「克朗!どうしよう!!俺だって夏休みくらい欲しいよ!」
「……ああ、それで?」
「えーとそれで…テスト、が…補習の危機です」
「それは知ってる」
「うっ…いじわる!助けてくれよ克朗〜どうせ俺はできない子だよ〜」
うわあん、と白々しい泣き真似で顔を覆うと、あからさまに呆れたような溜息を吐かれる。
「か…かつろー君?」
「仕方ないな…うちで一緒に勉強するか?」
「よっしゃあああ!!ありがとう克朗〜」
都合よく喜ぶ俺に、やっぱり克朗は呆れた顔をしていた。
PREINIT.#2
俺も克朗も、家から学校までの距離はそんなに変わらないけど、俺は実家で克朗は1人暮らし。普通に通える距離なのにって話したら、中学からずっと寮生活で今更家に戻る気がしないから、とか言ってた。ふーんって答えたけど、何だか俺がいつまでも親のスネかじってるみたいで、少し恥ずかしく思ったりして。克朗の実家はきっとすごーく立派な日本家屋なんだろうなあ(和菓子屋って言ってたし)(実家から送られてきたってお菓子をいくつか貰ったことあるけど、超美味でした)(父ちゃんには申し訳ないけど、うちなんてフッツーのリーマンだぞ。こんなとこでも生活水準の差を実感せざるを得ない。)とか、1人暮らしでもきっときちんとした生活してるんだろうなあとか、勝手な想像したりもしたけど。実際克朗の部屋にお邪魔するのは初めてだった。
克朗ん家は学校の最寄り駅から2駅。学校の周りには徒歩で通える距離に学生向けのアパートが沢山あるのに、なんでわざわざ?って聞いたら、あんまり近いと気が緩むから、とかいかにも彼らしい答えが返って来たことがある。
そんなわけで今日の授業を終えて、一緒に電車に乗って、いつもは克朗と別れる駅で(俺はもっと先の駅で乗り換えるから)今日は俺も一緒に降りる。改札を出て、腹減ったからコンビニ寄ってもいい?って聞いたら、うちに昨日の晩の残りがあるが、とか言われてものすごくびっくりした。まさかここまでとは。
「ここ?」
「ああ、4階なんだが」
「へえー…え、おい?」
「何だ?」
「エレベーター…」
「4階くらい階段で十分だろう」
「えー…」
「元野球部だろ?筋肉は使わないとすぐに落ちるぞ」
っていうか既にごっそり落ちてます。と言い返す間もなく、克朗は階段を上がっていってしまった。渋々付いて行って、階段をぐるぐる回って、やっと4階に着いた頃には肩で息をしていた。
「毎日、こんななのかよ…」
「慣れれば普通だぞ」
「…あ、そ……」
今にも座り込みそうな俺を、もう少しだからと言って歩かせる。奥から3つめのドアの前で止まって、カバンから鍵を出してドアを開けて、
「どうぞ」
「お邪魔しまーす…」
入る。…きれい過ぎる。いくら克朗でも、さすがにこれは…と思った。たまに母ちゃんが勝手に掃除してる俺の部屋より何倍も整ってる。その上ここは1人暮らしの男の部屋だぞ?俺が部屋に来るのだって今日決まったことだし、ありえないって。絶対おかしいって。それとも普段から来客が多いのか?まあ人望厚そうだし、ありそうな話ではあるけど、人が来るからってここまで……もしかして、今までそんな匂い全然しなかったけど…まさか女?
と、奥の部屋に通されるまで一式のことは考えた。それくらいきちんとしていた。廊下の横のキッチンには調理道具一式が揃ってるし、コンロの上には確かに昨日の晩の残り物っぽい鍋が置いてある。磨りガラスのドアを開けて部屋の真ん中に置かれた質素なテーブルの前に座らされて、何か飲むか、と聞かれたら答える間もなくペットボトルが出てくる。結局、お邪魔します、から一言も喋らないまま、気付けば身の回りは勉強する準備が整えられていた。
「さて始めるか」
「いや…いやいや、克朗」
「何だ?」
「これ…いつもこんななのか?」
「…こんなって?」
「いや、きちんとしすぎだろ!やたら奇麗だし、次々物が出てくるし!」
「そんなに驚く事か?これくらい普通だろ」
「えー……なに、克朗、実は女いたの?」
「は?女?」
「全部自分でやってるとは言わせねえ」
「……自分でやってるんだが?」
思いきり脱力。
*
「え?なになに?今のもう1回!」
「だからー…」
部屋の空気にもすっかり慣れて、テスト勉強も少しずつはかどってきた(俺的に。)同じ説明を何度も繰り返してくれる克朗は本当にやさしい奴だと思う。最近ますますふてぶてしくなっている俺だけど、感謝と尊敬の気持ちは変わっていない。
「あーなるほどね!うんうん、今分かった」
「分かったらちゃんと書いておけ。また忘れるぞ」
「はーい」
ピーン・ポーン―機械音が響いた。今日の授業は午前だけだったから、まだ明るい平日。こんな時間に?
