もう何度目か分からない2人の夜
「明日はお祭りだな」
土方がうとうとしていると、腕に頭を乗せたが突然口を開いた。すっかり寝ているものだと思っていたのに、はっきりした口調で喋られてちょっと驚く。
「あー…そうだな」
「警備に出るのか?」
「ああ、今日打ち合わせがあった」
「……そ」
自分で振っておいて背を向けてしまうに、土方は後ろから顔を覗き込む。
「一緒に行きてぇか?」
「…そんなんじゃない」
「素直に言えよ」
「違うもん」
問い詰めると、拗ねたように頭まですっぽり布団を被ってしまった。中でもぞもぞ動いてから、「ほんとに違うからな」とくぐもった声で念を押す。土方は音を立てないようにそっと笑いながら「分かった」と言って膨らんだ布団をぽんと叩いて。枕元に置いてあった煙草とマッチを手探りで引き寄せ、煙を吐きながらしばし思考に耽った。
逮捕
次の夜、比較的規模の大きい祭りのためか、立ち並ぶ家々の明かりは疎ら。かわりに、神社の鳥居から続く提灯の列や、それに寄り添う屋台の明かりがこうこうと夜に映え、沢山の声や、陽気な楽器の音色が入り混じったざわめきが山に木霊する。
そんな様子を、は薄暗い住宅地の瓦屋根の上から眺めていた。目にも肌にも明らかな温度差に、自分ひとりどこか違う次元にいるような気がしてくる。
「…ん…?なに、どした?」
遠くの明かりがぼんやり視界に滲み出した頃、懐で丸まっていたはずのペットが急に動き始める。出口を探してせわしなく暴れ回るので、外へ出してやると急かされるように明かりの方へ飛んで行った。美味しそうな匂いでもしたのだろうか、と間抜けた事を考えつつその姿を見送ったが、ひらひら舞う黒い点が明かりに飲み込まれてから、はっとして気付く。まさか、そんなはずないと必死に否定しながらも、取り出したアルミの笛が艶やかに光る。
暫く手の中で転がした後、離したペットを連れ戻すだけ…と自分に言い訳しながら。そっと唇に当てる。
どうか、彼を連れてきて
「…おかえり」
独りで従順に帰って来た可愛いペットをよしよしと撫でながら、がっかりしている自分には自嘲せざるをえない。けれどそれに少し遅れて、ばたばたと走る革靴の音が林立する家屋の土壁に響いた。身を乗り出して下を見下ろすと、息を切らせた黒づくめの男が右往左往している。
「―トシ」
きっとここまで走ってきた彼と同じくらい早鐘を打っている自分を自覚しながら。名を呼ぶと敏感に反応して、辺りを必死に見回している。
「トシ、ここだよ」
「!…はあ…そいつすばしっこすぎだぞ」
「…大丈夫なのか?」
「あ?…あァ、まー各自で見回りしてるだけだからよ…ちっと抜けても分かんねーだろ」
「そう…」
「これどっから登るんだ?」
「裏に梯子がある」
ギシギシと音を立てて登ってきた土方の手を取ってやると、そのまま抱きすくめられる。彼の服からは屋台から立ち上る煙や甘いお菓子の香りがして、ざわめきを直ぐ近くに感じているようだと思った。
「いい席じゃねーか」
「だろ。特等席」
適当なところに並んで腰を下ろすと、土方がごそごそやって何やら取り出す。は煙草だと思っていたが、
「これ。土産」
真っ赤なりんご飴だった。
「ん?…わあ、ありがと…お祭りって感じがするな」
「だろ。一緒にゃあ行けねーからこれで我慢しろ」
「全然いいよ…トシは食べないのか?」
覆ってあった透明な包みを剥がして、さっそく口を付けながらが言う。土方はその口元の、これみよがしに塗りたくられた水飴を少しげんなりした目で見ながら、
「甘ぇモンは苦手だ」
「たこ焼きとか焼きそばとかあるじゃん」
「別に腹減ってねぇし…お前が居ればいい」
そう言って腕を腰に回して、首元に顔をうずめる。
「…甘いもの苦手なんだろ」
「言っとくけどお前別に甘くねえぞ」
「うっわーロマンスの欠片もないし」
「いい年こいた男2人で何がロマンスだよ…」
下らない言い合いが始まりそうな流れを、夜空に散った火の花が断ち切る。始まりの合図のように1つ、強い光と大きな音が鳴り響いた後に、色とりどりの花が次々と続く。
「…きれー」
花火の明かりに照らされた、鮮やかな互いの顔と目が合う。
「お前の方が奇麗だよとか言ってくんないのかよ」
「…だからさっきから何なんだよそのロマンチスト主義は」
「お祭りったらそんな気分になるだろーが」
「そーかよ」
少し勿体ないと思いながら、は目を閉じた。
「あっま…」
「そーか。やっぱり俺は甘いか」
「水飴的にな」
は時々りんご飴をかじりつつ、土方は時々煙草をふかしつつ、休むことなく咲いては散ってゆく花を眺めていた。それも終盤に差し掛かり、もうじきクライマックスかと思われた頃。そっと腕時計に目をやった土方が言い難そうに切り出す。
「…もう行かねえと」
