こんなことがあった

「トシ、これから言うのは寝言だから。聞かなくていいよ」
「…ああ」
 枕を抱えてうつ伏せになったまま呟いたら、仰向けになっていたトシの体がこっちを向く。
「……俺ね、たまに…このまま2人でどっか…遠い所に、行けたらいいのにって思うことがあるよ」
「………」
「遠くっていうのは、別にどこでもいいんだ。名もない小さな星でも、異国でも、なんでも…
 ただ、誰も俺らの事を知らないどこかに、行けたらいいのにって思う」
「………」
 トシは何も言わずに肩を抱いて、耳元に唇を寄せて、
「俺はたまに、じゃなくて」
「…?」
「いつもそう思ってる」
「………」
 堪らず目を伏せた。頬をトシの髪がくすぐるけど、振り向かなかった。
「このまま、2人で」
「真選組の副長さんが、そんなこと言っちゃだめだろ」
「そんなの関係ない。俺は、お前のためだったら、何だって―」
 トシが言い終える前に、首を捻って口を塞ぐ。いきなりで少し驚いていて、唇が離れてやっと目が合う。
「はい。今までの、全部寝言な?」
「……ああ」
 トシの目が一瞬、悲しそうな色をしたけど。分かってるだろ?こうしなきゃ駄目なんだ。全部…全部、叶わない夢。許されるのは、願う事だけ。

こんなことがあった



執行



「ん……?」
 久しぶりに目が開いた気がする。見慣れない天井に思考が付いて行かない。すっかり鈍って重くなった自分の体を無理矢理動かして、半身起こす。
 頭をわしわし掻きながら、寝起きでピントの合いにくい目を擦りながら、周りを見渡すが、やっぱり思考が付いて行かない。ここは何処なのか、天国にしては粗末すぎる。当の自分は肌着の上が丸きり肌蹴ていて、腹には厚く包帯が巻かれてあり、その下が他人事のようにむず痒い。そこに手を掛けようとしたら、
「あ、生きてた。ってゆうか生き返った?」
「……銀時?」
 襖を開けて入ってきたのは、ご無沙汰している戦友だった。立て続けに懐かしい顔に会って、なんだかおかしな気分になる。
「いやーあれでよく死ななかったよね。どっか痛くねえ?」
「ここ…銀時の家か?」
「そ」
「俺生きてんの?」
「らしいね」
 言いながら、腹の傷口の様子を伺う。丁寧に巻かれた包帯を取ると、自分のものとは思えない光景が広がって、思わず顔をしかめる。
「まさかお前がこんな傷負うなんてなあ」
「……そういえばちょっと痛い」
 腹に感じる違和感はこれだったのか。やっと繋がった。
「一応傷口は塞がったんだけどね。こりゃ立派な勲章が残りそうだよ」
「恥の間違いだな」
「…覚えてる?」
「まあ、大体…」
 高杉の名前は出さなかった。聞かれる前にこっちから聞いてしまおうと、ずるい自分を自覚する。
「けど、なんで此処に居るのか分からねえ」
「―じゃあその話をしよう」
 知ってか知らずか、そう言って銀時は手早く消毒を済ませて、奇麗に包帯を巻き直す。軽く礼を言うと短い言葉を返して、静かに胡坐を掻いてを見据えた。
「あの夜…多ぐ、じゃない、土方が、血だらけのお前を抱えてウチに駆け込んできた」
「―…お前トシと知り合いなのか?」
「まあ一応、万事屋として」
「…そう」
 こいつの事だから、その辺は抜かりないだろうとは判断した。
「全身真っ赤でさ。死体処理なんかできるかーって追い返そうとして、よく見たらお前でびっくりしたよ」
「だろうな…」
「で、こりゃ見殺しにできねーってんで、話の分かる医者に話つけたり何なり…まあ一通りの事したわけ」
「…ありがとう」
「ん。で、あのー土方?なんだけど」
「……ああ」
「多分、アレ以来…真選組の方には戻ってねーぞ」
「…は?」
「つーかずっとウチに入り浸ってんの。真選組の奴等が探し回ってるみたいだから、まー間違いないね」
「……今は?」
「買出し頼んである」
 扱き使わせて貰ってるよ、と笑い、尋ね人のくせに外出してもいっつも平気で帰って来んだよね、と呆れる。
「…そ、か」
――――
 沈黙が訪れ、目が合う。負けそう
「…ま、俺からは何も言わねーよ。高杉ので十分だろ」
 だからそんな顔すんな。やっぱり気付いてたのか。嫌味なんだか優しいんだか分からないけど、多分優しい。そんな所は相変わらずだと思った。


