木製の雨戸がギシギシ鳴って、閉ざされてこもった空気に朝日が差す。それに伴って一晩ですっかり冷え切った空気も流れ込んだ。現れた庭の土には霜が降りて、白いまだら模様に染まっている。寝室でぬくぬくと身を寄せ合っていた隊士たちは急激な温度差に寝ぼけた声をあげ目を細めて、布団から出ていた腕やら脚を亀のように引っ込めてうずくまる。
「局長〜寒いっすよ〜〜」
「なに言ってんだ、朝だぞー!」
威勢のいい声が屯所内の乾いた空気に響く。その音で起きたのか、部屋一面に敷き詰められていた布団の一角からもそもそと猫が顔を出した。ぐぐっと前足を突っ張って体を伸ばしたあと、朝日を背に仁王立ちしている男の足元へトコトコ近づいて身を寄せる。
「ああ野良、おはよう。よく眠れたか?今日もいい朝だな!」
こんどーさんといっしょ
今朝も冷えますね。ぼくは真選組屯所の中の、隊士さんたちの共同寝室で朝を迎えていた。野良猫だからもちろん野宿が基本なのだけど、ここのところの朝夕の冷え込みといったらひどいじゃない。まあ、去年はときどき銀さんのお家に泊めてもらったり、ぎりぎり寒さをしのげるところで我慢してきたのだけど。今年は新しくお知り合いになったこちらの真選組のかたがたのご好意もあり、
『そういや野良っていつもどこで寝てんだ?』
『さあ、野良猫なんだからその辺で適当にだろ』
『でも夜とか寒くね?』
『そうだなあ、じゃここに泊めてやっか。局長も許可くれんだろ』
ということで屯所で寝泊りさせてもらえるようになったのでした。最初のうちは縁側の隅っこで遠慮気味にしていたのだけど、そのうち「そこじゃ外と変わんないだろ」ってことで寝室にも入れてもらえるようになって。それでも一応、控えめに隅っこで寝てるけど、ともかくぼくはありがたくも暖かい寝床を得ることができたのです。
「ん〜?なんだ、野良も寒がりだな〜」
童謡にもあるように、猫は寒いのがあんまり得意じゃない。今朝も近藤さんの声で起きたはいいけどやっぱり寒くて、近藤さんの脚にすりよって抱っこをおねだり。しかし朝から裸足で寒くないのかなあこの人。侍ってこういうものなの?抱き上げてくれた無骨な手はやっぱり冷たくて、「うわあったけえ〜」とか言っているので、やっぱり寒いんだと思うけど。
「さーて朝飯はまだかな?今日も魚あるといいな〜」
まだ布団の中でぐずぐずもごもごしている隊士のみなさんをよそに、近藤さんはのしのしと食堂へ歩き出した。時計見てないから分からないけど、朝ごはんの時間にはまだだいぶ早いんじゃないかなあ…
案の定、朝ごはんの準備はまだできていなくて、食堂のおばさんに「毎朝早すぎますよ。あと猫入れないでください」とちょっと嫌な顔をされて追い出された(けどまったく気にしていない)近藤さん。先に顔洗ってくるから、トシとかそのへん起こしといてくれと頼まれたぼく。この人は本当に動物と会話ができると思ってるんだなあ…いや、できてるんだけど。
副長室の扉はぴったり閉まっていて、開けるのになかなか苦労した。できるだけ爪で引っかかないように注意したけど、まあ結果的にはちょっと傷ができてしまったりして、でも元からそれなりにボロボロなのでまあいいかと思ったりして。進入に成功したぼくは、尚も呑気に眠り続けている土方さんの布団にさっそく飛び乗る。けどこの程度の重さじゃ目は覚めないようだ。邪魔っけにうーんと寝返りを打たれて、バランスを崩して落下して終わる。それじゃあと、布団の隅からちょっとだけ出ているツンツン頭をつついてみることにした。ほとんどの割合で布団の中に潜っているので、触れるのはほとんど髪だけなんだけど。ついでにできるだけ大きな声でにゃうにゃう鳴いてやった。
「んああ?…なんだ、野良か」
もそっと顔を出して寝起きの据わった目が現れたかと思ったら…なんだってなんだよー!近藤さんに頼まれたとはいえわざわざ起こしに来てるのに!ねぼすけの土方さんがしょっちゅう朝ごはん食べそびれてるの、ぼく知ってるんだからね!因みにその食べそびれた分だけぼくの朝ごはんが増えたりするのだ!だから土方さんにはできるだけ寝坊してほしいのだ!その上で起こしにきてあげてるんだからね!
ムカーっときたぼくは、もう知らない!っと次に共同寝室のみんなを起こしに行こうとしたのだけど、その前に土方さんの腕が布団の中からにゅっと伸びてきてぼくをわし掴みにした。そのままずるずると布団の中まで引きずり込まれる。悲鳴を上げ、畳に爪を立てるぼくのことなどお構いなしだ。
「あ〜〜ったけ〜…」
まだ目の覚めきっていない土方さんは湯たんぽ代わりとばかりにぼくにぎゅうぎゅう抱きついてくる。これが尚更眠気を誘発したらしく、そのまま二度寝の世界へ堕ちようとしていた……はっ!ちょっと、だめだめ!ぼくまで眠くなっちゃう!