「?…誰だろうな」
続けててくれ、と残して克朗が部屋を出る。玄関と部屋は薄暗い廊下を通して磨りガラスのドアで仕切られているから、こちらからは微かな音しか聞こえない。
ドンドンドンドン!
チャイムを鳴らして間もないのに、せっかちにドアを叩く客。ドアを通して耳に届く大きな声から察するに、多分…あまりいい予感がしないながらも、渋沢が鍵とキーチェーンを外す、と、
「キャップテーーン!!」
「藤代…」
こちらがドアノブを回すよりも早く、向こうからドアが開けられた。あまりに予想通りの展開に呆れるしかない。
「あれー?なんでもっと驚いてくてないんすかあ〜」
「だってお前…え?三上!…と、笠井まで?」
「よお。Jリーガーが遥々遊びに来てやったぜ」
「お久しぶりです」
「な、なんだ?何しに…」
ドアの向こうに続々と現れるチームメイトの顔に少したじろぐ。相変わらず仔犬のようにキャッキャしている藤代が続けた。
「もうすぐ選手権の地区予選始まるじゃないっすか!だからキャプテンのトコに願掛けに来たんすよ〜」
「いつ行こうかって誠二と話してたら、今日三上先輩が学校に来て一緒に行くって。6限抜けて来たんですよ」
「さぼりか?お前等は相変わらず…っていうか三上はなんなんだ?」
「オイオイ。可愛い後輩のお守りじゃねえか」
「なーに言ってんすか!キャプテンに彼女ができたかどうか見に行くってムリヤリ付いて来…いたたたた痛い痛い!!」
「テメェも乗り気だっただろうがバカ代」
卒業からさして時間も経っていないので当然といえばそれまでだが、ちっとも変わっていない面々に渋沢はほっとする反面ぐったり。主将時代の心労が思い起こされる。
「まあいい。で、どうだ渋沢?キャンパスライフはよお?」
「どうって…」
「俺らと先輩達の中で大学進んだのキャプテンだけじゃないですか。色々聞かせて下さいよ」
「彼女できたんすか!?見たいな〜キャプテンの彼女!」
「いや、だから俺はそういうのは、」
「つーか親愛なるチームメイトに立ち話ってどうなんだよ?」
「そーっすよー!中でゆっくり話しましょ!」
ドアを通り越して続々と部屋の中に詰め掛ける3人を渋沢は両手でやんわり制した。
「いや、今はちょっと」
「「「ちょっと……?」」」
バラバラだった3人の息がぴたりと合った。こんなところも相変わらずで参る。参っているうちにも彼らは靴を脱ぎだしている。
「わああ!ちょっ、やめろ!!」
「この慌てふためきぶりが更に怪しいな」
「相変わらず奇麗にしてますねえ」
「彼女さーん!はじめましてえ〜〜」
*
「なんだろう…」
やけに騒がしい。友達が遊びに来たのか?結構な大人数みたいだし、俺ここにいていいんだろうか…とか、ちょっと居づらさを感じていたところ、廊下を走る複数の足音が響いて、近付いてきて…
バン!
「わあ!」
「「「……ん?」」」
ドアを力任せに開けて顔を出したのは3人の男。揃いも揃ってガタイがいい。2人は制服で、1人は私服。こっちを間の抜けた顔でぽかんと見ている。
「…あ、あの」
「「「男…?」」」
え、そうです男ですけど。ざくざく刺さる視線になんと返したらいいものかと、ペンを握ったまま停止してしまった。
「、すまない、これは」
そちらも同じく固まっている3人をかき分けて、克朗が顔を出す。
「あ、お友達の方々…ですか?」
「ああ…中学からのチームメイトなんだが」
「なんだそっかあ!あ、初めまして、俺です」
軽く頭を下げたら、私服の男が眉間に皺を寄せて訝しげにこっちを睨んだ。
「いや、つーかお前…同い年だろ?」
「え?あ、はい、大学1年です」
「もっと何かあるだろ!リアクションが!」
「…え?え?」
「三上、はサッカーの事はあんまり…」
「あ?」
なんともガラの悪そうな人だ…と引いているところではっとした。これはもしや、俺が克朗に会ったときと同じパターン!
「あ、もしかしてサッカーの選手、とか…?」
「えーと、あのな、こいつは三上亮っていって、今は東京のサッカーチームでプロとして…」
「五輪代表とかにも選ばれてんですけど?」
「…代表!?あああえっと、すいません…」
「ったく…サインやらねえぞ」
「要らないと思いますよ」
「あぁん!?」
えー怖い…そして確かにいらない…しかし言われてみれば確かにこう、Jリーガー!て感じの雰囲気だ。サングラスとか。かなり偏見入ってるけど。
「えーじゃあサン俺のことも知らないんすかあ?」
「うん…ごめんなさい」
「じゃー自己紹介!武蔵森高校3年!未来の日本のエース藤代誠二でーす!」
「あ、はじめまして」
「俺も同じ3年の笠井竹巳です。キャプテンとは同じ大学なんですか?」
続々と迫られて、気付けば5人輪になって、座談会の形になっていた。
「うん、克朗にはほんとにすげー世話になってて…」
「…か、克朗?」
「なんか変な感じっすね」
意外なところでみんな揃って引っかかった。え、なにか変なこと言った!?克朗って、主将を呼び捨てはまずいのか!?
