに必要以上に派手に踊って自分の上司をそしっている大きな文字はどれも空言であることを誰よりも分かっている彼は、こんな不躾な虚言ごときにも太刀打ちできない非力な自分の情けなさと、日頃の苦役など意にも介さずここまで一方的におとしめられても平然としている当の本人への苛立ちで本当に泣きそうになっていた。
「ああ、ごめんな。大丈夫だから」
下まつげで堰き止められていた雫がじわりとせり出しいよいよこぼれ落ちそうになって、が腰を上げた。デスクを回りこんでの肩に手を掛けようとすると、その前に書簡が差し出される。がずっと強く握っていたので、端がしわになっていた。
「申の刻に臨時会見。同席せよとのお達しです」
「…了解。もう後釜決まってんのか?早いねえ」
「さん、なにか…お考えあってのことではないんですか!?こんな事であっさり罷免なんて―」
堪らなくなって声を上げそうになるを、唇の前で人差し指を立ててが制した。少し高いところにある首に無理やり腕を回してぐいと引き寄せると、急に調子を変えた低い声を耳元に吹き込む。
「よく聞けよ。お前はできる子だって信じてるからな」
*
御所内の一角に用意された会場に入る裏口にはすでに真選組の面々が揃っていた。引き戸を囲うようにして整列し、一番内側にはわずかに硬い表情をしている土方。をはじめ数人と連れ立ってが現れると、みな一堂に姿勢を正した。
裏口の前でたちが立ち止まる。代わって隊士の一人が引手に手を掛けようとしたとき、の体が立ち眩みのようにふらついて崩れ落ちそうになった。咄嗟に動いた土方が抱きかかえる。
「…おい、」
久方ぶりに五感を刺激されて、こんな場面なのに体温が上がりそうになりながら土方は極力冷静に振る舞う。心配そうにうろたえる後ろの従者からは見えないように、土方の腕にしがみ付いて体勢を持ち直したはその首元でそっと呟いた。
「上出来。俺から目ぇ離すなよ」
にやりと笑った表情が見えたか、見逃したか、気のせいだったかという刹那、土方が顔を上げたときにははもう戸をくぐろうとしていた。
網膜が焼かれるのとトランス状態に入るのと、どちらが早いだろうと思えるほどけたたましいフラッシュをこれでもかと浴びせられながら、は一礼して席に着く。予想通りだが会場に将軍の姿はなく、中央に座している大名らしき天人が代理という形になっているらしい。それを挟んで自分と反対側に控えている天人がおそらく後任ということになのだろう。細い釣り目でよく肥え、いかにも理屈っぽそうなインテリ気取りの顔立ちだ。(こんな環境なので、天人の人相もそれなりに判断できるようになってしまった。)先ほどからちらちら視線を寄越しては、いけ好かない薄ら笑いを浮かべている。
すぐに定刻になり会見が始まったらしい、大名が今回の騒動についてあることないこと、上辺だけの謝罪とも言えないような言葉を並べるだけの時間がしばし続いた。
「では、蔵相から―」
やっと名前を呼ばれる。立ち上がってマイクを口元に運び、視線を上げると先ほどよりも更に激しいフラッシュが一斉に瞬く。それで頭が真っ白になってしまった…わけではなく、もとから話すことは何も考えていなかった。何故って、必要がないから。
「天誅
ーーー!」
が言葉を発するより速く、記者席の最前列に座っていた一人が声高に叫びながらにわかに立ち上がり会見席に向かって飛び掛かった。右手にはボイスレコーダーでもボールペンでもなく、しっかりと得物が握られている。
「!」
後ろに付けていた真選組の列からいち早く土方が飛び出しての腕を引く。間に入って刃を受けた土方は、相手の顔に見覚えがあること、それが会合帰りのを狙った一派の取り逃がしたうちの一人であることを瞬時に理解した。土方の片腕に握られたままのの手からマイクがすべり落ちる。逆さまに落下した衝撃でボンッと大きな音が弾ける。それを合図にしたかのように、記者席の至るところから同様に「天誅」の声が上がり、記者の変装を解いた攘夷浪士が次々と会見席の役人に向かって勇猛に切り掛かっていく。ついには正面入り口が開け放たれ、そこからも大量の侍がなだれ込んだ。先頭を切るのは桂小太郎だ。
