「(ふにゃー…)」
 空気が暖まり始めた昼時前、日当たりのよい公園のベンチの上で欠伸をひとつ


そーごくんといっしょ


 お昼寝から目覚めたぼくは公園を出て、昼前で賑わう商店街を歩いていた。そろそろお腹空いたな、と考え出したとき、行き来する無数の脚の中、黒い艶の革靴を捕らえて足を止める。見上げると、土方さんと山崎くんだった。
「(…よーし)」
 お魚をご馳走になって以来、ぼくはよく真選組の屯所に遊びに行くようになった。真選組っていうのは公務員らしくてお金には不自由してなさそうだから、銀さんと違って遠慮なく食べ物が貰えるし(本人が聞いたら傷付くかも)人がたくさんいて(全部男だけど)いつも賑やかだから、遊びに行くには格好の場所なのだった。餌貰ってばかりで、野良猫のプライドはどうしたのかって?…まあ、楽したい時もあるよ、猫だもの。
 擦れ違う形で、ぼくには気付かずに(この雑踏の中じゃ仕方ない)去っていく2人の後にくっ付いて歩き、自動販売機の前に立ち止まったところで、大き目の猫撫で声を上げながら土方さんの脚に擦り寄った。
「……ん」
「あれ、野良ちゃんじゃないですか」
 真選組の人はぼくのことを野良、と呼ぶ。野良猫なんて他に有り余るほどいるんだけど、ぼくが野良猫であることには変わりないし、名前はあるけど伝えようがないのでそのままになっている。
 ポケットから小銭を取り出したまま土方さんが固まってしまった。ぼくの方を珍しそうに眺めている山崎くんはそれには気付かず、感心したように。
「ずいぶん副長に懐いてますね」
「…たまたまだろ」
 土方さんは足元に擦りつくぼくを極力素っ気なく振り解いて、自販機を使わないまま歩き出した。見上げると申し訳なさそうな見返り顔と目が合うので、ぼくはめいっぱい優しい鳴き声で応える。
 わかってるよ、だいじょうぶ。
「よしよし、無愛想な上司でごめんね」
 山崎くんがぼくの額を撫で撫でして申し訳なさそうに言うから、それにもにゃあと鳴いて返す。安心したらしい山崎くんは、小走りで土方さんの背中を追いかけた。


 土方さんは、ふたりきりの時しかぼくに構ってくれない。例え赤の他人だろうが、通りすがりの野良猫だろうが、土方さんとぼく以外の第三者がその場に居ると、さっきみたいに表面上、とても冷たく返されてしまう。逆にふたりきりの時は、それからは想像もつかないような無邪気な顔を見せてくれるんだけどね。最初はそのギャップに戸惑ったけど、今はもう慣れた。むしろそれがぼくと土方さんの秘密みたいで、この関係は結構気に入ってるんだ。


 土方さんと山崎くんの背中を見送ったぼくは、真選組の屯所へやって来た。べ、別に餌をねだりに来たわけじゃない。ご飯を貰うのであれば、お昼の余り物が出る昼食後1時間くらいがベストなんだから。
「(だれかいないかなー)」
 ぼくはもうすっかりここに馴染んでいるから、勝手に縁側に上がりこんでも全然平気。さすがにそれ以上中に侵入するのは申し訳ないから(畳とか汚しちゃうし)いつも縁側止まりだけど、ぼくに構ってくれる人は自然とこの場所に集まってくれるから、その必要もないわけで。
「にゃー」
「…何だィネコ公。遊び相手なら他当たってくれや」
「……にゃ」
 縁側に寝転んで足を投げ出していたのは総悟くん。彼だけはぼくのことをネコ公と呼ぶ。目に被さった常用のアイマスクを片手でちょんちょん突っつくと、軽くぺしっと払われた。いつもこんな感じ…たまーに猫じゃらしとか駒なんかで遊んでくれる時もあるけど、それはごくまれ、彼の機嫌がすこぶるいい時だけで(しかも上機嫌の理由がろくなもんじゃない)大抵はこうして持ちかけても、眠いとか面倒とかで相手にしてくれないんだ。
 総悟くんはお休みの日は一日中屯所でごろごろしているし、むしろお仕事の日でもよく居眠りをしては土方さんに怒られているくらいだ。沖田隊長は一番の凄腕、って誰かが言ってるのを聞いたことがあるけれど、本当かなあ…でも、もしそうだとしても、仕事に手を抜くようじゃいけないとぼくは思うな。
「んー…」
「(もーっ)」
 威厳なんて微塵も感じさせない間抜けな寝顔をじっと見詰めていたら、アイマスク越しに視線を感じたのか、ぼくに背を向けるようにごろんと寝返りを打ってしまった。もう、本当にこの人は何を考えてるのか分からないや。この時間帯は殆どの隊士が仕事で出払ってるらしく、他に人影は見当たらないし。つまらなくなったぼくは屯所を抜け出した。




