「失礼します――?…副長?」
「…あ、ああ…何だ」
「どうしました?野良猫でも居ましたか?」
「いや……何でもない」



共犯



 土方の部屋から下げた湯飲みを盆に乗せ、山崎が給湯室に戻ると、沖田が棚の茶菓子を漁っていた。いつもはそれを咎める山崎だが今回はそのことも忘れ、カタンと盆を下ろしぼんやりした目線で、独り言のように呟く。
「副長、どうしたんでしょうか…」
「何だィ、またマヨネーズ切らして怒られたのかィ?」
「違いますよ!今だって3つくらい買い置きが…って、そうじゃなくて…」
「じゃあ何だィ」
 見つけ出した煎餅の袋を遠慮なしにばりっと開けながら、緊張感のない沖田が続きを促した。この人ちゃんと聞く気あるんだろうか、と山崎は不信の目線を寄越したが、丸い目でこちらを見詰めながらバリバリ煎餅をかじる沖田に1つ溜息をつき、とりあえずという調子で続ける。
「最近、夜部屋に行くといつも、副長…障子開け放して縁側に立って…どこか遠くを見てるんです」
「はァ…マヨネーズ王国と電波交信でもしてんのかねェ?」
「もー、沖田さん!」
「山崎は心配しすぎさァ。土方さんにも悩みの1つや2つや6つや8つ…」
「多いな!!」




我ながら女々しいと思う
自分は、何も持っていなくて。あまりにも知らなすぎて

『それじゃまたね』、その言葉だけ

それが逆に、自分の心を惹きつけて離さないのだろうとも思う、本当に少女のようだ。
偶像に恋する、夢見る少女のよう。早く…夢じゃないと証明してくれ



俺はまだ江戸に居た。
同じ街にこんなに長い間留まるのなんて久しぶりだ。
コタローに話したらさぞかしびっくりするだろうけど、あの日以来会ってない。
なんとなく…人と話すのが嫌だったから。本当に、なんとなく。

それなのに何故ここに留まるのか聞かれたら、今は釣りの途中だから。とでも答えようか。
釣りってのは、獲物が掛かるまでの駆け引きと、吊り上げる瞬間の快感と、
水揚げした後の優越感に終始するものだ。その間が長いほど面白い。そういうことだ。

そろそろ餌付け替えないと逃げられるか?




 夜も更けた。ひっそりと滑るような風が夏の匂いを運ぶ。猫の爪のような下弦の月が下を向いて、そのまま地に落ちてしまいそうだった。
「んー…どうしたもんかね」
 暗闇の隅での独り言が響く。縁側に立ったまま魂が抜けてしまいそうな土方を遠目に見て、顎に指を添えて考えていた。
「…誘き出してみるか」
 の口角がきゅ、と吊り上る。思い立ったが早いか、中庭に面した障子が一室除いて全て閉まっているのを確認し、音を立てずに降り立った。
「!!!」
 虚ろな目が瞬時にして色を取り戻したのを、はっきりと見る。細い月と遠くの街灯だけが照らす暗闇の中、互いの顔が見て取れるぎりぎりの距離のまま、最初の言葉を探り合う忙しい沈黙が駆け足で流れた。
「出ておいでよ」
 唇を僅かに震わす土方を他所にはわざと、誘うように艶やかに笑って。反応を見るより早く姿を眩ましたら、土方は弾かれたように駆け出した。
「(…門番の人が驚いてるよ?)」
 慌てて引き止める見張り番の腕を振り切り、右か左か迷った末左に折れる。静まり返った街の中で家屋の塀ばかりが存在を主張し、いつもより高くそびえるよう。迷路に迷い込んだかのように心細くなった土方がぱたりと足を止めた。
「真選組の副長様が手ぶらで外出?」
「!……今日、は…非番だ」
 背後から突き刺されたようだった。じめっとした夏の夜なのに、口がからからに渇く。自分を鼓舞するように土方は一度、ぐ、と音を立てて嚥下してから後ろを振り向いた。
「非番でも真選組だろ?」
「違う…ウェイターだって休みの日には食事運ばねえ」
「……それ以上寄るな」

カチャ

 鞘から刀を抜いたの手は地と水平に伸ばされ、土方を捕らえた。僅かな光をその身に集めて冷たく艶を放つ。しかしその先の土方はたじろぐことなく、目は真っ直ぐを捕らえたまま。
「…寄るなって言ってるだろ」

ざり、

土方の右足が前に出た。裸足に引っ掛けた草履が道の小石と擦れ、静寂を震わす。続いて左足、また右足

ざり、ざり、

「オイ…寄るな…来るなよ」
 伸ばしたの腕の延長線上、尖った先端が土方の喉に迫る。は一歩後ろにさがった。
「(…怖いのか…?)」
 刺せばいいのに。斬るのなんて簡単なのに。敵は未知数、何を企んでいるか分からない。早くしないと間合いに入られる。なのに
 そうじゃないと信じたい?俺を待っていてくれたのだと思いたい?
「オイ…死にてえのか!?」
 自分に言っているようだった。土方が歩みを進めるのに合わせて、が後退る。2人の距離は保たれたまま。の息が少しずつ荒くなった。自分でも分かるほどに眉間が震える。
「来るなよ……」
 違う、来て欲しい。俺に触れて欲しい

