「あ、ヒコーキ雲」
ヒコーキなのかどうか判断しづらいが、趣味悪そうな船が浮いている。
「まったくねぇ…平和なんだか物騒なんだか」
ぽっかり晴れた空、白線は描かれる先から青空に溶けて、遠退く船が真っ白な雲間に隠れた。誰一人気にも留めないそんな日常の一部始終を、は足を止めて見送る。首が痛くなって、自分が随分と長い間そうしていたのだと気付いた。
拠り所に拠る
今日の昼間もまた暇だ。相も変わらず江戸散策しつつ時間をつぶす。しかしアレだな、江戸ってのは広いな!こんだけ毎日歩き回ってんのに、まだ新しい景色があったりする。初めの頃は街中でお客とばったり会ったら気まずいなあとか思ってびびってたけど、こんだけ広くてこんだけ人が溢れ返ってる町ならそんな心配はほとんどないのだよ。でも逆に…こんなに人が居るのに、仲間と呼べる人は1人もいないんだなあと思うと、なんかね。
は職場でも友達は作らない。職場が職場であるし、親しくなりすぎるのが怖かったというのもあるとしても、それよりも何よりも、これ以上大切なものを失うのが、彼にはもうたくさんだった。
だから、今から自分が人里離れた山に篭って、そこでひっそり死んだって、きっと誰も哀しみやしない。
女将とか客だったら、ちょっとは探してくれるだろうか。でもそれは商売道具としての自分であって、そのものを求めてくれてるんじゃないし、見つからなかったらそれで諦めるだろうし、月日が過ぎれば綺麗サッパリ忘れてしまうだろう。
だったら俺はなんで生きてるんだろうな。こんな職だけどちゃんと働いてるわけで、飯も自分で買って、自炊もたまにしてる。世間にとっちゃ毒ではないけど得でもない。居ても居なくても何も変わらない。自分自身、生きてて楽しいって思ったことは、ここ最近…思い当たらないし。それでもこうやって暇つぶして、呼吸して、生きてる。確かにここに居るよな。うん、大丈夫。無意味だなあ。ほんと無意味だ。
「(…あーまたこんな事考えてる)」
こういう時は決まって足が向かうところがある。意識しなくても辿り着く。
「よかった、何も変わってねーや」
市街地と住宅地を抜けると家屋や建物も疎らになって、木々が生い茂った薄気味悪い雑木林を抜けると小さめにぽっかり空いた空間に出る。枝葉の隙間から日が差し込んで、うっそうとした薄暗い空間をそっと撫でていた。鳥のさえずりが遠く木霊する。
「ただいま、」
つまりは攘夷志士の墓場。もちろんそんな物を作るなど、幕府と天人が許すはずはないのだが、これだけ奥まった所となればそう簡単には見つからないだろうと、残された者たちでつくった。
「わり、来る予定じゃなかったから手ぶらだわ」
茂った草に埋もれるようにして一枚の碑が転がっている。それなりに平らに均された表面には、今は亡き勇士たちの名前がびっしり。その中のちょっと右寄りの下の方、決して目立つ位置でも文字でもないけれど、探し出すのは簡単だ。
の最大にして、最後の親友。うっすら汚れた碑の表面をごし、と袖で拭い、達筆に彫られたその名を頭からゆっくり辿る。書き順は間違えているかもしれない。
「別に金欠でもねーんだけどさ…金なんて貰っても使い道がねえし、寧ろ余ってんだよ」
人差し指を滑らせながら、その指で滑らかなた石の感触を感じながら、が呟いた。最後までなぞり終えたら、ひんやり冷えた碑に額を預け目を閉じる。不快に感じない耳鳴りがして、頭の隅がぼうっと白くなる。
「次はお前が好きな酒持って来てやるよ。アレなんて名前だっけ…ま、ラベル見りゃ分かんだろ」
『おー絶対だぞ。間違えたら承知しねえ』
目を閉じたままの口元が緩んだ。こんなに自然に笑ったのなんていつぶりだろう。お前も笑ってるんだろ?綺麗な並びの、あの白い歯見せてさ。
「……あれ、あー…やだなあほんと……あはは」
液体が鼻を伝う感覚に気付いてが目を開けると視界が滲んでいた。泣いたのも、笑ったのと同じくらい久しぶりだなんてぼんやり思う。こんな自分を見て、あいつはまた笑ってるんだろう。何泣いてんだよって、遠慮なく頭をどつくんだ。
「はー…ありがとな。」
立ち上がって着物の裾を払い、鼻を啜りながら言う。最後に、ぽんと碑の上に手を置き。ず、と一度大きく鼻を啜ってから、真剣な眼差しで。
「俺…お前の分までちゃんと生きるから。約束は絶対守る」
バサ、木の枝の高いところに止まっていた鳥の群れが一斉に飛び立った。驚いて顔を上げるの、その後ろから、耳の裏をくすぐるように
『酒の約束も守れよ』
「―!
――…」
はっとして振り向いたが、そこには変わらず、碑が静かに佇んで。枝葉の揺れに合わせて形を変える陽の光に、ちらちらと色を変えている。
「…ったりめーだ!」
いー、と歯を見せて、は背を向け来た道を駆け戻った。後ろでまたが笑った気がした。大袈裟に手を振って、見送ってくれてるんだろう。
今日も仕事が頑張れそうだ
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2004/9/14 background ©ukihana