「あ〜野良〜〜」
しかし残念ながら猫の体はとっても柔らかいのだ。よって土方さんの腕の中からにゅるんと抜け出すことなど容易いのだ!本当にもう知らない、朝ごはんはぼくが頂きます!
共同寝室へ戻ってみると、さすがにほとんどの人たちは自分から起きていた。公務員だものね。まだちょっとぐずぐずしている人も、耳元で鳴いたり顔をぺちぺち叩けば、「ごめんごめん、もう起きるから」って言って布団も片付けてくれるし。ただ1人例外なのは、部屋の角にひとつだけ残った布団に入っている問題児…総悟くんだ。
総悟くんが寂しがりで構ってほしがりなのを、ぼくはよく知っている。今だって、きっと本当はちゃんと目が覚めてるに違いないんだ。でも誰かが起こしてくれるのを待ってる。そのくせ起こしても中々起きない。かといって、誰も起こしに来てくれなかったりしたら、ひとりで勝手にものっすごく不機嫌になってまわりに当たるんだ。なんて自分勝手極まりない…猫に呆れられるってどうなの、ねえ、お兄さん。
「何やってんだぃネコ公?」
……ぼくに話しかけてきたのは、口の中で歯ブラシをシャコシャコ言わせながら障子に寄りかかっている総悟くんだった。
「ほら、片付けっからどきなせえ」
そう言って歯ブラシを咥えながら、枕元につっ立っていたぼくをよけて布団を三つ折りにして、押入れにしまう。布団は空だった。ぼけっとして総悟くんを見上げているぼくに気づくと、目の前にしゃがみこんでにやりと笑う。
「人間舐めちゃいけねえや」
最後にぼくの頭に乱暴に手をやって、洗面所の方へ戻っていく。きれいに片付いた共同寝室に、ぼくはぽつんと取り残された。……ここはどうしてこうも、くせの強い人たちばかりなのかな。
*
「あっ、いた!野良〜みんな起こしてくれたんだな、ありがとう!」
みんな食堂に移動して静かになった縁側で、昇りだした朝日でひなたぼっこをしていると(食堂のおばさんがいい顔をしないので、ぼくが自分から食堂には入らないようにしている)お皿を持った近藤さんが笑顔で駆け寄ってきた。ぼくが眠たげな顔を上げると、「おりこうだなあ、よしよし」と頭を撫でてくれる。ん、まてよ、みんなってことは…土方さんもちゃっかり起きたのかな。
「ほら朝飯。お食べ」
ああ、そうそう、さっきからいい匂いがするなと思ってたんだ。体を起こしてくんくんするとさっそく頂く。さすがお侍さんの集まりだけあって、食事は質素な和食が多い。働き盛りの隊士のみなさんには物足りないんじゃないのかなと思うけど、魚がよく出るのはぼくにとってはありがたいことだ。
ぼくの朝ごはん中、近藤さんは縁側に座って脚をぶらぶらさせていた。先に顔を洗っちゃったから、することがないみたい。ぼくが最後にお皿をきれいに舐めて、ひと鳴きするとぱっと振り返った。
「お、完食だな!よしよし」
またぼくの頭を撫でると、右手にお皿、左手にぼくを抱えて歩き出した。お皿を洗いに行くのかな。
「そうだ、野良。一緒に見巡りに行くか?俺今日1人なんだよ」
ぼくを抱えたまま聞いてくるので、ぼくは精一杯首をもたげて、もちろん!と元気よく鳴いて答えた。
巡回中の近藤さんに抱えられながら江戸の町を眺める。お腹はいっぱいだし、視線が高いとなかなか気分がよくて、ぼくはご機嫌だった。そしてそれよりもなによりも、こうして近藤さんに抱えられてると、街ゆく人々からぼくは真選組の飼ってる猫、って目で見られるんだ!それだけでぼくはずいぶん立派な血筋に生まれたみたいに誇らしい気分になる。
悠々と周囲を見回していると、道端のゴミ捨て場が目に入った。そこに数匹の野良猫がたむろしていて…あいつらは、覚えてるぞ。昔ぼくがまだ小さかった頃に、ご飯を横取りされたり、寝床を取られたり、散々いじめられたんだ。ぼくが銀さんと出会うきっかけになった怪我もこいつらの仲間にやられたんだから、忘れるもんか。ぼくの恨めしい視線には気づいていないようだけど…まあ、相変わらずの薄汚い生活ぶりで!ゴミ袋の中の廃棄を取り合っている姿を見て、ぼくはふふんと鼻を鳴らした。
そういえば昔の話で思い出したけど、ぼくにも憧れの人(猫?)がいたんだあ…。三毛猫のハナちゃん、今でも元気にしてるだろうか。三毛猫のメスなんて珍しくはないんだけど、彼女の場合その色のバランスがとってもきれいだったんだ。ご主人さんも質素できれい好きな人で、彼女からはいつも清潔ないい香りがしていた。そりゃもちろん、ぼくみたいな野良猫にとっては高嶺の花で、話だってしたことはないんだけど。お家の庭先でくつろいでいる姿、お散歩に出て優雅に歩く姿、物陰からこっそり見てたっけなあ…ぼくみたいな輩が他にどれだけいたか知らないけどね。
猫っていうのは1年待たずに大人になっちゃうもんでね、あったかい季節になると有無を言わさず発情期なの。そういうもんなの。ほとんどの恋は一夜限りの行きずりだ。かく言うぼくも……うん、まあ、オスだしね。男だからね。因みに憧れのハナちゃんといえば、江戸中のメス猫をニャンニャン言わせている血統書付のなんかの外来種の色男(猫?)にちゃっかり持っていかれて子供までできていた。うん、まあ…世の中そんなもんだって。
しかし猫から言わせてもらえば、年中時期を選ばずに交尾してる人間の方がよっぽど異常だと思うけどね。そのうえ結婚だの浮気だの不倫だの面倒なことだらけ。もっとスマートにできないものかね…って、そこらじゅうの人間が猫みたいになったらそれはそれで恐ろしいか。
なんてぼくがひとりぼんやり考えていると、ゆったり歩いていた近藤さんが突如豪快に走り出した。なに?ちょっ、そんな腕振らないで、揺れが!酔う!酔う!