「お前…とんでもねえな」
切り掛かってくる浪士をいなしながら土方は感心とも怖れとも取れない複雑な感情でつぶやいた。役人を守る真選組、天人を狙う桂一派、味方以外全員敵の過激派浪士というこの地獄の三つ巴を作り出したのが、今自分が後ろに庇っている華奢な男だとは誰も思わないだろう。かくいう自分も理解が付いていかない。
「だから目ぇ離すなっつったろ」
「はいはい、仰せのままに」
土方を盾にしながらが目配せをし、指示通り記者席の隅で縮こまっていたと他の従者を動かす。この状況でも勇敢にシャッターを切ったりカメラを回したりしている仕事熱心な取材陣を非常口に誘導するのが彼らの役目だった。
真選組の応援隊と、もともと御所に控えている警備隊や忍の協力もあり、騒動は少しずつ鎮静されていった。桂一派は示し合わせた通り、いい頃合いで先に脱出してくれたようでは安堵した。あとは―…警備隊の後ろにその巨体を収めながら、会場の裏口までどうにか辿りつこうとうろついている影を見逃しはしない。先ほどから散々不快な思いをさせてもらったので、借りはきっちり返さねばなるまい―。土方からそっと離れ、行き交う凶器をかいくぐって近い方の裏口を抜けると、若干先を越された背中が見えた。重たそうな体躯を揺らして、彼なりの全速力で走っているらしい。
が上着の左側をばさりとめくると、ベルトの間から小ぶりの拳銃が現れた。彼の眼鏡のフレームのようにくすんだシルバーの銃身を鈍く光らせながら、流れるように安全装置を外す。銃身を握った右手首に左手を添え、伸ばした肘を目の高さでぴたりと固定した。
「死ね。クソ野郎」
*
なにかと引っ張り回され、ようやく落ち着いたと思ったらこの時間だ。夕飯の準備が始まり胃袋をくすぐる香りがそこかしこから漂ってくる。土方は相反して重くなった首を左右に曲げてパキパキ鳴らしながら、沖田の言う”いつものところ”までの道を急いだ。
昨日の一件で関心がすっかり移ってしまったのだろう、庁舎は妙に静かでいつも通りに見える。入口の両脇に立つ門番はやや緊張した面持ちで一礼していたが、普段どおり軽く片手を上げて答えたらカーペットをわしわしと踏み進む。階段をのぼる気になれず、に教わった暗証番号を入力してエレベーターを呼び寄せた。
「おー、お疲れさん」
屋上に続く重厚な扉を押し開けると、西日の眩しさに目が慣れる前に呑気な声。手のひらをかざした陰から声がした方を確認すると、フェンスに肘を預けたが空っ風に髪をなびかせていた。眼鏡のブリッジを中指でついと持ち上げながら、歩み寄ってくる土方の顔色を確認してちょっと目を丸くする。
「なんか俺より疲れてない?」
「お陰様で…つーかこんな状況でも入れてもらえるんだな」
「いやいや、俺、今でもちゃんと蔵相だからね?」
言われてみれば正式な通達は何も出ていないのでその通りだった。けどさすがに仕事できる空気じゃねーわ、2日分溜まってるんだけどなどと冗談めかして言うわりに、は見慣れた制服を上から下まできちんと身に着けている。彼のことだ、大方いつもどおり仕事をこなそうしたところ、にでも追い出されたのだろう。そこまで見越して土方は直接ここまで上がってきたのだから。
「ほらよ」
「あら、気が利くじゃん」
隊服の内ポケットから、細長く畳まれた今日の新聞を取り出してに渡す。昨日の今日では外出もできまいと思って買ってきたのだ。元より滅多に外出などしないが…たちも今日は以上に忙しいのだろう、やはりまだ目にしていなかったようで、どれどれと言いながらときどき風にあおられて見づらそうに新聞を広げている。土方はここまで来る途中で先に内容を確認したが、1面は御所内でテロが起こった衝撃で埋め尽くされていて、横領スキャンダルについては何の根拠もなかったことが隅の方に小さな文字で書かれているだけだった。
意外と真剣に目を通しているらしいの横で、土方は取り出した煙草の紙箱の隅をトントン叩き手慣れた仕草で火を点ける。
「てっきり小細工の1つや2つやってるもんだと思ってたがな」