 屯所を出て暇を持て余したぼくは万事屋へ立ち寄ったのだけど、生憎の留守だった。3人揃って出払ってるということは、仕事でも入ったのかな。まったく、いつもは仕事がないないって家でぐだぐだしてるくせに、こういう時に限ってこれだもんね。
「……?」
 再び暇になってしまって、かぶき町を屋根伝いに歩いていたぼくは目を丸くした。すぐ下を歩いてるのは間違いなく総悟くんだ。今日はお仕事じゃないから着物姿だけど、間違いない。あまり人通りの多くない細い道を姿勢を正してつかつか歩いていて、まるで別人みたい。この距離からでも、彼から滲み出るツンと尖った、殺気のようなものを本能的に感じて、気になったぼくは屋根から駆け下りて彼の後をこっそりつけて歩いた。
「(どこまで行くのかな…)」
 総悟くんの歩調は少しも淀むことなく、どんどん細く、奥まった道へ入って行ってしまう。人気は全く途絶えて、この時間には不自然なほどの静寂と薄暗さに耳が痛くなりそうだ。引き返そうかな…とぼくが弱気になりかけた丁度その時、ほとんど人一人の幅くらいしかない小さなゲートの向こう、地下に続くらしい階段の前で総悟くんが立ち止まった。
「―何だィお前、付いて来ちまったのかィ?」
「…に」
 困ったような笑顔の総悟くんが静かに振り返って、物凄く驚いたぼくは短い一声しか出なかった。いつから気付いてたんだろう…もしかしてずっと?
「しゃーねえなァ…こっから先は自己責任だぜィ」
 硬直して目をぱちくりさせるぼくをよそに、そう残した総悟くんは先にずんずん進んでしまう。地下に吸い込まれて見えなくなってしまいそうで、ぼくは深く考えることもなく、慌てて後に続いた。


 冷たい階段はぐるぐる螺旋を描きながら、切れ掛けの蛍光灯をいくつも通り過ぎて、下へ、下へ…どれほど下ったか分からない、開けた空間に出たときには、ぼくは軽く目が回っていた。
「よォ。打倒真選組、なんつってんのはアンタ等かィ?」
 閉鎖的な地下室、コンクリートの壁に総悟くんの声が響いてぼくは我にかえる。狭い部屋の片隅にいくらかの人影が蠢いて、沖田だ、一番隊の沖田総悟だ、とざわめく声。
「…わざわざコッチから赴いてやったぜィ」
 シャラン、と、刃が鞘を滑る音。こんなに間近で聞いたのは初めてで、ぼくは思わず物陰に身を潜める。次の瞬間にはもう、目も開けていられなかった。


「怪我はなかったかィ、ネコ公?」
 ガラクタに紛れるようにして丸まっていたぼくを、総悟くんはちゃんと見つけ出して、いつの間にかすっかり元に戻ったいつも通りの彼の白い手でひょいと抱え上げられる。ぼくはちょっと怖かったけど、目を合わせたらあの、くりくりでまんまるの目で安心した。
「このことは皆には内緒だぜィ?」
「にゃ!」
 総悟くんて実は、誰よりも真選組を愛してるのかもしれない。ネコ公って呼び方、正直あんまり気に入ってなかったんだけど、うん。悪くないかも!
「あー、銭湯寄って帰らねえとなあ…待っててくれるかィ?」
「にゃあ」
 もちろん!




「にゃー、にゃー」
「何だィ…ちったァ静かに寝かしてくれィ」
 今日も今日とて縁側で日向ぼっこ兼昼寝を決め込む沖田に、執拗に纏わりつく猫が1匹。沖田は煩わしそうな声を上げるものの、強く振り払うこともなく、自分の胸の上でゴロゴロしているその猫を、時折さり気なく撫でたりしている。
「野良ちゃん、沖田隊長にもよく懐いてますね」
 盆にお茶を乗せた山崎が通りかかった際にそれを見かけて、感心したように漏らした。その後ろを歩いていた土方は押し黙って、苛立ったような足取りでその空間を通り過ぎる。
「…副長?どうしたんです?」
「うっせ」
「あちちちちち!!」
 山崎は様子を案じて上司の顔を覗き込んだが、その手元の盆を土方に払われ、湯飲みが転げて悲鳴を上げた。それに構うこともなく土方はどすどすと板張りを軋ませて歩き去る。後始末に追われる山崎の愚痴と、遠ざかる足音を耳の端に捕らえつつ、心地よい手触りを片手に沖田が笑った。



≪ひじかたさん   もどる   こんどーさん≫

2005/12/7  background ©hemitonium.