「そっか」
振り返ったはうっすら儚い笑みを浮かべて返す。聞き分けのよい子供のような笑い方に、土方の胸がチリチリ焦げるような音を立てた。頭を抱えて髪に口付けて、そんな子供をあやす様に、
「用済ませたらすぐ戻る。ここで待っててくれるか?」
「んー、ほんとにすぐ来る?」
見上げてくる丸い目が、本当に子供に帰ってしまったのかと思わせた。そのせいかどうか、いつにも増して澄み切って見えるその瞳が愛しくて、ああ、と短く答える自分は、誰に見せるより優しい顔をしてるに違いないと確信する。
「じゃあコレ食べ終わるまで待つ」
「…分かった」
最後にもう一度口付けて、屋根から飛び降りた後振り返ったら、健気な子供が手を振っていた。
土方の足音が遠のき、祭りのざわめきに飲み込まれ、黒い背中が夜に溶けた。は終わろうとしている花火に視線を戻し、かり、とりんご飴を少しだけかじる。食べ飽きた、とか、虫がたかってた、とか、無意識のうちに色んな言い訳を考えていた。
「随分と浮かれてるようじゃねェか」
「!」
一番最後に一際大きな花火が夜空に咲き誇り、それを追う打上音に被さるようにして。ひどく懐かしい声が、後ろから耳をくすぐる。
「晋助……」
「よォ。久しぶりだな裏切り者」
声の主である古い戦友は、自分を見下すようにして後ろに立っていた。散ってゆく最後の花火の明かりにちらちらと照らされて、だんだん暗くなってゆく。
「…何、言ってるんだ。俺は何も…」
「フン。黙れ」
抜かれた刃が冷えた光を放つ。は動かなかった。
「…晋助、止めろ。戦友と戦いたくない」
「ぬかせ偽善者が!罪人はどっちだ?あァ?」
「……違う、俺は…ただ、トシと…」
「トシだとォ?ハッ、あの煙草野郎の事か…恋人ヅラして何言うつもりだよ」
「俺は…真選組とは何も関わってない。お前に迷惑は掛けてないはずだ」
「テメェ……どこまで馬鹿になりやがった?あのがこのザマか!!」
「晋っ…!!」
振り下ろされた高杉の刃をの鞘が受け、固い音が耳に残った。
「コッチの方は鈍ってねェみてぇだな…」
「晋助止めろ。お前じゃ俺に適わない」
「言ってろ!!」
高杉は再度右手を振り上げたが、その隙にの体が彼の懐に入り込み、左手が鳩尾をえぐった。
「ぅぐ……」
短く呻いて崩れ落ちる高杉をの腕が支え、仰向けにした体を膝の上に乗せた。
「悪い。ちょっと外したはずなんだけど…」
「許さねぇよ……」
「晋助?な、に……」
高杉のか細い声に耳を傾けようと身を屈めたの腹を、握ったままだった高杉の刀が貫く。焦点のズレたの目に、過去の記憶が映写機のように映った。
*
「!今日という今日はお前を倒す!!」
「えー俺今乗り気じゃない」
「うっせえ!来ねえならこっちから行くぞ!」
がむしゃらに竹刀を振り回す少年を、が片手に握った竹箒で軽くあしらう。途中、がさ、と、先ほどまでが掃き集めていた枯葉に自分の足を突っ込んでしまった時、
「お、」
「よし、取っ…!」
もらった!という少年の顔が、の鋭い眼光に突き刺されて体ごと固まる。その右手に握られた竹刀を、の竹箒が乾いた音で叩き落とした。
「いってえぇー!」
「馬鹿だなあ晋助…どんだけ腕が立ったって、気で負けてちゃ意味ねーんだぞ」
「くっそ…次はぜってぇ勝つ!」
「あっはは、言ってろ」
「後悔すんなよ!!」
「怪我すんなよー」
*
意識の朦朧とするに高杉が言い放つ。
「腕は鈍ってねぇようだが…気が弱くなったら意味がねェ。そうだろ?」
「…は、…ぁ…」
「アンタが幕府の狗に媚びてる姿なんざ見たかねぇんだよ」
「ぐ、っぁ」
高杉に肩を押されたの体が仰向けに倒れる。その際に腹から刃が抜かかれて赤が噴き出した。もはや何も映さない目で天を仰ぐを高杉が見下し、
「そんなアンタなら…俺が殺してやる」
何の返事も返さず、ただ赤に染まっていく身体にそう吐き捨てて夜に溶けた。
高杉の声を頭の隅の方で聞きながら、は深い闇の中に居た。視界は見渡す限りの黒だけど、聴覚だけは研ぎ澄まされたように敏感だ。遠い祭りのざわめきに、自分の脈の音が重なって、喉を通る息がひゅうひゅう乾いた音を立てる。
俺このまま死ぬのか。まさか斬られて死ぬなんて思ってなかったな…けど死に方はそれほど重要じゃなくて。ただ、会いたい。最後に、一目でいいから
「トシ
―――」
黒で塗りつぶされた視界の隅に、ぽつんと赤が映える。食べ掛けのりんご飴だった。
手を出してしまった禁断の果実、その代償はあまりに大きく。毒に浮かされて伸ばした腕は、力なく空を掴むだけ。
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2005/4/12 background ©CAPSULE BABY PHOTO