天人が出ばります。生理的にダメそうな方は覚悟を決めるかUターンを…


「突撃!!」
 町外れの廃墟に勇ましい声が響き、腐って脆くなった扉と錆びた鍵が打ち破られる。立ち込める土煙の中、黒い革靴の足音が続々と進入を開始した。







 先程まで自分達が身を潜めていた場所を、黒い群れがわらわらと嗅ぎ回っている。その様子を屋根裏から凝視している高杉に、桂が問いかけた。
「探しているのか?の姿を」
「……そんなんじゃねえよ」
 高杉は下の階から漏れる明かりに照らされた顔で、それでも顔は動かさないまま答えた。
「敵としてでも生きていて欲しいか」
「…うるせえ」
 しつこい桂に高杉が顔を上げ、迷惑そうな視線を横目で投げる。それに代わって桂が身を乗り出して天井板の隙間を覗き込んだ。
「そろそろまずいな。逃げよう」
 他の仲間は既に次の隠れ処に移動している。どうしてもと言う高杉に桂が付き添っていたのだ。因みに銀時はつい先日、「俺もう抜けるわ」という覇気のない声を残して消息を絶った。そう言って消える者は他にもいたし、もちろん、粛清の犠牲になる者も多くあった。
 後ろ髪を引かれるように何度も振り返る高杉の背中を桂が押して、屋根へとつなげてある隠し扉に送り出す。自分も一度下の階を振り返るが、蟻のように無数に蠢く黒服はどれも同じで、個人の判別など出来やしない。
「…実際目の当たりにしたらショックは大きいと思うがな…」
 何してんだ、と上から高杉に呼ばれて顔を上げ、桂はその場を離れた。




 御所内の老中の部屋で、治安維持隊隊長が任務失敗の報告をしている。
「突入時は既に蛻の殻でした」
「チッ、溝ネズミどもが……すばしこく逃げ回りおって」
「移動先の手掛かりもまだ掴めておりませんで、」
 眉間に皺を寄せたが、机の上に広げられた地図の赤い印に大きくバツ印を付ける。そのまま地図を見渡して考え込んでいると、控えめにドアがノックされた。
「ああ、来たな。入れ」
 静かに開けられたドアの向こうから現われたのは。忽然として姿を消し、役人の間でも様々な噂が飛び交っていた老中の一人息子の突然の登場、そしてすっかり変わり果てた姿に、隊長は狼狽して数歩後退る。小柄ながら鍛えられていたはずの身体は立っているのが不思議なくらい痩せこけ、黒く艶やかだったはずの髪は色素が抜け落ちてくすんでいた。一礼したに連れられて中に入り、無声映画のような動作で伏せていた顔を上げるは厳しい目でじっと見ていた。
「外傷は無いか」
 恐らく本人に問うたのだろうが、を一瞥したが答える。
「はい、問題ありません。ただ、声が…」
「…出んのか。声帯に異常でも?」
「いえ、傷はないようなので心因性の失声症と思われます」
「…そうか。
 呼ばれたの口が、はい、と象ったが、音はしなかった。納得したらしいが隊長とをその場から立ち退かせ、部屋には父子二人きりになる。
「まずは今の状況を説明せねばならんな…来い」
 席を立って、自分が背を向けていた広縁に足を向けてを呼んだ。静かに横に並ぶは、着せられた白い衣と相まって本当に弱々しく見えた。
「どうだ…眺めて分かると思うが、天人との共生は極めて順調に行っている」
 父と子が並んで、新興都市江戸を見渡す。
 久しぶりに外の世界を眺めるからすれば、それは劇的な変化を遂げていた。江戸の風情は鳴りを潜め、見慣れない建物や生き物が当たり前のように溢れかえる。もう此処は侍の国ではないのだと実感させられた。
「それどころか、彼等の高等な科学技術で民衆の生活は急速に進歩した。我々は間違ってはいなかったのだ」
 父は恍惚の表情で満足気に街を一望する。どうやらすっかり天人に取り入ってしまった様子に、はいよいよ失望した。
 攘夷戦争も終盤の頃、御所内ではいくつかの派閥が生まれていた。侍としての自尊心を捨てて犠牲が増える前に天人に完全服従すべきとする者もあったが、被害抑止のため迎合はやむを得なくとも侍の国としての秩序は守る。としていたのが最大派閥の派だった。その頭首だった父がこの状態では…現在の御所内の天人様々の勢力図を想像するのは容易い。中には外部勢力など言語道断とする攘夷に近い過激派もいたが、どうやらそちらは全て処分されたらしい。
「しかし、それを脅かすのが粛清を逃れ浪士化した侍ども…奴等はもう孤高の侍などではない。ただのテロリストだ」
 粛清を逃れ、という言葉にはそっと胸を撫で下ろす。その中に彼等が含まれているかは今は分からないが、きっと生き残っているだろうと思った。しかし、憎らしそうにテロリストと口にする父を見ては、自分の立場を自覚せざるを得ない。
「だが好き勝手できるのもこれまでだ。時期にテロ対策の特殊部隊として真選組が置かれる…お前は幕吏の役職に戻れ」
 免罪という予想外の展開に、が父を振り返った。
「…『あれ』は気の迷いとして見逃してやろう」
 遠回しに咎めるように代名詞を強調して言われて、は大人しく頭を下げる。それを確認して父は部屋から出て行った。
 一人部屋に残されたは、感じる違和感に顔をしかめる。格下げもなしにすんなり職務復帰とは虫が良すぎる…ましてあの父からは考えられない。自分はこの場で殺されることはないしにても、縁を切られる覚悟くらいは出来ていた。むしろそうしてもらった方が有り難かったのに。何かあるのではと考えを巡らせても、やはりこの中から抜け出すことの出来ない自分に辿り着く。腐敗しきった御所の臭いが鼻をついても唇を噛み締めるしかなかった。