「いや、やってるよ?あいつら金あるだけ使うからさあ…そっちはもっとうまく隠してるだけ」
はさらりと言い放ち、一通り読んでもう飽きたのか、まったく関係のないページをぺらぺらと流し見しながら、だから余計に仕事が増えるんだよなあなどと呟いている。どうにも緊張感のないというか、いっそ肝が据わっているとでも言った方がいいのか、いちいち口を挟むのも馬鹿馬鹿しく思えて土方は話題を変えた。
「元の状態に戻れんのか?」
「大丈夫じゃない?バレやしないし、後任もいないしねえ」
「…ああ、そういやそいつ。会場の外で倒れてたわ」
「へえ」
ぺら、と新聞紙の薄くざらついた紙がめくれて音を立てる。
「逃げ出したところを後ろから撃たれたらしいが、誰の証言にも出てこなくてな」
「ふうん」
「しかも出てきた弾の製造元が不明ってんで、ちょっと問題になってら」
「まあ、相当手ぇ入れて細工してもらったしなあ」
ついにはテレビ番組欄なんか眺めながらまた飄々と言ってのけるので、土方はさすがに息を吐いて頭を垂れた。
「ペンは剣より強いんじゃなかったのか?」
「お。よく覚えてたねえ〜」
弾けたようにけらけらと軽やかに笑って、土方の頭を雑にくしゃくしゃ撫でながら、ちゃんと辞書引いたの?と聞くと、少しうっとうしそうに当然だ、忘れるかと答えた。えらいえらいと茶化しながら指先でごわつく硬い質感の黒髪に、はさらに笑みを濃くする。
「俺も聞いたよ。真選組が付いてたのに、大名も側近も重症だってな」
「…まあ、あれだけ数がいちゃあ俺らにも限界ってもんがな」
「うちの奴らはみんな無傷なのになあ。それで今日絞られたんだろ?」
「まったく不思議なこともあるもんだな」
「なあ、これってさ」
いつまでも撫で続けるのを払おうとする土方の手をひらりとかわし、すばやく煙草をかすめ取る。なにか言い返そうとした土方は見やった先の頬にうっすら紅が差し、瞳が光っているのに息を呑み、
「どっちも揃えば最強だな」
それが夕日に照らされているからなのか、それとも本当に彼の内側からそうさせているのか確認できないまま、引き合うように唇が触れた。柔らかい色をした太陽が眼鏡のレンズに写って、今までにないほど満たされた微笑が写真のネガのように瞼の裏に焼き付いて離れない。の指先からぱらぱらと灰がこぼれ落ちて、乾いた風にさらわれていく。
やんわり下唇を食まれてたまらず、土方の手がの耳の裏からうなじを撫で上げた。悩ましげな吐息が漏れたその向こう、舌で歯並みを割ろうとしたところで、携帯電話の甲高い電子音が鳴り響く。
心底ばつが悪そうな苦い顔で言葉が出ない土方と、鳴り止まない無機質な着信音にが吹き出した。こうなってしまっては無視を決め込もうにも恰好が付かず、土方はひとつ咳払いをして、渋々懐から取り出した携帯電話の通話ボタンを押しながら少し距離を取る。
土方の曖昧な相槌や身のない返答をぼんやり聞きながら、すこし短くなった煙草をやさしく口元に運ぶ。夕暮れのにおいを煙といっしょにひとつ大きく吸い込んだら、胸に行き渡る温かさには目を細めた。眼下の街並みは低く傾く夕日で橙や黄色に染め上げられ、合間から窓ガラスがちらちらと光る。フェンスにもたれて吐き出した紫煙は、薄く伸びた雲の形をなぞりながら明日の方に溶けていった。
I wait for you to come again, thank you.
2006年から干支を一回りしてしまいました。ZOOだけに。(うまくない)
実写鴨太郎くんのビジュアルが主人公のイメージにすごく近くて、映画観てまず書きたいと思ったのがこの話でした。だいぶ掛かりましたが
あと単純なのでM浦H馬くんがとても好きになった。あごのホクロがセクシー…
N楽くんの土方については言葉がありません。毎回泣きながら拝んでる状態だから。
<< tiger
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2018/10/28 background ©hemitonium.