「さん、元気ないですね」
「…え?あ、そーか?そんなことないよ」
えー…誰だっけこの子。新入り?おかしいなあ、店の子の顔は全員把握できてると思ってたんだけど…。店の更衣室で、自分よりいくらか年の若そうな少年に話し掛けられ、は曖昧に笑って応じて見せた。
「ただちょっと気分じゃないっつうかね…そーゆう事あるじゃん?」
「そうですね、わかります」
「んー…でもこーゆう時に限って厄介な客が来たりすんだよな。俺の経験上」
「ふふ…あ、噂をすれば、ご指名みたいですよ」
ちゃーん、と、襖の向こうで女将の呼ぶ声が聞こえる。帯をゆるっと締め終えたは、背中を丸めてはあ、と漏れ出るような溜息をついた。少年が心配そうに顔色をうかがう。
「…無理なさらないで下さいね?」
「ん、ありがとう。君もな」
落し物拾い物
「お呼びですかー」
ぺたぺたと板張りの廊下を歩くと裸足にひんやり冷たくて、指の先が白くなる。そろそろ寒くなってくるなあ、と、は着物の両袖を合わせて手を擦った。
「指名入ったから宜しくね」
「…どちら様から?」
「それがね、うちは初めてのお客さんなのよ」
「はあ……どんな感じの人でした?」
「うーん…なんだか掴み所がないっていうか…あ、そんなに年配には見えなかったけれど白髪だったわ」
「へえ」
「まあ、くれぐれも店の評判悪くしないように頼むわね」
「はいはーい」
若そうな白髪…若作りのおっさんてトコだろうか。ほらやっぱり厄介な予感。ギッギ鳴らせながら階段を上って、言われた通りの部屋まで向かう。この店は縦に長いから(この辺は土地が高いからどの店も似たようなものだ)上りが結構きつい。手摺りに掴まりながら、最後の一段を上り終えては、ふう、と大きく息を吐いた。襖の前で膝を折って、一度小さく咳払いをしてから、営業用の艶のある声で中の客に聞こえるように
「失礼致します…」
「は〜い待ってました」
中から返ってきたのは気の抜けたような声で、の眉間に皺が寄った。本当に厄介そうだ。声からするにそれほど年配ってわけでもなさそうだな…と慣れた推測をしながら、目を伏せ、襖に手を掛けするすると滑らせた。顔は上げないまま三つ指をつく。
「お待たせ致しました。で御座います」
「…あ、ビンゴ」
「?」
訳の分からない事を言われて顔を上げると、中の男はこちらを向き胡坐をかいていた。後ろの障子は半分開け放たれ、その間から隣接するビルの隙間、藍色の空と欠けた月が覗いている。その月光を背に受けて、からは顔が見えない。ただ、白髪に光が透けて銀色に光って見える。この癖のある銀髪…
「まさか…」
がほとんど囁くように唇を動かすのとほぼ同時、腰を上げた男は銀髪を揺らしながらの方へ足を運ぶ。月を遮るほどまで2人の距離が詰められ、が男の影に包まれた時、暗がりの中でぼんやりと、見覚えのある顔が浮かび、の推測が確信に変わる。
「…坂田銀時…!」
「ああ、覚えてたね。よかった」
そう言って微かに目を細めた銀時は、腰を屈めての左腕を引いた。引っ張り上げるようにして立たされたの目の前に、銀時の顔が突き合わさる。両頬を冷えた両手に包まれて、逃げる事も出来ずはただ小さく肩をすくめた。
「まさかこんな事してるなんてねえ。生きてるとは思ってたけど…見つからないわけだ」
「………」
後ろめたさに耐えられなくて、は目を伏せた。顔はがっちり支えられていて動かなかった。自分はこんなに恥ずかしい事をしている。
「こんなに奇麗な顔売っちゃうなんて勿体無いよ」
手の平で両頬を擦りながら、心痛するような表情で銀時が言った。息混じりの静かな声が直接胸に突き刺さるようで、にはなんだかとても痛かった。きゅ、と唇を噛み締めるに、銀時は頬から手を離し、今度は右手で頭をさらさら撫でながら続ける。