 次の日、は幕吏として御所に出勤した。久しぶりに現われて何事もなかったかのようにしているに、様々な噂や憶測が流れる。
「あれ?あいつ…」
「御老職様の御子息だろ。今日から職務復帰だってよ」
「つーか今まで何してたんだ?随分痩せたな」
「さあ…軟禁されてたって噂があるけど、どうだかな」
「どっか安全な所に匿ってもらってたんじゃねえの?ここも危なかったからなあ」
「あー、そういうことか」
「坊ちゃんは気楽でいいねえ全く」
 それらは当然、の素性への妬みに繋がり。もちろん本人は居心地の悪さを感じていたが、それをどうすることが出来るわけでもなかった。
「ああここに居たのか。こっちへ来なさい」
 役職を戻すとは言われたものの具体的に何の仕事をすればよいか分からずうろついていたを父が呼ぶ。昨日とは打って変わった緩い表情と上ずった声に、は訝しんだ。呼ばれた方に歩み寄ると、背中を押されて部屋の中へ誘導される。そこで目の当たりにした物に、の脳裏には納得と同時に、嫌悪と絶望が過ぎった。
「ほおォ?お前がの息子か」
 目の前の物は豪勢な椅子に腰掛け、金ぴかの煙管を咥え、不気味な眼でこちらを見ていた。これは地球で言うところの何だろう、ゴツゴツした皮膚から見るに、哺乳類よりも爬虫類寄りだ。蛇みたいな尻尾が生えているし、指は三本でどれも爪が鋭い。喋る時に口から覗く舌はY字に割れていた。
、こちらは陸軍総裁様だ。お前は今日からこの方の側近として働きなさい」
 その命は予測はしていたものの、媚び媚びの声や態度に目眩がする。が頷くのを待たずに、父は背中をぽんと叩いて部屋を出て行った。
 部屋はしんと静まり返る。なんだかこの部屋だけ多湿な気がするが、この天人の体質のせいだろうか。トカゲ(という名前が一番しっくり来るのでそう呼ぶことにした)は椅子を降りて、尻尾を引き摺りながらへ歩み寄る。チロチロと泳がせる舌で臭いを伺っているようだが、こちらは既に鼻がもげそうだった。
「ふむ…腕は立つので護衛も出来ると聞いたが、随分と細…」
 右腕を這いずるザラついた感覚に、は生理的にそれを振り払った。警戒心と恐怖を露にするに、尚も近付いたトカゲがどすの聞いた声を捻り出す。
「…態度には気をつけろ。家と言えば相当な名家らしいからな?」
 愉快げに眼を細める。は絶望的なその事実を肯定されたくなかった。今すぐ口を塞いでやりたかったがそれもできない。
「お父様の期待を裏切っちゃいかん」
 呼吸も心臓も止まったんじゃないかと思うくらい、の五感が静まり返った。