「え!?ご、ごめん、しぶさ、わ?」
「いや…」
おずおず隣の克朗に確認をとったけど、なんだか曖昧な返事。
その後もその流れで5人で何だかんだ話して(主に藤代くんが。)一時、会話が途切れた所でうまく克朗が切り出した。
「すまん、皆そろそろ帰ってくれないか。テスト勉強中なんだ」
「えーせっかく遊びに来たのに〜」
「願掛けでしょ」
「まー特に面白そーなネタねえみてーだしな」
「散々話しといてなに言ってんすか!俺はサンともっと仲良くなりたいっす〜」
「誠二、早く帰らないと練習間に合わなくなるよ」
「ちぇー」
「んじゃあな渋沢」
「お邪魔しました」
「ああ、試合見に行くから」
「サンまた遊んで下さいね〜っていうかサンも試合見に来て下さいね!」
「あ、うん、ぜひ」
帰り際にもわいわい賑やかな3人を押しやって、なんとか送り出した克朗はやれやれという風でため息をついた。急にしんと静かになった部屋に響く。まとめ役の克朗は疲れただろうが、俺は野球部の仲間のことを思い出して、初対面だけどなんだか懐かしくて楽しかった。
「おもしろいメンバーだなー」
「いや…邪魔してすまなかった」
「んーん!なんかみんなすげー人みたいだし。お知り合いになれて光栄ですわ」
やっぱサイン貰っときゃよかったかなーと笑いながら元の席につく。
「どうだかな…それじゃ再開するか」
「はーい」
閉じてあったテキストを開き直し、さきほど1人でやっていた時に分からなくてマルを付けておいた所を思い出した。
「あ、なーかつろ…」
「ん?」
「いや、渋沢?」
「あ……ああ、」
さっきの会話を思い出して、言い換えてみた。克朗は見るからに困っているというか、気まずそうというか、なんとも表現しがたい表情で感情が読み取れない。俺は手に持った赤ペンを一度くるりと回した。下手なので1回しか回せないのだ。
「克朗って呼ぶのって、変?」
「…いや、」
「そういえば学校でもみんな渋沢って呼ぶよな。さっきのメンバーも、キャプテンとか渋沢とか…」
「ああ…」
「俺も渋沢の方が自然かなあ」
「いや…あの、」
「なに?渋沢…ンー、なんか急に変えると変な感じ」
「俺な、」
「んー?」
こりゃ慣れるまでちっと時間かかるかなーと考えながら、少し伏目がちな克朗に目を向けるときりっとした顔を上げた。
「家族以外に名前で呼ばれるのなんて初めてなんだ」
「………はい?」
「今までずっと、さっきみたいに、渋沢とか、キャプテンとかで」
「う、うん」
「自分から呼ぶ方も同じ。人を名前で、呼び捨てで呼ぶなんて…多分、初めてで」
「え、彼女…とかは?」
「渋沢くんとかだったし…こっちも苗字で呼んでたから」
「そっ、か…あー、と、なんか、ごめん。俺だけ空気読めてないかんじ」
「いや、そうじゃなくて」
克朗が何を言いたいのかいまいち掴めなくて、とりあえず謝ると真っ直ぐな目で否定する。
「『克朗』は、だけ。特別」
「……!?」
続いてそう言って、にこっと、ふわっと、照れ笑い、しやがったのだ!これは理屈抜きの条件反射で赤面するしかないだろう。そうだろう?
「だからこれからもそう呼んでほしいし、俺もって呼びたい」
「えっ…う、うん…」
「いいか?」
「あ……はい!もちろん!!」
「…ありがとう」
礼を言うところなのか?克朗はいつもそうやって、人とちょっと違って。俺はそれを見る度におかしかったり、面白かったり、ハラハラしたりしてたけど、これは、そう言うよりもむしろ…どきどき?
「―!」
自覚した途端、更に脈が早くなって、きっと更に更に顔が赤い。
「…やっぱり嫌か?」
「あ、いいいや、全然、違う・ます!」
何度も、何度も、呼んで、呼ばれて、呼び慣れて、呼ばれ慣れた名前なのに、突然に特別になったようで。次から、普通に、今までみたいに…って呼ばれて、克朗って呼んで、できるだろうか。
「か…つろー…」
「ん?」
「えと、ここって、どうやって…?」
「ああ、それはこっちのテキストの―」
正直肩で息をしたいくらい、トラック1周全力疾走したくらい心拍数が上がっていて、勉強どころじゃない。赤ペンをぎゅっと握った右手の内側は手汗びっしょりだ。紙面に置いたままのペン先からは出血のような紅がどくどくと漏れて滲んでいる。
「あったあった、このページのここ…?」
「あああ!はいすいません!!」
お蔭様で、夏休み。無事に迎えられました。
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2004/3/27 background ©m-style