「ここまで来るのに苦労したよ。あちこち回って、片っ端から噂話探って、やっとここに辿り着いたわけ」
はじっと、髪を滑る手の動きを感じながら、静かに瞬きを繰り返していた。
「はどーした?あいつにはこの仕事無理そうだもんなあ…攘夷にでも入……」
「…………」
「そっか…寂しかったな」
の名前が出た途端、はきつく目を閉じて深く顔を伏せる。事を察した銀時は言葉を切り、そっと両腕を伸ばして垂れた頭を左肩に抱えた。ぽん、ぽん、と背中を叩く心地よいリズムに、きつく縛ったはずの結び目が解けそうになり、は銀時の着物の襟を、指先が白くなるくらい強く、ぎゅうと握った。
銀時と比べた自分はなんて弱い。なんて惨め。護り抜く自信がなくて、失うのが怖くて、亡き友に今でも縋って、意味もなく生きてる。かっこわるい。
「泣いていいよ。胸借りられる人もいなかったんだろ」
だめだ。泣いたらもっとかっこわるい。肩に額を預けたまま、は弱々しく首を振った。愛しそうに表情を緩めた銀時はの肩に手をかけ、背を丸めて伏せられた顔を覗き見る。
「…泣くより辛そうな顔してる。だいじょーぶ、かっこ悪くなんかねぇって」
俺見ないから。と言い、ぼすっと頭を胸に押し付けた。の顔にくしゃっと皺が寄り、背中が痙攣するように不規則に上下する。もうかっこつける余裕なんてなかった。そうだよ。寂しかったよ。
銀時は何も言わなかったけれど、たまに思い出したように柔らかく背中を叩いた。にはそれだけで十分だったし、言ってもらいたい言葉も特になかった。
*
「アンタ、俺の好みだよ」
壊れ果てた家屋、今にも崩れそうなガレキの山に登り、その上から荒涼とした戦場を眺めていたに後ろから掛かる声があった。
「……はあ?」
声の主は呆けているの横に並び、わざとらしいほどの笑顔でにっこり振り返る。伸ばされた片腕と指先がの耳の下から顎先にかけてのラインを艶かしくなぞると、はぞっとして思わず後ずさり腕を払い、眉間に皺を寄せ不快感を露にした。
「………初対面の男によくそんなこと言えるな」
「命の恩人に対して随分冷たいじゃないの」
「…あんだだけの手柄じゃねえし」
今朝方、天人に取り囲まれ窮地に追いやられたの班に、銀時の班が援護に駆け付けた。その協力のお蔭で、双方とも犠牲者が出ずに済んだのだ。
坂田銀時の名は、戦場を駆る白い夜叉として同士の間に広く知られていた。噂の白夜叉を目の当たりにしたも実際に、その勇敢な立ち回りに敬服の念を抱いていた、のだが。今自分が向き合っている男はまるで別人のように、自分に白々しい笑い顔を向けていて、彼の憧れとか心酔とか、そういう気持ちがいっぺんに萎えた。
眉間の皺はそのままに表情を崩さないに、銀時は払われた右腕を引っ込めて続ける。
「初めましてでも分かること沢山あるよ。刀の振り方なんて正にそれ。だと思わない?」
「……俺の腕に何か問題でも」
「そーゆんじゃなくて。あんたさ、幕府とか天人とか、結構どうでもいいタチでしょ」
言われたは内心どきりとした。自覚はあったけれど、周囲には悟られないよう気をつけてきたし、気付かれたこともなかったからだ。丸く見開かれた目を見て、銀時はまた、けれどもっと自然に笑う。
「分かるよ、俺も同じだから」
は照れ臭そうに気まずそうに伏せた目を泳がせ、誤魔化し程度に大き目の溜息を1つ吐く。それから一時、心地よい沈黙が流れ、景色一面が夕陽に照らされ赤く染めあげられるのを見ていた。
「名前は?」
降り注ぐ赤い光線に乗せて銀時が静かに問う。はちらと目だけ銀時を振り返り、その顔を伺った。