ざり、ざり

の背中に壁が当たり行く手を阻んだ。小さく短い息が漏れる。それでも土方は歩みを止めない。馬鹿か、喉に刺さるぞ
「…オイ……」
 馬鹿は俺だ。肘を折った俺だ

ざり、ざり

土方が距離を詰めるにつれて、の腕がじりじりと引き下がる。何に震えているのか、今の自分は一体、どんな顔しているのか。信じるのか、信じていいのか?

ざり、ざり、ざ、

「!」
 2人の距離が、ちょうど刀の丈と等しくなったとき。土方の左手がの刀を優しく払い、距離が零になった。

カラン

震える手から滑り落ちた愛刀。渇いた金属音が耳に木霊する。
「ひ、じ……」
 は震えが止められなかった。背中を人に触れられたのなんていつぶりだろう、記憶にないかもしれない。(ああ、女になら何度かあるけど…)甘い電流が背筋を駆け上がって、胸の辺りをちくちく刺して、泣くのだっていつぶりだろう。
「会いたかった」
 土方の熱っぽい瞳に映る自分は、今までに見たことないような顔してる。初めての感覚だった。五感を全て支配されたような。


今、気付いた。
                    掛かったのは俺だ。




 安いラブホテルに似つかわしい、狭くて使い辛いシャワールームで体を洗う。簡単に済ませて出ると、先に済ませて横になっていたトシが「、」と呼ぶから生返事で応えた。
「……もう、会えないのか?」
「え?……そうだねえ…」
 そう言って見た顔が捨てられた子犬のようで、思わずが吹き出す。土方は不服そうに体を起こして「なんだよ」と言い返す。それを横目には脱ぎ散らかした自分の服を探り、その中から取り出した金属片を土方に手渡した。
「あげる」
「…なんだこれ。笛?」
「ちょっと待った。まだ吹くなよ」
「?」
 ギッ、ギ…ガララ。が立て付けの悪い窓に手を掛け力一杯、むりやりこじ開ける。
「うわ、見晴らし最悪…―はい、いいよ。吹いてみ」
「……?――オイ、これ音しねぇじゃねーか」
「いいから。もうちょっと長く」
「……」
「ちょっと、吸ってない?煙草じゃねーんだからさ」
「吹いてるっつーの!何なんだよ!」
――あ、もういい」
「?…何だよいった…いいぃ!!」
 ばさばさばさ!窓の隙間を擦り抜けて、何やら黒い飛行物体が飛び込んできた。土方が気味悪げに手を払う。
「うわっ、なんだよ!コイツ!!」
「紹介するよ。俺の可愛いペット」
「ペットっておまッ…コウモリじゃねーか!」
「そうだよ。可愛いでしょ?」
 そう言って、ペットの両手を摘まみ羽を広げ、にっこり笑って見せる。見せ付けられた土方は辟易の表情を隠すことなく、
「…趣味悪ィな……」
「失礼だなー、コウモリの聴覚はすげーんだぜ。知ってるだろ?」
「ああ、超音波がどうのこうのって……あ」
「そ。分かった?」
「なるほどな…」
 可愛いペットと戯れ始めたの横で、土方は手の中のアルミ塊を改めて眺める。それに気付いたはやや得意げに言ってみせた。
「本当はコウモリの嫌がる音波なんだけどね。この子は寄ってくるように教えてあんの」
「へえ。…で?」
「今は放し飼いにしてたけど、移動する時は必ず連れて歩いてるからさ」
「…コレどれくらいの範囲まで聞こえるんだ?」
「さあ?調べた事ないからわかんねえ。けど、江戸の中なら聞こえるらしいよ。俺がそうしてるから」
「…分かった」
「こっちの足に赤い印が付いてんの。分かりやすいだろ?」
 そう言って今度は、鋭い爪を備えた小さな足を見せ付ける。確かに赤いバンドが巻いてあった。
「あぁ…まあ、可愛くはねぇけどな」
「なんでわかんねぇかなー」
「愛のキューピッドがコウモリたァ…」
「俺ららしくて良くねえ?」
「……そうかもな」
「ははは」
 ついその場のノリで溢した台詞だったが、後にして思えば本当にもっともな事だった。
「…ソイツ、名前は?」
「え?ああ、名前は付けてねーや、呼ぶときは笛だし…あ、トシにしてやろうか?」
「……止めてくれ。コウモリと同じ名前なんざ」
「そうか?残念だなー、なあトシ?」
「だから止めろっつの!」


 どうやら、2人して掛かっちまったらしい



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2005/3/4  background ©CAPSULE BABY PHOTO