「お帰りなさいませ」
 実家の屋敷には、の部屋がそのまま残されていた。時折掃除もされていたらしく奇麗なままで。急ぎ足で部屋へ向かって襖を閉めるや否や、着ていた制服を引き裂くように脱ぎ捨てる。天人支配の下で制服も変わったらしく、昨日割り当てられた黒くて厚い生地の洋服だ。その下のシャツまで脱いでも、あの天人の皮膚の感覚が、臭いが身体に染み付いたように離れなくて、震えるは自分を抱き締めるようにしてその場に座り込んだ。
 それから毎晩、は自室に帰るとすぐに制服を脱いで風呂に入って、そして翌朝着替えるのが億劫になる。そのような生活では声が出るようになるわけがないし、むしろ体調は悪化していた。声が出せないのをいい事に天人の行動は日増しにエスカレートして行き、悪循環の輪は大きくなる一方。役人の間では哀れむ声も一部聞こえたが、嘲り罵られるのが常だった。


 今晩はこれから重役の会合が開かれる。も勿論同行する事になっているため、トカゲと一緒に車に乗っている。高級車の後部座席にずっしり幅を取って座るトカゲの横に座らされ、今となっては何処をどう触られようと何とも思わなくなっていたはされるがままになっていた。会場になっている料亭の前で車が停まり、運転手が控えめに言う。
「到着いたしました」
「うむ」
 が先に下りて、反対側のドアを開けトカゲの手を取る。手馴れたものだ。厳重警戒が敷かれているらしく、入口の付近には真選組らしき者が多数配置されていた。その間を縫って中に入ると、女将に部屋の場所を案内される。二階の一番奥だそうだ。つやつやの廊下を渡って奥床しい階段を、上がり、切ったとき。
「…!?」
「ぐォ……!」
 左右の死角から刃が飛んできた。は護衛用に与えられていた刀を抜いて受ける事が出来たが、トカゲは喰らってしまったらしい。後ろから呻き声と、物が崩れ落ちる音がした。
 しかしそんなものはの耳を、右から左へ抜けていく。彼の思考は視覚に完全に支配されていた。交わった刃に自分の顔が映る、その向こう側に―
「(晋助!)」
 紛れもなかった。今のこの状態を説明しようとは慌てて考えを巡らすが、口をぱくぱくさせるだけで何も形にならない。刀を交えた上でのその光景は、ある意味滑稽だった。高杉もしばらくの間あっけに取られたように口を開けたままを見つめていたが、事を飲み込んだ瞬間きっ、と口を結び、両手に力を込めて刀を押し切り、を跳ね飛ばす。
「…(わっ)…!」
 カラン、と刀を手放して吹っ飛んだの背中に、倒れているトカゲが当たった。視線を上げると、不穏な空気をまとった侍がわらわらと出てくる。
「陸軍総裁のお供が側近のガキ一人か?随分と無用心だな」
「(鬼兵隊の人じゃない…)」
 どれもみなの知らない顔だった。隊を組み直したのだろうか。呆然とまわりりを見渡すに高杉は、見下すような、赤の他人のような冷たい表情で
「側近じゃねえよ、ペットだろ」
 今にも唾を吐きそうな言い方だった。目を丸くして固まるを尻目に、高杉は背を向ける。投げ付けられたのは侮蔑と怒罵の視線。
「おい高杉、こいつどうすんだよ」
「……ほっとけ。次急ぐぞ」
 他の浪士はを気に掛けつつも、魂が抜けたように動かない様子を見て高杉の後を追った。一人が、の落とした刀を拾って行くのが見えた。


 足音が遠ざかった後、奥の方で怒号や絶叫の声が響いたが、は立てなかった。
 床に付いた手を、とろとろと広がり流れてきたトカゲの血が濡らす。その上に歪んだ自分の顔が載っていた。
「(晋、助え…)」
 震える唇から、掠れた息だけが漏れて。

 また、一緒に行こうって言って。俺も連れてって…そんな目で見ないで


 赤黒い血に、落ちた涙が混ざって溶けた。真選組の革靴が階段を駆け上がる音が聞こえる。



紅血為し←    →苦値成し
2005/8/5  background ©hemitonium.