「教えてよ。友達の名前は桂が言ってたから知ってんだけどねーだろ?あ、俺は坂田銀時」
「知ってる」
横顔のまま素っ気なく答えてしまった。なんとなく焦って、自分の名を口にしようとした、ちょうどその時。
「…「ー!」
大きくよく通る声が殺風景に響く。だった。2人が立っているガレキの山の下の方からこちらを見上げて、移動始まるぞ、と告げる。下を見ての姿を確認したは、分かった今行く、と返した後、銀時に一礼してその場を去ろうとした。
「―!」
鋭い声に呼ばれて、が反射的に足を止めた。そっと振り返ると銀時が宣言する。
「俺が生き残ったら絶対、お前探し出して会いに行くから」
「
―――…」
「また会おうな」
「…ばーか」
胡散臭いウインクと投げキッスにはべーっと舌を出して見せる。全くどこまで本気だか、そもそもお互い生き残るかどうかも…と内側で呟く口元は笑っていた。
*
「もういい?」
「………」
「?」
「…あ、わり」
思い出した。そんな事があったんだ、忘れてた。ずずっ、と一度大きく鼻を啜りが顔を上げると、銀時は再びの顔を両手で包み頬を撫で、濡れた睫毛を親指で拭う。額を合わせて、瞳いっぱいにお互いを映して視線を絡めた。
「目、真っ赤だね」
「…ん」
「別品さんが台無し」
「ん」
「…うそ。泣き顔もかわいい」
「お世辞はいらねえ」
「お世辞じゃないよ」
「あ、そ」
銀時が背を屈めると2人の鼻が触れる。唇が重なる寸前で一度止まったが、が静かに目を閉じたのを見てそっと、唇を掠めた。
「……しょっぱい」
「―ぶっ」
お互い思わず吹き出した。
「お前さ、いま…万事屋やってんだろ」
一頻り笑ってから、が思い出したように切り出す。銀時は驚いてしばし言葉を失った。
「…何、知ってんの!?」
「こないだ看板見た。スナックの2階だろ」
「何だよお前っ…俺がここまで辿り着くのにどんだけ苦労したと…!」
「ごめん。…なんか、俺とは全然違うから」
「は?…が?」
「そう」
「違わねーよ」
「違うって」
「違わねー」
「違う」
じっと目を見て譲らないにキリがないと思ったのか、頭を掻いて銀時が折れる。
「…どこがだよ」
「俺には護るものがない。失うのが怖くて、何も護れない。お前は同じ仕事してる仲間がいるだろ」
「いるけど、俺だって失うのは怖い」
「じゃあなんで一緒にいんだよ」
「…あのな、誰にだって何にだって、永遠なんて存在しないの。別れは悲しいもんなの。といた時だってそう考えてただろ?」
「……」
「先の事ばっか考えてちゃ、大事な今を取りこぼすぞ」
ん?と、諭すように言って、力の入ったの眉間を人差し指で突付いた。
「護り切れなくたっていいんだよ。護るために必死になれりゃそれでいい。1人でいたってつまんねーだろ」
「
―――」
は降参、とでも言うように額を抱える。それから目を細めて、自嘲気味に息を漏らした。
「…なんか、よく分かんねーけど礼を言う」
「いや、うん、お礼はいいから」
「?」
「いや、俺も金払ってるしね?お客さんだから」
「…………」
「あれ、嫌?」
「いいや、お客様ですから」
「じゃ遠慮なく」
「ああ、ちょっと待て。開けっ放しだ」
後ろの襖を閉め忘れていたことに気付き、すっかりその気で首に吸い付いてくる銀時を押し返す。背を向けたが手を掛けるより早く、後ろから伸びた手が先に襖を閉めた。
「……なんだよ」
「いや、逃げちゃうかと思って」
「…ばーか」
もう俺は、逃げも隠れも、
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2004/9/14 background ©ukihana