 ガラララと戸の開く音がして、来たね、と銀時が腰を上げちょっと待ってな、と片目で合図して部屋を出る。すぐに、襖越しに声が聞こえた。
「お帰りなさい」
「…夫婦みたいなこと言うなよ」
「ほんとの奥さんが待ってるよ」
「…?……!!」
 訝しげな顔を返した土方だったが、意味を察したようにはっと目を見開く。手に提げていた買い物袋を銀時に押し付け、煩わしそうに草履を脱ぎ捨てて、軋む寝室の襖を力任せにこじ開ける。
「―!!」
「トシ、久しぶり」
 途中、足を滑らせて転びそうになりながら、ほとんど倒れ込むようにを腕の中に閉じ込める。荒い息に上下しながら僅かに震えている背中を、は優しく撫でた。
…良かっ…、よかった…」
「うん、ごめんね、心配かけて」
 お互い、一頻り、全身でその存在を確かめてから。
「生きてるん、だよな…?」
「…うん」
 顔を覗き込んで頬を包み込むように摩ると、くすぐったそうに笑う。今朝見た時よりすっかり血色の良くなった唇に吸い付くと、生きてる人間の味がした。久しぶりの感覚に熱が弾けて、自然と力も強くなる。
 その様子を開け放した襖の隙間から覗いていた銀時は壁に体をもたれさせて、やれやれと眉を吊り上げ、肩をすくませ、薄っすら笑ってため息をつく。
「……なーんか改めて目の当たりにすると変なカンジ」




「お世話になりました」
「もうちょっとゆっくりしてってもいいのに」
「気持ちだけ頂いとくわ」
「…ま、夜中に人ン家でおっ始められちゃ堪ったもんじゃないからね」
 別れの玄関先で、おどけて言う銀時にが破顔する。土方は煩わしそうな顔をした。
「悪いな、お礼も何もできないで…金も借りっぱだし」
「あーいいよいいよ。多串君から搾れるだけ搾り取ったから」
「ほんとにな」
「トシもありがとう」
「ん」
「あーはいはい、後はお2人でね」
 逆に追い出す形になった銀時に背中を押されて、2人が万事屋を後にする。古びた階段を下りたところで上を振り返ったら、笑って手を振っていた。
「あんにゃろ…散々金巻き上げやがって」
「あ、それ俺の借金も入ってるかも。ごめんねえ」
「いや明らかにそれ以上だった」
「あっはは」
 そう言ってもう一度上を見遣ると、投げキッスなんかしてるからまた笑って。どこまで分かってるんだろうかと、彼の奥深さに目が回る。いい仲間を持ったものだと、運命と出会いに感謝した。


 薄暗く、彩度を失い始めた街を久しぶりに並んで歩く。行き先は2人とも知らない。
「トシ、大丈夫なの?」
「…何が?」
「尋ね人なんでしょ、今」
「………」
 指摘すると土方が足を止めて、それに合わせても止まる。何か考えている様子で空を見つめていた土方が、そのまま口を開いて
「…今すぐ行こう、
「―え?」
 向き合って、を急かす
「早く、荷物まとめろ。これだけか?」
「…トシ?」
「金は俺がどうにかする。お前に不自由はさせないから」
「トシ、」
「今ならまだ最終が残ってる。まだ間に合う。今日中に―「トシ!」
 視線をずらしたまま畳み掛ける土方を、腕を掴んでが制す。屈み込んで土方の視界に入り、視線を合わせて言い聞かせるように
「…俺は、トシの重荷にはなりたくないよ」
「重荷なんかじゃない!俺は、お前のためなら何だって…」
「うん、嬉しいよ、ありがとう。でも…俺はそれを望まない」
……」
 嫌な予感に土方の瞳が揺れる
「そろそろ…終わりにしようか」
、」
 的中して声も震える
「俺らだって、いい大人なんだし」
!」
 今度は土方がの肩を掴んで、視線が強く絡む。それでもの目は揺るぐことなく。
「別れよう」
 言われてしまった一言に、土方の顔が今にも泣き出しそうに、いびつに歪む。駄々をこねる子供のように、肩に縋る力を込めて
「……、俺は嫌だぞ。分かったから、もうあんなこと言わないから。今まで通り…」
「…トシ」
「嫌だ。お前を失いたくない…お前が必要なんだ。だって、」
 迫る土方を、胸に当てたの手がやんわり押し返す。
「トシ。ごめんね」
「嫌だ…これからも、ずっ…と……」
 は奥歯に仕込んで置いた睡眠薬のカプセルをカリ、と砕き、震える土方の唇から中へ流し込む。
――、…」
 土方の喉が鳴ったのを確認してから唇を離し、自分で飲まないようにと道の隅に唾を吐く。
向き直ると、土方の瞼が途端に重くなったのが分かった。うわ言の様に繰り返すのは自分の名前。
「………」
「愛してるよトシ」
 今まで掛けたどんな言葉よりも、甘い声と微笑で。その言葉を聞いたが最後、まじないの様に土方が崩れ落ちる。それでも尚、自分の着物の袖を強く握って離さない手をは優しく解いた。
 全く脱力している体をそっと下ろし、近くの塀にもたれさせる。顔を覗き見ると睫毛がうっすら濡れていて、そのスッと伸びた先端が胸の中心をツンと刺した。
「あ、そうだ…勝手にごめんね」
 思い出して土方の懐を探り、指先に触れた冷たい塊を取り出す。――2人を繋ぐ笛。


本当は、置手紙くらいしたいんだけど。
たくさん言葉を残したいんだけど。
それじゃあ、意味がないから。
立つ鳥は、跡を濁さずに消えるよ。


 濡れた睫毛を指でそっと拭って、愛しむように頬を撫でる。
「今まで楽しかったよ。ありがとう…さよなら」

せめてこの気持ちは伝わる事を願って



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2005/5/5  background ©CAPSULE BABY PHOTO