「お妙さあああああん!」
おたえさん…聞き覚えのある名前にぼくははっとした。あの、近藤さんがいつも追い掛け回してる女の人のことか!ぼくは話に聞くだけで会ったことがないんだ。全身が揺れて視界がぶれるけど、後姿からするになかなかきれいそうじゃないか。…とはいっても、あれでしょ。いつも近藤さんが傷だらけになって帰ってくるの、あれほとんどお妙さんにやられてるんでしょ。ってことはさ、この先の展開というと…どすどす響く足音に気づいて、お妙さんがこちらをゆっくり振り返る…うぷ、ちょっと酔った。
展開は一瞬だった。お妙さんが振り向きざまに、手に持っていたスーパー袋(かぼちゃ入り)を振り回して、遠心力で強度を増したそれは勢いそのままに近藤さんの顔面にクリーンヒット。近藤さんの腕からこぼれ落ちたぼくは持ち前の反発力でみごと着地、白目をむいた近藤さんはそのまま仰向けに倒れた。そしてお妙さんはというと、なにごともなかったかのように再び背を向けて歩き出しているのだ。すさまじい…話に聞いてはいたけど、ここまでとは。
呆然と立ち尽くしてその背中を見送るぼく…そこでお妙さんの落し物に気がついた。これはお財布じゃないのかな?さっきの拍子に落ちたに違いない。うーん、あまり気はすすまなかったけど、拾ってあげることにした。
「…あら?あの人ペットなんて飼ってたの?ゴリラのくせに」
ぼくに気づいたお妙さんはちょこんとしゃがんで、ありがとうとにっこり笑ってぼくからお財布を受け取る。ふうん、こうしてみると十分な美人さんじゃないか。近藤さんが惚れちゃうのも分かるな。まあ、あの仕打ちで懲りないのは問題だと思うけど。
「あなたゴリラに飼われてるわりにはお利口さんね」
お妙さんは女性らしい手つきで片手で着物の袖を押さえて、ぼくの頭をなでなでする…って、ちょっと、さっきから聞いてればゴリラゴリラって!自分に好意を寄せてくれる人にそれはないんじゃないの?近藤さんはゴリラなんかじゃないよ。そりゃ確かにちょっとゴリゴリしてるけど、とっても優しいんだよ。真選組の中で一番にぼくの面倒を見てくれたのだって、近藤さんなんだから!そんな近藤さんの気持ちを足蹴にするなんてひどい!ぼくは頭をなでなれながらじいっとお妙さんを見返した。
「なあに、わたしを責めるの?」
えっ
「なんで分かるのって顔してるわ」
キョトンと目を丸めるぼくを見て、お妙さんは口元に手を当ててくすくす笑っている。
「わたしは頭がいいの。だから見込みのない男だったら相手もしないのよ」
*
その後、白昼で失神している真選組局長に群がった人たちの間をかきわけて、話を聞きつけた隊士のみなさんが到着した。数人がかりで屯所まで運び込んで、今さっき意識が戻った近藤さんの手当てが終わったところだ。手当てをしてくれた隊士の人ももう慣れたと言うか呆れていて、「そろそろ懲りたらどうですか」と残して去っていった。ぼくはなんとなく付いてきてしまって、今の今まで付き添ってしまった。局長室に残された近藤さん、と、ぼく。本当に、ここはくせの強い人ばかりだ。
「うっ……野良ちゃ〜〜んなぐさめて〜」
半べその近藤さんがぼくをぎゅぎゅっと抱きかかえて、特大のばんそうこうを貼られたほっぺたをすりすりしてくる。ほらね、やっぱり人間の方がめんどくさいでしょ。
≪そーごくん
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しんせんぐみ≫
2007/2/6 background ©hemitonium.